闘わない人

私は、「闘わない人」というのが、よくわからない

日本人的な発想でいえば
波風を立てるのが嫌
そうやってごちゃごちゃすること自体が不快
ということになるんだろうけど
でもそれは、自分がそれに甘んじていられる限り
ということになるように思う
受忍限度を越したら、そんなこと言ってられないだろう?

だとすると彼らは
受忍限度を越すような事態に遭遇したことがないのか?
もしくは
自分が受け入れるしか術がないような厳しい状況に幼少期から置かれ、刷り込みを受けてきたのか?

前者だとすると
「おめでたい」
としか言いようがないし
後者であれば
それは物凄い怒りを自分の中に抱え溜め込んでいることになる
そしてそれは、人生のいつか爆発するであろう

あるいは
怒るだけのエネルギーもない
という人もいるかもしれない
自分の人生を自分で主体的に捉え考えて生きるだけのエネルギーを持ち合わせていない
そんな人いるのかな?
とも思うけれど

自分の上司が、「闘わない人」だった場合
それとどうやって共存することができるだろうか?
やっぱり、答えは「あなたは大丈夫かもしれないけど、あたしには無理です。自分でやってください」しか見当たらない
共存は無理
これほどまでに違う価値観に、人生に、折衷案はなし

自分で抱え込んでひたすら後処理するのは
プレーヤーならば優秀かもしれない
でもマネージャーとなれば別
部下にひたすら我慢させて
自分の代わりをやらせて
それで自分がこれまで通り安泰でいられると思ったら大間違い!
あなたと私は違う
私はあなたのためにいるわけではない

今までならばいろんな言い訳が通用したかもしれないけど
他人に対しては言い訳は通用しないのよ

古い知り合いは、私が若い頃
「人生は闘いだ!」
と言っていたという
そうは思わないけれど
それしかないならば、やるしかない
結果がどうあろうと、やれば何らかの学びはあるし、やったこと自体にに満足もできる
やりもしなかったら
世界も自分も止まったままだ
自己満足の世界への耽溺

ねぇ
何度も言う
私はこうして生きている