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永い言い訳

西川美和監督の作品、「永い言い訳」を観た。
この映画はずっと観たいと思いながら避けていた作品のひとつだった。
なぜなら、映画の予告での台詞、
「僕はね、夏子が死んだとき、他の女の人と寝てたんだよ。」
がやたら引っかかってしまったから。なんとなく暗い雰囲気の映画だと思っていた。だけど、やっぱり何年かして観たいと思ったのは、やっぱりその台詞が引っかかっていて、また予告を観てから、よし観てみようという気持ちに変わったからだ。
映画を観始めると、とたんに作品の中にぐいぐいと引き込まれていく自分がいた。
主人公は、本木雅弘さん演じる小説家だ。彼はいつのまにか見た目や体裁を気にしすぎるほどの過剰な自意識や、プロ野球選手と同姓同名である「さちお」という自分の名前も否定してしまうくらい、コンプレックスを持ちながら生きてきた。
小説も上部をすくうような薄っぺらい言葉を並べて書いていて、指摘した編集者と揉める始末だ。
ある日、不慮の事故で妻を亡くし、同じく事故で亡くなった妻の友人であるゆきの家族と暮らし始めた。
妻が死んでからもなお泣けない幸夫(さちお)と、ずっと妻の死を受け入れることのできないゆきの旦那、竹原ピストルさん演じる陽一。2人の男が対照的に描かれていた。

陽一は2人の子どもを抱えている父親で、妻が死んでから子どもとも上手く向き合えていなかった。幸夫は陽一が留守の間、彼らの家に通いながら仕事をすることを理由に、幼い子どもと生活を共に始める。
夏子との間に、子どもを作らない選択をした幸夫は、本来ならば味わうことのできなかった家庭の充実感や幸せに直面し始める。
ここから、一気に幸夫のストーリーが展開される。
この映画は恋人とは観ないほうがいいと評価している方もいると後から知ったが、私は恋人と2人で観た。
そして、作品を観ながら、あーだこーだふたりで言いたいことを言い合いながら鑑賞していると、より物語が多角的に観れて、より深みを増して感じられた。
この物語に出てくるどの登場人物も、それぞれ自分たちと重なる部分があった。
幸夫の繊細さの中にある鈍感さや、陽一の鈍感さの中にある繊細さが混ざり合って、物語をよりリアルに描いている。
陽一の長男、真平は母親を亡くしてから、母のお葬式でちゃんと泣けていないことを幸夫に漏らすシーンがある。
子どもながらに真平は純粋に自らの気持ちと向き合い、自分が薄情なのではないかと悩んでいる。
幸夫もまた、マネージャー岸本から、「先生、一度でも奥さんが亡くなってから、ちゃんと泣きましたか?」と見抜かれる。池松 壮亮さん演じる岸本は、幸夫の一挙一動から幸夫を観察し、ことあるごとに、鋭く真に迫るようなことを言う。池松壮亮さんが出演する映画はけっこう観ているが、こういう鋭い役は似合ってるなと感じた。

亡き妻、夏子の携帯から
「もう愛してない。ひとかけらも」
というメモを見つけた幸夫は、自分に向けられたメッセージと解釈し、自暴自棄になるシーンがある。
が、私は夏子の立場になると、幸夫の気持ちを夏子なりに考えたものなのではないかと捉えた。この言葉はふた通り考えられると思う。
映画では夏子と幸夫のやりとりは最初の方しか描かれていないが、夏子が生きていたら、岸本と夏子はもしかしたら似ている存在だったのではないか。言葉にする岸本と、何も言わないで来た夏子。
この言葉から、夏子は幸夫の弱さやずるさをひっくるめて幸夫と向き合い愛していたのだろうと感じられた。
いや、それとも事故の直前には実は気持ちは冷えていたのだろうか。
妻を亡くしてから、妻と向き合いだした幸夫は、これから時間をかけて夏子の愛情と向き合うことになるだろう。

映像や演技が全てがナチュラルで、途中ドキュメンタリーかと錯覚してしまうような世界観だった。けれど、物語の細部までこだわっていて、(チャプチャプローリーとか)、「あるある、こういうこと」という、いつか経験した感情を思い起こさせてくれる作品であった。
見終わった後は、この映画と出逢えてよかったと感じた。何度も観たくなる映画になった。

https://youtu.be/v1VXIiDyu3A

#映画
#永い言い訳


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