甘納豆きっかけで思う
実家の母から電話があり、荷物を送るけど何か欲しい物はないかと聞かれました。
焼肉のたれや納豆などいつものソウルフードをたのみ、ふと思いついて豆ある?と聞きました。
「…古いけど大豆あるよ。花豆はいる?」
と母。
そういえば最近、甘納豆が食べたいと思い、作れないかな?と考えて少しだけ調べたりしていました。それを話すと母も甘納豆作りにのってきて、アイデアをお互い言い合いました。
「でもたくさん作っても保存効かなそうだよね、だから結局は小分けの、あのでん六のとかがいいんじゃないの?」
「あれね…そういえば、あなたの出産の手伝いにアパート行ったときにあれがあって。手を出さないようにしてたけどついつい食べちゃって。私は自分では買わないけどね。覚えてる。」
そのやりとりに、胸がズキンと音をたてました。
そうだったんだ。
私は覚えてないな。
私、多分、おかしくなってたから。
息子を出産し、退院から一週間後ぐらいたったころから、母が私たちのアパートに泊まりで手伝いに来てくれていました。
当時、母は65?66歳?
狭い古いアパートで、気が立った娘(私)の厳しい要求、やつあたり、旦那への遠慮。
土地勘の全くない場所での1ヶ月。
私は、本当に本当にカリカリしていました。
今はよくわかります。
そんなに何もかも頑張らくて良かったのに。
赤ちゃんがとてもとても小さくて。
すぐに消えてしまいそうで怖くてたまらなかったです。
大切すぎて、自分にゆだねられているという重圧に押しつぶされそうでした。
だから赤ちゃんを離せなかった。
体温はあるか?息はしてるか?
常に見て、抱っこして、生きていることを確認していないと心配だったのです。
一滴も出なかった母乳にも苦しみ、母乳外来やら良いという食べものやらネットで調べまくり、結果、悩んで寝れないという悪循環によって精神的にも肉体的にもギリギリでした。
「あんた、完璧主義なんだよ」
母には何度も言われました。
出来ないのにやろうとする、私の悪いところ…
常に寝不足でイライラ、ボサボサ頭に不機嫌で険しい顔の娘。
そしてギャンギャン泣きまくる赤ちゃん。
息子は大きな声で良く泣きました。
普段から甘党の母、甘納豆でも食べないとやっていられなかったことでしょう。
母が自宅に帰り、そして半年ほど経った夏に息子を連れて実家に帰りました。
その頃にはお世話にも慣れ、母乳もなんとか出るようになり、安定してきた私。
ちょっと見ててねと息子を母に預けると、抱っこする母の嬉しそうな顔。
そんなに嬉しい?
私、あの頃、母に息子を抱っこさせただろうか………?
申し訳無さで胸が痛い。
昔は保育士だった母です。自分の孫、抱っこしたかっただろうに…
なんか、ごめんね、お母さん。
今、息子は小学生。
母もまだ元気、今でも息子をとてもかわいがってくれます。
幸い時間とチャンスは残されています。
母にもっともっと、息子を見てもらおう。
成長に立ち会ってもらおう。
改めて、心に強く、強く。