不必要⇔やりたい

わたし的にはしばしば直面する問題なんだが
会社は「必要ないからやらなくていい」と言い、
でも私は「やりたい」と感じているいう葛藤
そして、日本人って嫌だなと毎度思うのは
この「やらなくていい」を、ほぼ「やるな」の意味で使うこと

「必要がない」「やらなくていい」というのは、わたし的には
「必須ではない」ということだと思うのですよ
もちろん、「会社の仕事なんだから、不必要なことはするべきじゃない」ということはわかってる
でも、あたしが思ってるのは、「それは本当に不必要なことなの?」
で、「やりたい」という、この理屈じゃ片づけられない思いを、どうしたらいいの?

会社が、インボイス制度に対応する「必要がない」のはわかりました
でも上司は同時に「現時点では」「優先順位をつけています」という留保も記している
ということは、いずれの時点かはわからないけど「必要が出てくる」ということだし、「やった方がいい」ということだと思うのですよ
日本語解釈間違ってます?

必要性はゼロではなく、他の問題との兼ね合いから重要性が低いと判断して今保留にしているだけ
と読める
この、「ゼロかそうじゃないか」ってのの違いは大きいと、私は思う

それから
社員への教育、みたいな観点からはどうなのかな?と思う
そりゃ会社は教育機関ではないし、それぞれの会社の事情があって、そんなことは考えなくていいんだろうけど、「制度に対応した業務を学んでいないこの会社の人たちが他の会社に行ったときにどうなるの?」と私は考えてしまう
いずれにせよ「できるならばやった方がいい」っていうのは一緒じゃないの?

「やった方がいいならばやりましょうよ」というのが私のスタンス
できなくてどうしようもないならしょうがないけれど
そうやって将来を見据えてベターを目指すのが本来の組織のあり方だと思うし、問題の捉え方だと思う

帰りに上司は
「こないだまで○○空港に担当がおってんけど、いなくなっちゃったから不便になったんだよね」
と雑談する
その一言であたしは悟る
ああ、この人こうやって行く先々で個人的な関係作って、それでわたってきちゃった人なんだ
つまり、一般ルートを通ってないので、常識がない
そして、すべては交渉事、それが楽しい
そういう人なのだ
全体のことなんて考えられない

そうやってすべてを交渉で済ませられちゃう人がいなくなるのに
そのルールだけは会社の方針として握ってるってどうなの?っても思う
おまえにしかできないこと強いるなよ
自分勝手、中途半端、無責任
後の人間が後の体制のもと方針を定め考えるのを阻害するって、老害でしかない

あたしはルールがあると思って、ルールがあることを拠り所に生きてきた人間だ
「全ては交渉事」の世界なんて耐えられない
まるで、強者vs弱者
人生の違いが如実に露呈する

今日の研修では上司が
「無駄な豊かさの追求」
みたいなことを書き、社長が
「女性の台頭」
と書く
何なんだ?と思う
女が男と同じ土俵に上がれるよう機会均等を目指そうという世の中になったら、それは「台頭」なのか?
んで忌々しげに記すその「豊かさ」とは?

「心理的にも、感情的にも、どうしてもやりたいという深い欲求を感じることをやるべきです。それが私たちの力の源泉であり、輝きの源泉です。私たちの力は合理的に、あるいは計画的に喚起できるものではありません。それは神聖な摂理の賜であり、神の恩寵です」

あたしは生きたい、活かされたい
行く先々で、「それはおまえの勝手、わがまま」「それはおまえだけだ」と言われたくはない
だいたい、インボイス制度への対応がなぜ、「個人的な欲求、わがまま」になるというのだ?

私の意欲をそのままに活かしてくれる場所
それを見つけたい