TRPGを引退した
TRPGを引退した。
あんなに楽しかったのに。
辞めざるを得なかったわけではないし、やめたかったわけでもないが、離れたかった。
引退を決めるまでずいぶん悩んで引きずったので、こうして当時のことや今になって整理できた自分の気持ちをまとめておくことにした。
■はじめに
テーブルトークロールプレイングゲーム(TRPG)は、テーブルを囲んで対話しながらダイスでストーリーを進める盤上ゲームだ。そのシナリオに行く予定やチームをテーブルを囲むに由来して卓と呼んでいる。
ロールプレイや探索者と呼ばれるキャラクター設定の自由度が強みで、シナリオの世界観やシナリオの管理者であるキーパー(KP)の采配にもよるが、ほとんどなんでもできる(法や道徳を遵守する前提でデメリットもある)。
シナリオも公式が出しているもののほか、プレイヤー自作のシナリオが公開されて出回り、人気を聞いて他の人も遊ぶなど、ゲームのカセットのように幅広い種類がある。
ネットが普及し、アプリやシステムが充実したこともあって、時や場所を問わずゲームをすることもできるようになった。
私もそうやって知り合った人たちと遊んでいた。たかだか1年半だが、他にはない体験ができるゲームだったと思っている。
けれど、私はTRPGをやめた。
まわりの人間に宣言したわけではないが、遊んでいた人たちにはフェードアウトしたことはわかっているだろう。
表の理由は休みが合わせにくくなったからだ。
土日休みではなく、早朝型のため就寝はかなり早く、生活時間が合わない。休みに他の予定を入れるのも難しい。無理をすることが前提になってしまうので、これ以上は厳しいと卓に参加しなくなった。
裏の理由に、次から次へと出てくる新タイトルのシナリオに疲れたのがある。シナリオは一度読むと遊べなくなる不可逆性があって、通過した人は盛り上がり、次の人に勧めるという界隈の成り立ちをしているが、わんこそばどころか洪水のように次から次へとオススメが登場し、自分が通過するまでは通過した人たちだけで盛り上がっているという、『楽しみをまだ取り上げられている感』や『注文していないパフェが山程くる』みたいな圧迫感にしんどくなったのがある。
まあ、これは所詮表向きの話だけど。
理由は様々だが結論はシンプルで、処理能力を超えてしまってしんどい。うまくいかなかったときの反省や落ち込みがつらい。
諸々あってかなしい話だが、折り合いがつかなかったので引退することにして、ようやく心は落ち着いた。
■TRPGを知ったきっかけ
TRPG、特にCoC(コール・オブ・クトゥルフ)を知ったのは、好きな実況者が配信TRPGに参加した動画に触れた時だ。かなりの長編、大ボリュームのシナリオで、前編後編に分かれても配信が一本6時間〜9時間あるような話だった。
映画を見るより覚悟がいる長さである。
私が触れたときはすでにアーカイブだったので止めたり再生したりすればいいものの、一気に見なければ浸ることは難しいと考え、休日の何もない空き時間を作って一気見した。
面白かった。
愉快な人たち(プレイヤー/PL)が自分の半身となる探索者(キャラクター/PC)を使ってドラマを繰り広げているのだと思った。
のちにこのロールプレイの塩梅はKPもしくはGM(ゲームマスター)がしていると知ることになるのだが、普段のPLとはまったく違う演技をするPCたちが面白くて、その考え方や決断もいろんな味がして、同じシナリオに別の人が参加したもの、同じ人たちが別のシナリオにいったもの、タイマン(KP対PC)シナリオなど、好きそうなものをこぞって見始めた。
今も、好きな人たちがシナリオに参加しているのを追うのは好きだ。
■自分も参加する
実況者が配信していることで、その実況者やシナリオを知っている同クラスタのフォロワーから、一緒にやってみないかという話が出た。
すでに長くやっている人、初めての人、半々くらいで参加が決まり、私は慣れているKP,PLに教示されながらシナリオに参戦した。
このnoteは私が引退した話になるが、相性が悪かっただけでハマった頃は間違いなく面白かった。楽しかったので、私は丸1年夢中になって休みには卓の予定を入れ、すでに熟練の探索者であった別ジャンルのフォロワーたちからの誘いを受けていろんな世界を旅した。
ダイスの出目で転がされるのも、シナリオに転がされるのも、KPの塩梅にジタバタし、PCたちの言動に一喜一憂するのも楽しかった。
本当に楽しかった。
■PC/PLとの乖離
CoCはPCとなる探索者のプロフィールをダイスで決める。
年齢、学力、身長体格、精神力や体力まで、ダイスの出目で決めねばならない。
シナリオによっては補正があったり指定があったりするが、ダイスが決める以上イケメンで高身長で頭脳明晰で……という勝手な設定はできない。代わりに例えばsize(=体格、身長)がMAXは筋骨隆々2m規模の体格になるが、pow(精神力)が低いので弱気になる、のような味付けは自由だ。説得力のある理由が添えられていれば、KPは通してくれる。
故に、「いろんなキャラクターが作れる」メリットと、「自分が作りたいキャラクターは作れない」というデメリットが共存する。
私はこのPCの作り方を、創作のキャラクターを作るときの参考にできると思ってTRPGを始めた。自分では作らないタイプのキャラクターをどうやって作るか、どう動かすかの勉強になると思って。
結論からするとあまり参考にはならなかった。
私はPLとPCが分けられないタイプだったので、冷静な(設定の)キャラクターを動かしていても攻撃だ!と思ったときにはダイスを振ってしまうため、考えたキャラクター構築がほとんど無駄になってしまうのだ。
ボイスチャット卓、テキストチャット卓など遊び方によってもロールプレイは左右されるが、仲のいい人たちと遊んでいい場において思考が口と直結してしまうため、シリアスを振る舞うのがひどく難しかった。
話すのが得意ではないし、口が回らないし、そもそも自分と別のタイプのキャラクターが何をどう考えてうごくのかわかるわけがない、と落ち込んでしまったのがしんどくなった理由のひとつ。
一方で自分と違うキャラは動かしやすい、似ているキャラのほうが動かしにくい、と述べるPLもいて、いろんな人がいるものだなと感心したのを覚えている。
■RPのやり方
時々TRPGで話題に上がるのが、ロールプレイのやり方についてだ。「彼は〜〜といって動きます」宣言型もいるし、「〜だろ?」と台詞を述べるPLもいるし。
十人近くTRPGの民がフォロワーにいて遊んでくれたので、人によって違うというのを体験できたのはよかった。
やり方はいろいろあって自由だった。
でも、私は自分のやり方が好きではなかった。
脳筋を作るときはいいけれど。
脳直でキャラクターを動かしたくなかった。
特に昨今(何年の範囲を示すか不明だが)シナリオ自体に特殊な設定や世界観を持つものが多く、しばしばPCが人間でないこともある。
クラシックと呼ばれる、公式が主軸となる初期のシナリオは、探索者と呼ばれるプレイヤーたちは着の身着のままのごく普通の一般人で、何かに巻き込まれてしまうというストーリーが鉄板だ。
そこから発展し、今のシナリオは近未来であったり古典の中であったり、ファンタジーの世界であったり、個々に秘匿と呼ばれる裏設定を持つことも多い。秘匿はストーリー開始時点で他のメンバーにはふせられ、ストーリーの進行によって明かされたり、もしくは隠し通すことを厳命される。その公開塩梅がまたドラマを作る。
その世界観や秘匿を踏まえて考えることの楽しさったら!
そしてそれをぶち壊すのが自分のロールプレイだという失望感だって。
黙ることができないわけではないし、台詞を練ることもするけれど、どうしてもPCの言動の隙間にPLが出てきて、その空気をPCが引きずってしまう。切り替えができない。温度差がひどい。
同卓の人は気にしてなかったし、いろんなタイプがいるという話も聞かせてもらったが、動かしている自分がいちばんいやだった。
解釈違いというやつである。
自分のキャラなのに?
解釈違いなのである。
私が創作をするときは、キャラクターと自分が完全に切り離されている上、セリフや行動を文字に起こすラグがあって、その間に推敲が行われる。
テキストチャットの卓ではわりとロールプレイはキャラクターには寄り添えるが、逆に中の人の思考がズレて表明が難しかった。
ボイスチャット卓は上記の通り、思考が直結してしまうためロールプレイが意に沿わなくなる。芝居をする気恥ずかしさが口の端に誤魔化すための笑いをしのばせてしまうし、謎解きとロールプレイの思考回路が違うので両方に集中できない。
学芸会のような演劇であれば、メンバーは皆同じ舞台に立っているし、台詞や動きに集中し謎解きなんて考えなくてもいいから、恥ずかしさや照れくささを感じずにおける。同じ熱量がなければステージが作れないから。でも通話ツールとネット環境の部屋では、遊び方のタイプが千差万別なこともあって熱量がまったく違う。PCとは別にPLが発言することも多々あって、スイッチの位置が決まっていない。その微調整が、自分ではできなかったということなのだろう。
ハマったきっかけの配信者たちがロールプレイが上手だったこともあって、自分はどんどん落ち込んでしまった。
■熱と温度差
探索者は極限、ステータスとスキルが振られたデータがあればいい。用紙一枚でできるゲームである。
それがネットとアプリの発達によって、凄まじい舞台が用意されることになる。
ムービーのようなものさえ出来る。
これは部屋(そのシナリオを回すためのページ)を作るKPの熱量によるが、素材を配布する人、音楽を作る人、絵を描き下ろしたりそもそもシナリオを書いたり等、凝れるところは密度がすごい。
私が参加した卓は大多数が絵描きだったこともあって、自分のPCを描きあげることがほとんどだった。
絵が描けない私は、No Dataかもしくは着せ替えアプリでキャラクターを作る。
フォロワーが描いてくれることもある。
それが嬉しくて堪らなかったが、それも数を重ねると申し訳なさが増してくる。
キャラクターの絵一枚あるだけで立派なのに、ダイスを振るゲームであるから成功/失敗判定があり、ロールプレイの醍醐味として感情が載るので、差分を大量に用意することができるのである。
多い人ではノベルゲームばりに何十種類と差分を用意していることもあって、何も用意してない、できない、ロールプレイさえうまくいっていない自分への失望感が増していく。
善意で描いてくれるのだし、遊ぶ仲間だから協力してくれるのだが、その熱意に気後れして、結局やる気は負けてしまった。
勝手にプレッシャーを感じて、勝手に潰れてしまった。
最初にしんどいと思った点はここだった。
■TRPGの醍醐味/遊び方が合っていない自分
TRPGをやめたいと思ったことはなかった。
ずっと楽しかった。
絵を描けない分、終わったあとにファンアートの文化にのってSSを書いたりもした。
でもシナリオの流れは早く、処理に時間がかかり噛みしめる余韻がなければ整理もできない自分は常に焦っていた。
謎解きや推理すら得意ではなかったので。
盤面の整理を呑み込むことすらやっとだった。
イラストの差でプレッシャーを感じてしまい、深く推理することも苦手で、ロールプレイは自分にダメ出しを行う。他の人が楽しみにして差分を用意する間、何もやっていないし(本編を楽しむためだけにいるので)事前に準備をする気もないという態度が、やる気の有無や熱量の違いのように思えてしまう。部活の惰性でやっているスポーツを、本気でやっていますかと問われるような見当違いの温度差を見せつけられている感じ。
遊んでいるだけなのに。
うまくおんなじように遊べない。
気づかないうちにストレスになっていたのだろう。休みが合わないうちにタイムラインでは次々他の卓が成立し、冒険にでかけ、未通過の人はネタバレになってしまうから読んではいけないというポストが増えていく。
自分には読めない外国語のチラシが丸められて部屋に溜まっていくようだった。
通過していたら楽しい話題になるはずのそれは、それを読み解く体力と気力と時間がない自分にだけゴミになっていく。
人が楽しんでいることを楽しめない。
それが心底しんどかった。
他の遊び方も考えてはみた。
しかしKPとしての適性もない。部屋を作るのも苦痛だしシナリオだけを見てもおもしろさがわからない。
シナリオを書くことも無理。どこまで埋めてどこを任せるものかまったくわからない。
第三者視点で見ているのがいちばん気楽。もう無理だなと、どこかで諦めてしまった。
■おわりに
TRPGの話題をミュートした。すべて。シナリオのタイトルは突飛に略されることも多々あり、何について話しているかわからないものばかりだったが、片っ端から話題を閉じた。
それでもタイムラインは関連したフォローばかりだったので類似ポストが流れ、それを眺めるのすらしんどくログアウトすることで離れたりもした。
以前は通話ツールで連絡を取り合っていたいくつかのグループも、生活時間が合わなくなったことを理由に一切参加しなくなり、最後に誘われた卓に参加したあと界隈を離れた。
その界隈が盛り上がっている限り、もう遊ぶこともないだろう。
それでも私はTRPGが好きだった。
配信者の動画は見たいと思うし、自分が通ってきた、あるいは視聴してきたシナリオは楽しくて大事な思い出だ。キャラ変になってしまったが、シナリオを通して絡んだ他のPCたちのと関係性だって大好きである。
通過した瞬間ではなく遅効的に考えるので、長い間シナリオを噛みしめて、時々SSを書いたりする。
それも、次々にシナリオに参加するタイムラインには参加しないくせに昔のことばかり流して迷惑だろうなと思い、あげていない。関わられても困るだろうなと思うので。
私は引退し、TRPGの話題をミュートするくせに、今も大事に好きな話を抱えてずっと考えているのである。
いやになったから引退したのではない。つらいことがあったわけでもない。界隈で時たま起きる学級会に近い問題さえ起きたことがない。
解釈違いや勘違いはあったはずだが、断絶するものはなかった。
けれどもう、私はあの遊び場では遊べないのだなと思う。
私の遊び方は間違っていた。
受け取るはずのものを受け取れず、流せばいいものを必死に噛んでいた。
それをまるごと置いていくことにした。
楽しい思い出。たくさんの本のように、その表紙を指で引き出す時が来たら。
あのときしんどいと思って離れた気持ちも、報われるだろう。