明治ゆるふわストヲリイ◆ランプは日本を亡ぼすってマジ?佐田介石の主張を聞け!編
いつの時代でもどこの国でも、新しいものが入って来た時に反発はでるものです。
やれ「こんなものが広がったら人間が駄目になる!」とか、やれ「どんどん新しいものが入ってきてついていけない。私も歳だわ~」とか。人生で一度はどこかで聞いた事がある人も多いでしょう。
とはいえ、これぐらいの会話など所詮雑談の範囲を越えないもので、話題のひとつとして「へえ~」とか「わかる~」とかで終わるものではあります。
…しかし、いつの時代でもいるものです。
過激派と呼ばれる人々が。
かつて明治時代に、開化の時代を嘆き、その反対運動に積極的に活動した男がいました。
今回は文明開化を果たし西欧化の進む日本に「待った!!」を言い続けた変なおじさ…珍無頼の論者をご紹介しましょう!(言い直した意味がまるでない)
●日本の未来を照らせ!オイルランプ
明治時代に入り、日本の庶民のもとにはランプという明かりが入ってきました。
ランプ自体は幕末では既に輸入されてはいましたが、庶民が手をだせるものでは決してありません。
なので、江戸時代まで明かりといえば、行燈、ろうそく、松の木などを用いて明かりを灯し、日常で使用したのです。
とはいえ、それらの明かりはぼんやりとした明かりでしたので、決して明るいとは言えません。それでも幕末~明治初期の庶民にとっては、それが毎日の夜を照らす明かりだったのです。
そんなぼんやりとした明かりしかしらなかった人々が、初めてランプの明かりを目にした時、その明るさにとても驚きました。
このランプ、1874年(明治7年)の新聞には
近代紙張の行燈益々衰えて、玻璃燈日々盛んなり「東京日日新聞」
という記事があるほど、急速に普及されました。
また、日露戦争後の好景気も相まって、かつてはそのハイカラな品に手の届かなかった人々も家に置く事ができるようになります。
そうして、明治中期以降の東京市内の庶民のほとんどが、ランプを使っていたと言われます。
田舎でも、お金がある人は率先してランプを購入していたので、田舎の人々にも少しずつですが使用されていたようです。
売上番付なんてものも出たそうなので、その普及っぷりが伺えますね(それにしても何でも番付するな日本人は)
●ランプで日本滅びるから。これ豆知識な。
さあ、この急速に普及したランプに対して
をかける男がいました。
今回の主人公、佐田介石(さたかいせき)です。
佐田さんは肥後藩出身の僧侶。博学で、天文や経済にまで見識をもっていた人でしたが、彼は世間の人々からは変なおじさんという認識として有名になってしまったようです。一体何故なのでしょうか。
その理由の一つである、佐田さんの提唱した「ランプ亡国論」をご紹介しましょう。
これは「ランプなんぞ使うと害があるぞ!ええんか!?」という佐田さんの主張です。
一に毎夜金貨大減の害
二に国産の品を廃物とするの害
三に金貨の融通を妨げるの害
四に農や工の職業を妨げるの害
五に………
というのが16もある訳ですが、全部紹介すると大変なので簡単に要約しましょう。おおまかに紹介すると、
こんな感じ。
言いたい事は分からないでもないんですが、正直「お、おう…」としか反応できない主張ですね。
それは明治時代を生きる、しかも現役でランプが普及され使用されている人々からしてみれば
「な~に言ってんだコイツ」
となるのも無理はないかもしれません。
結果、佐田さんは変なおじさん扱いされてしまったのです。
●ちなみに鉄道やコウモリ傘でも日本滅びるから。これ豆(以下略
そんな佐田さん、ランプだけを糾弾していた訳ではなく、鉄道やコウモリ傘、牛乳、太陽暦、簿記インキなどにも反対の声をあげ、全国を遊説していたのです。
奇人扱いをうける佐田さんですが、そんな佐田さんにも一定数の支持者はいたようです。
1880年(明治13年)の新聞には次のようにあります。
輸入品を敵視するに至っては、頗(すこぶ)る聴衆をして心を動かさしむるもの有る由にて、此の程同県下更級郡網掛村にては、同氏の説教を有難がり、舶来品は一切用ゐざることに決し……「朝野新聞」
急激な西欧化に戸惑っていた人々は、佐田さんの言葉を信じていました。
ちなみに佐田さんはその後、長野県で持論を説教中に当時の政府を罵ったとかで警察に捕まったりもしていましたが、その後も講演を続けているので明治の男はこれぐらいじゃあ、めげないのです。
●ランプの明かりも消えてしまう日がくる
佐田さんが声を大にして批判してきたランプ。その批判も空しく、ランプの普及と使用率は下がる事なく、佐田さん自身はこの世を去る事となりました。
そんな佐田さんの主張はすべてが的外れでもなく、やはり火災の原因になっていた事。そして石油を直接燃やしていた為に悪臭を発生させ、空気も悪くしていたという欠点を持ち合わせていた事も確かでした。
そのような状況下で、1878年(明治11年)に電気が登場。その後一般家庭に普及されると、「人々の明かり」という役目はランプから電燈へと変わっていったのです。
ランプも使われなくなり、電気が主流となってしまえばこのランプ亡国論も忘れ去られる運命。こうしてこのランプを巡る主張は静かに消えていったのでした…。
……とはいえ、もし佐田さんが生きていたら、この元気なおじさんの事なので今度はこの電燈も国を亡ぼすと言ってそうですね。
◆参考文献◆「幕末明治風俗逸話事典(紀田順一郎・著)/東京堂出版」「図説幕末明治流行事典(湯本豪一・著)/柏書房株式会社」「瀧澤商店(日本の洋燈(石油ランプ)の歴史)」
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