それでも君に恋をしてる ‐裸足でSummer‐
こんにちは。たつ(@applebig3)です。
はじめに
2022年も残すところあと何時間かという年の瀬でございますね。
振り返れば酸いも甘いも本当に色々なことがあった2022年(乃木坂46的には酸いが大半を占めるぶっちぎりの厄年かもしれない)。まぁそんなことは忘れ去って、来たる2023年は良い年にしていきたいところですね。
2023年を迎える前の2022年ラスト、乃木坂46の1年の締めといえばそう、NHK紅白歌合戦です。今年も出場が決まっておりこれで2015年から8年連続8回目。この国で一番観られていて歴史ある音楽番組ですから本当に喜ばしいことです。
そして先日、乃木坂46の紅白歌唱曲が発表されました。大方の予想では飛鳥ちゃん卒業シングルの『ここにはないもの』予想が圧倒的に多かったですし、卒業する飛鳥ちゃんが卒業シングルを歌って締めるという展開は誰もが一度は想像していたと思います。
しかし、いざ蓋を開けてみると歌唱曲はまさかの『裸足でSummer』、意外も意外な選曲です。披露希望はあったとしても披露予想までしていた人はほぼいないのではないかなと思います。いたら予想した理由付きで事前のツイート見せて下さい笑。
正直私もかなり意外というかほぼ想定外でした。ただ個人的に裸足でSummerは思い入れが深く大好きな曲なので、驚きが大きい反面この選曲は心の底から嬉しかったですし、しっかりと納得できましたね。
ただやはり裸サマは夏曲ですし、卒業シーンにそぐわないと考えている人は多かった印象です。ここにはないものやSing Out!を推す声も多かったですかね。
しかし、だからこそそんな方に向けて私は声を大にして言いたい。裸足でSummerがいかに優れた曲か。齋藤飛鳥のストーリーに於いてこのシングルがいかに重要な場面だったか。そしてこの曲が卒業シーンにもきっとマッチするだろうということ。
私がすぐに裸サマという選曲に納得した理由を伝えるべく、裸サマを愛してやまないヲタクとしてかつてない熱量でこのnoteを書いています。(2022/12/30 午前3時〜)
いつもは計20時間くらいかけて1本note書いてそれから1時間くらいかけて校閲するのですがここまでの突貫工事は初なので後から追記・修正するかもしれません悪しからず。(保険掛けた)
本当は愛してやまない裸サマという楽曲についてもっと早く書きたかったのですが、書きだす理由もなく気付けば飛鳥ちゃんの卒業目前で歌唱曲が発表された形です。この機会を絶対に逃すわけにはいかない、逃せばもうこの曲に触れる機会はほぼ無くなってしまう______
という訳でこのnoteでは裸足でSummerの楽曲としての素晴らしさ、楽曲の背景、紅白歌合戦2022の展望について述べていきたいと思います。よろしければ最後までご清覧ください。
裸足でSummerをライブで合法的にタオル上げて沸けるその辺の普通の夏曲だと思っているヲタクは目を見開いて読んで学んで欲しいところですね。絶対にただの夏曲じゃないからな!!!
楽曲: 乃木坂46『裸足でSummer』
裸足でSummer、思い出補正も多少あるかもしれませんがそれを抜きにしても私はこの曲が大好きです。乃木坂46の表題曲ランキングでベスト5に入り続けるくらいには好きです。
作曲は福森秀敏さん、編曲はAPAZZIさん、そして作詞はいつものあの方です。あの人か…と思われるかもしれませんが裸サマはあの人がまだちゃんとしてた頃の曲です。今回は珍しく(?)褒める回になると思います。
MV
まずはMVから。楽曲のイメージも左右する要素ですから。とりあえずつべこべ言わず観て下さい話はそれからですよ。
監督は1作目のドキュメンタリーも手掛けた丸山健志監督ですね。
裸足でSummerのMV、唯一この楽曲関連の制作物で苦言を呈することができる点かもしれません。そう、海の色です。正確には浅瀬の色ですかね。
砂が茶色い!!しかも海水まで濁っている!!アイドルの夏曲MVとは思えない色がMVで見えている!!
海水まで濁ってるのは前日の天候の関係でしょうけど、ロケ地となった場所は干潟なので元々綺麗な浅瀬ではないです。なんでこんな場所で撮るんだと思いましたが、リゾート地である沖縄で人が少なくてアイドルがMVを撮れる場所といったらこういったところになるのかなと大人になった今は考えているところです。筆者はこの夏沖縄に初上陸したんですがやっぱ砂が白くて綺麗なビーチは大抵人がいるものですね。
ただそれ以外は爽やかで、これから訪れる熱い夏、夏真っ盛り、そして夏の終わりも感じさせる素晴らしいMVだと思います。夏曲MVとしての役割は完璧に全うしてますね。このnoteを書くために久々に見返したらあの頃を思い出させられて筆者は泣きそうになってますよ。
ちょっと淡いフィルターがかかったような、いつかの暑い夏の日に似た質感が映像から感じられてとても良いんですよね…自然豊かな沖縄の風景と映像美が楽曲に合っていて最高です。
歌割りに合わせたカットも、曲テンポに合わせた映像スピードも、サビでしっかり踊っているところも良く作られていますね。(最後だけ超低次元)
もうとにかくいいから観るんだ。観たら分かる、海の色以外はとてつもなく良いMV。
そしてフロントの5人、橋本西野齋藤白石生田。とんでもなくビジュアルのレベルが高いです。齋藤飛鳥はまだあどけなさが残りながらも神に選ばれし美少女の名を冠していた通りかわいいし、生田西野は当然かわいい。白石橋本はべらぼうに美しい。特に橋本奈々未さんとんでもない美しさ、あの横顔に惚れない人いるのかというレベルです。(当時筆者橋本推し)
あと福神復帰した裏センターの松村沙友理ちゃんも黒髪で最高にかわいい!ポジションが良い!(当時松村推しでもある)
よく乃木坂の歴代最高フロントとして裸サマフロントが挙げられますが私もそれで間違いないと思います。そもそも全員超エース級ですから。あと各メンバーのビジュアルレベルのピークが2016年前後だった印象はありますね。あの頃はあの頃で憧れの綺麗なお姉さんグループみたいな雰囲気もあって良い時代でした…(懐古厨)
このフロントが一回きりなのも衝撃ですし、レア度も歴代最高に拍車をかけていると思います。
そんなビジュアル最高のメンバー達を良いカメラ使って割とアップで撮ってるんですからもう間違いないMVですよこれは。刮目してご覧下さい。
振り付け
振付師はWARNERさんですね。まぁみんな好きでしょうけど曲中ラスサビの、タイミングを段階的にずらして踊って最後に揃えるダンス(カノン)が大好きです。
裸サマはたまに振り付けが変わっていることがあるんですが、私はMVのオリジナルの腕を顔周辺で上げ下げする振り付けが好きです。以上です。(専門分野外)
メロディー
ボーカルありは当然良いんですが、オフボでも是非聴いてください。オフボだけでも十分聴けるクオリティーですから。ありがとうAPAZZIさん…
詳細は後日追記します。
許せ…紅白に間に合わせるにはこうするしかなかったんだ…
歌詞
裸足でSummerが神曲たる所以は歌詞が楽曲により深みをもたらしている点だと個人的には思っています。歌詞がメロディーの邪魔をしていないどころか、より良い曲へのグレードアップに寄与しているんですよ。(それが普通だよ)
信じられないかも知れませんが、あの頃はまだ康が良い意味で康していた頃です。今となってはもう見る影もないかもしれませんが。(白目)
裸サマの歌詞、大筋としては現代女性アイドルの夏曲らしく、僕(主人公)が君に片想いするという内容ですが、この主人公がヲタクの私からするととにかく愛おしいし”当時の”乃木坂らしいと感じるんです。(乃木坂らしさの細かい定義は長くなるのでやんわりとした乃木坂らしさをイメージして頂ければ)
それがまた夏という、熱さだけでなく切なさや儚さという一面も併せ持った季節に合っていて、情景描写の細かさ、情景の美しさも相俟ってこの楽曲に深みをもたらしているのかなと考えています。
愛らしさの理由でもあり、この歌詞全体に言えることですが、裸サマの主人公「僕」はよくあるアイドル恋愛ソングの主人公、とにかく好きと言い放ったり、恋は熱血、猪突猛進といったようなタイプではないんですよ。それとは真逆で、自分も周囲もよく見ていて控えめで奥手、一人称視点でありながら客観視・状況把握がとてもできているタイプなんです。
だからこそ他の曲に比べて情景描写が詳細で多くなりますし(描写が詳細で多いからこそ主人公が客観視できていると感じる逆のパターンかもしれませんが)、それによって聴き手は情景が浮かびやすくなって曲の世界観に没頭でき、主人公に感情移入しやすくなると思っています。
是非ご自身でも歌詞を”読んで”いただきたいのですが具体的に見ていきましょう。
裸サマ、少しアレンジ違いますがCメロスタートなんですよね。
「いつもの夏と違うんだ」という歌い出しから私はもう胸の高鳴りが治まらないのですが、このワンフレーズだけで主人公と同じように聴き手にもこの特別な夏の到来を予感させる完璧な歌詞だと思います。ひと夏の「この夏は特別だ」より婉曲的ですが近しいものがありますね。
僕にとっては特別な夏、誰も(君も)気付きはしない。この段階で既に恋をしていて世界が眩しく色鮮やかに見えているし、それを客観的に認識しているんですよ「僕」は。好きロックの歌詞みたいですがそれよりも客観的なんですよね。
というのが普通に読んだ場合の解釈です。
もう一つの解釈があると私は思っています。それが後日談としての歌詞です。
「誰も」ということはこの段階では主人公すら違いに気付いていないという解釈です。なので主人公が事後的に振り返った時にいつもと違う夏だった、あの時はまだ誰も気付いていなかったというようにも読める訳です。その瞬間には気付かなくとも後から振り返ったら気付くこと、皆さんも沢山経験してきたと思います。
そして日差しの強さと色の鮮やかさ。この夏これから主人公の目に映るもののことなのですが、後の歌詞に繋がってくるのでここで示唆している形です。やはりこの歌詞は後日談の導入部分なのかもしれませんね。
過去にも誰かに恋した経験はあったのか忘れていた感覚が蘇ります。いや何度も季節巡ったということは主人公何歳だ?
ただ主人公にとって恋とはあくまで"切ない"入り口であって、後日談だからなのか、この恋の切ない結末をこの時点で既に示唆しているんですよ彼は。
「入り口」というやや遠回しな言い回しですよ…切ないひと夏が始まりますよ…
そしてここでの「You know…」は文末にきているので相手に同意を求める意味になります。「僕は切ない恋をしたいつもと違う夏だったよ、そうだったよね?」と「君」に問いかけるわけです。
1番Aメロ歌詞。ここでの「オレンジ色・太陽が似合う君」が先ほどの「色の鮮やかさ・日差しの強さ」と繋がっていて、歌詞で示唆された主人公の見る世界の眩しさと色鮮やかさの情景を「君」を通してより具体的に描写しています。見事な回収ですよ秋元先生。
文体も「太陽が似合うのは君だ」で「君だ」を最後に持ってきて強調しているのが特に好きですね。君こそが太陽が似合う子なんだと。陽に照らされたオレンジワンピの「君」が眩しいよ…
Bメロ・サビ歌詞。主人公の目を通して見た「君」の特徴や行動。まぁ確かに不思議な子ですね。描写から主人公が好きな子をしっかりと見ているのが伝わりますね。テーブル下見るか普通?笑
男友達として一緒にいることはあるから「君」に戸惑ったり振り回されたりするけど、まだ「君」の全てを理解できてはいない。そして戸惑いや疲弊の描写から、主人公は周りをよく見るからこそ自分も色々な人の目を気にする真面目そうな人という印象が伝わります。主人公は私なのか??
そして当noteのタイトルでもある「それでも君に恋をしてる」という名歌詞。「それでも」というのは「君」が不思議な子であっても振り回されても好きだということ。恋って良いですね(?)。
私が特に良いと感じるのは「恋をしてる」という本当に当時の乃木坂らしくて慎ましい表現です。よくあるアイドル恋愛ソングなら大抵「君が好きだ」などとストレートに想いを(頭の中含め)ぶつける訳ですが、「恋」なんですよ裸サマは。
好きが主観的な感情で情熱的なのに対して恋というのは客観的で冷静なものだと私は考えています。「僕」は「君」に「恋をしてる」と、どこまでも自分を客観視できている主人公像ですし、好きに比べて婉曲的で控えめな「恋」という表現を使うのがとても慎ましくて私は大好きです。
この冷静さと慎ましさこそ、落ち着いていて清楚な、そして少しの影を感じさせるかつてのグループの雰囲気、そしてセンターの子とよく合っていたと思います。齋藤飛鳥はいつかののぎおびでストレートに「好き」が言えずに「好いています。」と照れて濁したような子ですし、乃木坂らしさの真骨頂のような曲である『君の名は希望』の透明人間だった主人公も「恋」なんですよ。この好きの一段階前、完全には素直になれない感じが愛おしいですね。
近年の乃木坂の歌詞はとても素直になっていてストレートに好きと伝えたり、情熱的だったりしますが、やはりこの控えめな雰囲気も当時のグループを知っている者からすると良いものです。
2番ABメロ歌詞。「君」の大勢いる男友達の一人が主人公。葛藤がよく伝わりますね。one of themじゃないか主人公よ…
そして「君」との関係性が崩れることを恐れて告白はせず、現状維持を選んでしまうあたり、猪突猛進タイプの男が多い恋愛ソングの主人公らしくないし、立場を弁えてしまうのが現代っ子っぽくて本当に彼が好きです私は。良く言えば慎ましいですが悪く言えば意気地なしなんですよね笑。
2番サビ歌詞。告白はできないけど君と一緒にいたい。周りを気にする真面目な主人公が、君に少しでも振り向いて欲しいのかそれならと吹っ切れて裸足になるシーンは涙を禁じ得ませんでしたね。(何かが見えているヲタク)
裸足になるし、どこでも歩いていくし、何だって付き合うし、「君」への愛おしさだけで添い続けようとしている主人公ですよ…お前絶対幸せになってくれよ…
君の前では素直になれるけど、本当にあともう一段階、目の前の欲しいものである「君」に好きと言う素直さと情熱がここで足りてないんですよ主人公は。
いつかじゃないよ今なんだよ!!気持ち隠すな!!そこで慎ましくすな!!
もう私友人の告白を全力で応援する高校生みたいになってますよ。でも失敗して関係性が崩れるのを恐れているんでしょうね。冷静過ぎて後先考えるタイプだ…
Cメロ歌詞。曲冒頭の歌詞と対応しますね。メロディーも一番エモーショナルな部分です。
「誰も」ではないので「僕」以外に気付く人もいるかもしれないけど肝心な「君」はやはりまだ気付いていない。これまで主人公は自分以外の情景を中心に語ってきましたが、ここでほぼ唯一と言っていいくらい自分自身のことについて語るんですよ。素直に想いを打ち明けていないから当然「君」は気付きもしないけど、こんな自分の恋心にも気付いて欲しいと「僕」は思っていたのかもしれません。
もう情景描写が秀逸です。触れた指の引っ込め方、「あっ…」という声が聞こえてきそうですし咄嗟に目線を逸らして俯く主人公の姿が浮かんできますね。恋をしてからぎこちなさで自己嫌悪してしまうくらいだけど、そのぎこちなさが本当に愛おしいよ主人公くん。
そして客観的な表現であるぎこちなさも「I know…」という一言で自分の状況が分かっているんですよね彼は。
もう一つ。冒頭で「You know…」と「君」に問いかけた訳ですが、想いが伝えられていないから相手は気付かないし当然返答は無いです。君は気付いていないから世界の色鮮やかさとか動きのぎこちなさを知っているのは僕だけ。結局、切なさも、いつもと違う夏も、感じていたのは僕だけだった。片想いの僕だけの世界だった。「I know.(そんなこと分かっている)」と。
「You know…」と「I know…」は主人公の自問自答、結局自己完結なんですよね。
男友達が多い「君」への内気な「僕」の非対称の片想い。叶いもしない切ない恋になるということを初めから予期していたんですよね彼は。
ラスサビ歌詞。「それでも君に恋をしてる」、それでも君に恋をしてるんですよね…「君」という片想いの対象はいるけど、結局ほぼ自分の内面の葛藤だけで夏が終わろうとしている。気持ちは打ち明けられないしライバルもいるしこのままでは恋が実るわけない。いつもと違う夏に見えていたのは自分だけだった。それがどうした、それでも僕は君に恋をしてるんだ_______
愚直すぎますよ。締め方が美しいです。(号泣)
なんかもう1本の良い映画を見た気分です。
主人公、本当に彼女が好きなんだな。
夏曲なのにこの切ない内容と結末がこの裸足でSummerという曲の良さですね。主人公が内気で奥手な現代っ子らしくて刺さりまくってます。この後のストーリーは神のみぞ…いや康のみぞ知るですね。
いつか素直に話して絶対に幸せになってくれよ_______(筆者より)
自分で分析しながら書いてて思いましたが裸サマの歌詞は伏線(?)の張り方と回収が見事ですし、情景や主人公の機微な感情の描写が詳細で美しく、映像として見えてくるような非常に優れている歌詞です。これが秋元康の真骨頂だと思いますよ。ありがとう、最高だよ康。
これを歌詞よりもメロディーやライブの印象が先行しがちな夏曲で出している訳ですから、多少勿体無さは感じつつも、メロディーが大好きな夏曲をこのハイクオリティの歌詞でバックアップしてくれていたのはもう嬉しい限りですね。本当に良い歌詞書いてくれたよ。
エレキギターバリバリで基本的に夏曲らしい明るさのメロディーとは対照的な切ない歌詞と結末。この素晴らしいメロディーと優れた歌詞で夏の熱さも、切なさという深みも表現できているからこそ、ただの夏曲としては収まらないし、いつまでも色褪せるわけが無いんですよ裸足でSummerという楽曲は。裸サマよ、永遠なれ________
15thシングル表題曲『裸足でSummer 』
時は2016年、今となっては乃木坂46の絶対的なエースとなった齋藤飛鳥が初めてこの曲で表題曲センターに立ちます。
もう詳しくはこの2本を見て欲しいです。予告編だけでも大筋ですが流れはつかめると思います。そしてできれば製品を買って欲しい。
センター選出当時は17歳、たった2作前に初福神を経験した子がセンター。キャプテン不在、自分がセンター・全ツ座長。主人公「僕」だけでなく、乃木坂46にとってもいつもと違う夏だったわけです。特に少女にとってはいつもとは違い過ぎる夏だったことでしょう。
真夏の全国ツアー2016千穐楽神宮、裸足でSummerのCメロ。溢れる想いがあったのか、涙を流しながら神宮と声を振り絞ったあの情景が彼女の重圧を物語っていますね。その後のラスサビと花火、グループの歴史上最も美しい花火だったと思います。
2016夏は大きすぎる試練でしたがそれを見事に乗り越えたと思います。このシングルと全ツを経て、神に選ばれし美少女:齋藤飛鳥と乃木坂46のファンはさらに増え、その後齋藤飛鳥は私たちが知っている通り乃木坂46のエースへとスターダムを駆け上がっていきます。その明確な始まりの曲であり、試練のいつもと違う夏を締め括った曲なんですよ、裸足でSummerは。
紅白
本人も1期生最年少として数多のメンバーを見送ってきたからか、辛気臭い卒業よりも楽しく去りたい旨のことをモバメ等で述べています。その辺も31stの曲調や披露の形に表れているのでしょう。そして間違いなく裸サマはその需要を満たします。
でもね飛鳥ちゃん、一つ勘違いしていることがあるよ。
2016年を知っているヲタクはね、裸足でSummerでも普通に泣けるんだよ。
何より歌詞が良いし思い入れしかないしCメロとかもう嗚咽してると思うよ。
始まりの曲であり、試練の曲でもある。これほどの背景を持っている曲が齋藤飛鳥のラスト、紅白の歌唱曲に合わない訳がないんですよね。OPテーマを最終回ではEDとして最後に流すやつじゃないですかこんなの。
「”乃木坂46のエース”齋藤飛鳥は裸足でSummerに始まり、裸足でSummerに終わった。」
美しいですね。
「僕」がヲタクなら、「君」である飛鳥ちゃんは裸足でどこかへ歩いて行ってしまうのかな。想いは隠さず打ち明けるべきものですね。
それをケタケタ笑ってくれそうなのも気まぐれな「君」齋藤飛鳥ですかね。
〆
このnoteを全て読んでもなお、裸足でSummerが紅白にそぐわないと思う方はそれで良いと思います。人には人なりの思い入れがありますから。
このnoteを読んで裸サマも悪くないな、やっぱ裸サマだなと思ってくれた方、それは幸いです。リリース当時から裸サマを愛してやまないヲタクとしてとても嬉しいです。
飛鳥ちゃんラスト紅白、一体どんな形になるのか楽しみですね。
ここまでご清覧ありがとうございました。
それでは皆さんよいお年を。