【映画メモ】生きる映画と死ぬ映画、両方見て思ったこと(「活きる」と「PLAN75」
ずっと以前に観た中国のチャン・イーモウ監督の映画「活きる」をAmazonプライムビデオで久々に観ました。
チャンイーモウといえば「紅いコーリャン」や「初恋のきた道」、「HERO(英雄)」が有名ですが、映像美や何気ない(でも練り込まれた)カットが印象的な監督です。
「活きる」は簡単に言うと、博打に明け暮れた男が一文無しになり妻(中国の山口百恵コン・リー)と子に逃げられるというシブい「人間万事塞翁が馬」的なお話なのですが、川面に浮かび流される葉のように、時代に翻弄されつつも生きていく庶民の描き方が味わい深い作品でした。
次に観たのが、日本の超高齢者社会の行く末の「もしも」を描いた、倍賞千恵子主演の「プラン75」。こちらは「死んでも生きる」たくましさを描いた「活きる」とは対照的に、国に推奨される安楽死プランを検討する高齢者のお話で、近未来の日本で状況によってはあり得るかもと思わせる妙なリアル感がありました。
両方見て感じたのは、生きるのは時に簡単ではないけれど、命ある限りはやはり良い方向を目指して生きた方がいいということと、個人の寿命を他人や国が決めるようなことはあってはならないということでした。
「活きる」も「プラン75」も、ラストが考えさせられました。
家族がいても一人暮らしでも、1日を悔いのないよう生きたいものです。
※余談ですが、タイトルを「活きる」にしたのは、黒澤明監督の「生きる」と区別するためでしょうか。今度、黒澤のこの作品のオマージュのようなカズオ・イシグロ映画「生きる LIVING」が公開されるようですね。黒澤の「生きる」は個人的にはベスト3に入る映画ですが、カズオ・イシグロバージョンも楽しみです。