「君たちはどう生きるか」は何を問いかけているか

□はじめに


ジブリの新作映画を観に行きました。
一切宣伝がないことで話題になり、いきなりの封切りに当日駆けつけに行く人をTLで観測し、その後もネタバレやストーリーの雰囲気さえも徹底して伏せられて噂になっていたので、ネタバレを観る前に観ないとと向かったものです。

予告や宣伝がないことで、制作側が特にどこを見所だと思っているか、見せてもいいと思っているか、何を伝えようとしているかが不明のため、テーマや伝えたいことが感じ取れたかがわからず、感想もネタバレを防ぐため何も流れてこなかったので、自分が感じた・考えたことをきちんと自分の言葉でまとめておいたほうがいいだろうとnoteを書いています。

※全編に渡りネタバレを含みます。
観ていないとわからない書き方をしています。
よくできた考察ページではなく、ただの個人の感想メモです。


□舞台について


日本の戦時中という現代に地続きの舞台で、風立ちぬやトトロのような物語かと初めは思いました。
戦争を体験していない世代から見て、歴史の資料をめくらなければ思いを馳せることもない、近代らしさと昔らしさが混ざり合う世界観は、スタジオジブリが得意とする時代背景です。体験しているから作りやすいのか、伝えなければならないと思い描写しているのか。
制服と着物、車と手押し車など、どんな方向性の展開をするかわからないこの時点では文化が少しむかしと感じる時代の映像は貴重だな〜と感想を持ちました。

□主人公マキトについて


主人公・マキトの心境がしんどそうで複雑なはじまり方で、どうストーリーが展開されるか予想がつきません。
オープニングが始まってモノローグで語った以降、新居の部屋で目覚めるまで彼は一言も発さなかったのですから。
母が亡くなったこと。
新しい母ができたこと。
すでにナツコの腹に子どもがいること。
父とナツコに息子を煩わしく思うような思惑はないけども、子どもには重たい環境変化だろうなと想像がつきます。母が亡くなって胸を痛めているのに、父は再婚する。それも母とそっくりな母の妹と。母の面影を追っていると感じるか、母のことをおざなりにされたかのようなショックを受けるか。頑なな表情からして、好意的な解釈はまだ難しいだろうなと見受けました。
まだ思春期の少年には昇華できない感情です。

マキトはいい子です。
だから新しい環境も新しい母へも攻撃的な態度は取らなかった。わがままも言わなかった。母や使用人は優しい。環境は恵まれている。でも心を開くこともしない。
ナツコは厚い壁を感じていたはずで、新しい母と子の関係性を1から作るのだから、ぎこちないのも当たり前のことだと真摯に心を砕いているようです。ただ明らかに距離がある態度にストレスを感じて不安定になるのも仕方ないでしょう。それはエンディング前のマキトに放った、きっと「言わないようにしていた言葉」にすべて詰まっていたと思います。閑話休題。

怪我をしてみせたのも心配させて気を引きたい子ども心なのか、捨鉢になって針を立てているハリネズミ状態なのか。理解してほしい一方、理解されてたまるものかという頑なさを感じます。
安心したのが、父親もめいっぱい心配して、決して彼をおざなりにしているわけではなく、真剣に愛しているのだと態度でわかることです。
ナツコとマキトとトキコが行方不明になって、理性的に指示を出しながらもがむしゃらに探し回ろうとする父親の振る舞いが、全身全霊でふたりを愛しているのだと表現されていてほっとしました。
父も、ナツコも、マキトを愛している。おそらくマキトもそれを分かっている。けれど納得できるかは別で、その心持ちをどう昇華するかという話だったのではないかと、まとめながら思いました。

□おばあちゃんたちのマスコットらしさ


お屋敷の住込み使用人たちは何者か。
カンタのおばあちゃんのような可愛らしさではなく湯婆婆のようなコミカルさと記号的な要素がデフォルメされてぎゅっと詰められていたので、初登場では妖精や妖怪的な何かかと警戒しました。ふつうの人間なんですね。そのマスコットらしさは、後半のファンタジー世界においてまさにお守りという記号的なモチーフで登場します。
冒頭では戦時中のエッセイ的な物語だと思っていたので、ずいぶんデフォルメされたアニメみたいなキャラクターが登場するな、と奇妙に思いびっくりしたものです。映画のポスターからも鷺がキーキャラクターで、ただの鷺ではないことはわかるのですが、中盤から完全なファンタジーに移行するとは思わず、呑み込むためにラグがあったので、お守りが現れてからマスコット性のキャラクターデザインに納得する不思議な現象が起こりました。
別世界と現実世界がつながっているというメタファーであったかもと思います。

□別世界ってなんだろう


別世界のことはまったく考察できておらず、黄泉や魂の世界、時間軸を超えた平行世界などの要素が混ざっているものだと思っています。
平行世界や思想による世界線の分岐などが私自身の思考回路に自然とあるので、世界観を不思議だなと思いつつそのまま受け入れてしまい、どんな考察や解説があるか気になっています。
魂が生まれにいくシーン、ナツコが産屋にこもること、大叔父が世界を安定させていること、何者かの立ち入り禁止の墓地、世界にまたがっている塔の話、オウムが国を作り現実世界に出るとただのオウムになる世界のつながりなど……世界の法則が入り乱れていて、ひとつひとつ分解するのは難しいです。
アニメでそれを描くには必ず理由があるはずなので、ルールがあるはずだと思うのですが……。
でも、読み解かずに曖昧に観ても、不思議で面白い世界だなと思っているので、今後噛みしめて考えるまで置いておきます。

□ヒロインは誰か


ちょうど映画を観たころ創作について課題を抱えていたこともあって、主人公とヒロイン像について方程式を当てはめて考えていたのですが、この映画ではヒロインとして抜擢されるなら少女時代の母、ヒミでしょう。ただ、別世界で一貫してナツコを追うマキトにとって、「一緒に冒険するヒロイン」はヒミだけど、「救いたいヒロイン」はナツコであったのではないでしょうか。

観終わって思い出しながらの感想なので逆算的な考察になるのですが、全編を通して激しくはなかったけれどゆるやかに主人公/マキトとヒロイン/ナツコの対立があり、どう生きるかと問いかけられているのはこのふたりです。それをヒミが導くような形であったように思います。
ヒミの立場には謎が多いのですが、少なくともはっきりと自分の意見とやることを決めていて、マキトとナツコの決断をいつだって見守り促す位置にいました。
わかりやすいヒロイン像であり、表にいながら影から真のヒロインたるナツコを支える存在という、特殊なヒロインがヒミだったのではないでしょうか。

ヒロインは女主人公という意味合いで、必ずしも主人公と恋に落ちる必要はないのですが、そういうセオリーが多いのも事実なので、恋愛に発展しないと銘打たれる存在(鬼滅の刃のねずこ等)がヒロインとして立っていると一瞬ハッとします。そうか、ヒロインて恋に落ちなくてもいいんだな……と。これは私が食傷気味だったため何倍も大げさに捉えた感想です。

□世界を選びとるとは


マキトが後継者にならず、もとの世界に帰ったシーン。
問題が解決し、ナツコとともに無事に世界に帰ったことで爽快感と達成感に満ちて終えた感覚がしましたが、よく考えるとマキトはあのときもう一つの世界を捨てたのだと、その重たい選択肢に思い当たってゾッとしました。
実際に引き金を引いたのはオウムの王でしたが、その前にはっきりと「自分は継がない」と宣言する意思が決まっていてよかったです。選べないまま決められるつらさを、マキトはすでに知っているはずなので。「選べない」という絶望にきついものを感じる私としては、あちこちできちんと考えて選んだという図が描かれてほっとしました。
再三大叔父が「世界が壊れてしまう」と告げていたけれども、責める人がいなかったことが悔いのない選択と解放感をもたらしたのかなと思います。あそこでオウムだろうがヒミだろうが大叔父だろうが、「きみのせいで世界が滅ぶのだ」となじられていたら「勝手に背負わせて決めつけるな!」と鬱屈した気持ちが残ったでしょう。正確なセリフを覚えていないので実際の言い回しはニュアンスもわかりませんが、鋭く責めるような声音ではなかったと思います。選んでほしそうではありましたが、恨みのない石が失われた時、悲嘆や絶望にくれるのではなく、大叔父は収束に身を任せ、ヒミは即座にもとの世界へ戻るために行動を起こします。そこに彼らの「選択を大事にする」感性が生きているように感じました。

世界をえらぶ、世界を捨てるというのは重い選択です。
セカイまるごと失われる――すなわちあらゆる生命の死です。
そこまで理解していたかは不明ですが、自分の人生を進む上ナツコを取り戻してもとの世界に帰るという選択を譲らない限り、マキトが選ばない側なので考える必要を感じなかった可能性もあります。自分の人生で必死なのに、余計なことを背負っている暇はありません。世界を救うヒーローではなく、家族について悩むふつうの男の子なのです。真摯になるべきはナツコ相手であって、大叔父の願いに満ちた世界の責任にではないのです。
崩れ落ちた世界がどうなったのか、消えたことでどうなったのかは不明ですが、鷺がいうようにすべて夢のような話でしょう。

□どう生きるかの結論


ナツコが初めてマキトを拒絶した産屋のシーン。
現実世界でナツコがマキトに会いたがっていた際、私室に会いに行ったものの素っ気なく立ち去ったマキトを対比しつつなぞるような対峙シーンです。
ナツコがどんなに追い詰められていたか。悲痛な叫びはマキトの頑なな初日に一言も口を聞かなかった態度を見ているとさもありなんと納得する本音でした。
そこでマキトがナツコをきちんと「ナツコ母さん」と呼ぶことで、どれだけナツコが救われたか。生みの母を忘れるのではなく、母だと上書きするわけでもなく、きちんとひとりの人として向き合い、新しい母との関係性を築こうと歩み寄った大事なシーンです。新しい息子に壁を感じて多大なストレスを感じていたはずのナツコには必要な救いで、観ていてうるっとしました。
マキトが別世界に来るきっかけはナツコの捜索だったけども、そこは義務的な感じのさばさばとした乾燥した感じがしていました。母の存在を示唆する鷺に扇動され、母のことの方が優先されていたと思います。
けれども別世界の命に触れて、母に再会して、何よりナツコの叫びを聞いて、自分だけ苦しんでいるわけではないと理解したのでしょうか。はっきりとどこからかはわかりませんが、オウムにはっきりとナツコの命を人質にとられていると明言された後半は自分の意思でナツコを取り戻したいと思って行動していたと感じました。

そう思うと、別世界のモチーフやメタファーは命の流れだったのかもしれません。
別世界において、トキコが「この世界には死者のほうが多い」というように生死が同軸にあり、殺生ができない存在がいて、彼らのために大きな獲物をさばき、おなかいっぱいになった魂が生まれるために飛んでいき、それを食うペリカンがいて……。無機物である石が人間を嫌っているので触れると怒るというのも、命がどこにあるかを問い続けているようです。石が人を嫌っているという世界観は個人的に好きですね……。あの世界がどうやってできたのか、人は昔石に何をしたのかと問いかけるような。話はそれますが宝石の国を少し連想しました。
鳥も多く命を運ぶメタファーとして扱われるし、鳥ばかり登場したので何重にも意味が重ねがけされているような気がします。

ナツコに生命の最大の象徴である命が宿っていることもそう考えると重たいものがあります。生まれてきた子供は男の子だと思いましたが、単純にヒミが帰ってきたようなものではなく、通常の流転に馴染んだ「当たり前の世界」の象徴のようで、日常に戻った感がきちんとし、視聴者が自然に映画から戻ってこられてラグがないと感じてよかったです。

□どう生きていくのか


この映画を観て印象に残った感想は、マキトの複雑な心情と、ナツコとの対立と和解についてでした。
観終わってからもなぜこのタイトルだったのか思い当たらず、こんなにどっぷり現代とファンタジーを行き来するような世界観だと思わなくて謎が謎を呼んでいたものの、「ナツコ母さん」と呼べるようになったことがすごくめでたいと感じたので、それだけは感想にしたためたいと記事を書き始めました。その経緯で、気になったことを書き出していくうちにマキトとナツコの向き合い方についての話だったのかもしれないと考察したものです。
何が言いたかったのか?と話しながら去っていく視聴者の声も聞いていたので、タイトルを深読みもできるし表層だけでは漠然としているこの映画のテーマが何だったかというのは難しいなと思います。
私としては、新しい家族や環境に向き合うにはどうするか、という話で、結論として大事さに優越をつけずラベルを変えることなのかと思いました。
マキトは母ヒミのことが大事です。亡くなる前も、亡くなってからも。
ナツコを選んだ父やその環境にいるマキト自身が母への裏切りになるのではという失望感や、おざなりにしているような罪悪感が、あの態度の裏にはあったのではと思います。
でもナツコを母と呼ぶことは、母ヒミへの裏切りではありません。
母は母として大事で、ナツコもナツコとして大事にすればいい、「母親」というラベルは一枚だけではなくてそれに執着する必要はないという話なのかなと。

□おわりに


とてもいい映画だと思います。
マキトの心情を、あんなに彼自身が言葉にせずに感じ取ったとおもったのは初めてだったので、観てよかったです。表情や描写、間などなどの技術が詰め込まれたすごい作品でした。

これは私が感じたことを言葉にしようとがんばったものなので、感想にしてはつたなく考察にしては何もないnoteですが、読んでいただきありがとうございました。

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