ゆっくりでいてじっくり
先日、職場の上司から、なんとしても映画のボヘミアン・ラプソディーを観に行ったほうがいいと勧められた。仕事終わりに、映画の時間がギリギリ間に合うからとか、絶対泣けるからとか、もうすぐ上映が終わってしまうから急げとか朝にわたしの顔を見るなり開口一番その話題だった。
そんなに言うならと、以前から少し興味もあったから、休みはどうせカフェで本を読むくらいだしと、読みかけの本をリュックにしまい、さっそく地元の駅の映画館のチケットを予約した。
若くして頂点に立つヒーローたちは、生き急いでいるかのような、退屈を嫌うかのような、なぜ早くに亡くなってしまうのだろうか。映画を観ながら、涙を流すよりもパワーをもらったのはわたしだけではないはずだ。
次の日、さっそく「どうだった?泣いたでしょ」と言った上司に、「いいえ、むしろ元気をもらいました」と言った私に対して、「感受性がない」とか、「おかしい」とからかって言ってきた彼は、きっと上司ゆえの共通する孤独かなにかを感じたのかもしれない。
わたしにだって孤独はあるし、何よりフレディ・マーキュリーの1人では寂しいという気持ちは痛いほど理解できるし、共感できる。からこそ、なんだかわかってしまう部分もあったのだ。
誰しもが平等に与えられたこの時間を、三度の飯よりも好きなボーっとする時間についやして、夜更かししてゆっくりじっくり日々を生きてる私と、生き急いでいるかのように、大勢の人と向き合い生きる彼らヒーローとの世界は、時計の針の回り方が違うのだ。
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