面接という手法
「面接」って何なんだろう?と考えていた
世の中が変わって、仕事の内容も求められる能力も変わったのに、採用選考の方法は変わらないなんて、あまりに怠慢ではないだろうか?
「面接」で確認できるスキルって、何なんだ?
そしてそれがいまだに採用手法のメインとされているのは、彼らにとって何か都合のいいことがあるからではないか?
まず、対面というのは多分に上下関係の勾配を含む
意識的にも無意識的にも、それを除外することはできない
対面口頭でのコミュニケーションとは、相手に「合わせる」ことを前提とする
対面で言葉を重ねるという手法で、あまりに異なる二者が分かり合うには、相当な回数と年月が必要である
こちらが口にした言葉が、相手に予想外の意味で取られたとき、それを挽回するのはとても難しい
つまり出たとこ勝負だし、同じような常識を共有している人間しか採れないのである
これが例えばメールだとする
必然的に1対1となり、誤解されたと思えば好きなだけ言葉を継ぐことができるし、権力勾配は薄まって「人間対人間のやり取り」となる
その中で、文章能力や、論理的思考能力、ビジネスマナーの有無を確認することもできる
盛り込める情報量が多くなり、複雑に絡み合った事象を説明することができる
質問されたその場でとっさに複数の要因を思いつくのは難しいだろうし、仮に「それには5つの理由がありまして」とか口頭で列挙したところで、全部は覚えてもらえないだろうし、相手は冗長に感じるだろう
そして、文章のやり取りが先ならば、人格の持つ「印象」に紛らわされずに、意見そのものを捉えることが容易になる
それに、面接で確認できるようなことを必要とする職種とは、今は営業ぐらいではないか?
多少見てくれが悪くたって、身なりが整ってなくたって、内勤では関係あるまい
相手の言うことを即座に理解して返せるコミュニケーション能力、頭の回転の速さだって、対面以外では必ずしも必要ではないだろう
と言うと、「文章ではいくらでもごまかせる」とか言うのであろうか?
そこに「人間」を見るならば、AIやコピペの文章が心を動かさないのは一目瞭然であろう
それに文章ならごまかせて、対面・口頭ならごまかせないのか? 違うだろう
別な能力を持つ人間が通るだけじゃないか?
仮説
・面接は、短い時間で相手を一方的に判断し、ジャッジするのに適した手法であり、コミュニケーションの手段としては偏っている
・面接で確認できる能力等は、実際の業務遂行に必要な能力等と必ずしも一致していない
・面接の場では、権力勾配を脅かされることがなく、安心して質問ができる
・採用選考が終わった後、コミュニケーションを断つことが容易である
・人格と意見を同一視しやすい手法である。相手が話している内容をどう取るかが、相手の見てくれに左右されやすい
・記録が残らないので、その内容について後々責任を負わなくてよい
・多対1が可能なので、さらに心理的圧力をかけることができる
・多様な人材を採るには不向き
多分、目的が異なるのだろう
彼らが見極めたいのは「人間」や「能力」ではない
もしそうであるならば、こんな質問はしてこないし、こんな手法は採らないであろう
それがわからないというのであれば、日本の会社に論理性などないし、社内にそんな人材はいないし、それを求めてもいないのだろう