短編小説 唐津にて
そこまで綴ると先程の地酒が回ったのか、眠気が差して女は筆を置いた。
翌朝、和装の女は唐津の城下町を二日酔いのままそぞろ歩く。
武家屋敷通りはまだ人気が無くがらんとしていて、朱塗りの下駄の音が から、ころ、からと玩具のように石畳の上に響く。
ときに立ち止まり、ゆっくり横を向いて塀の上の猫をぼうっと眺める女は科をつくる芸妓のようだったが、合わない枕で首を寝違えていた。
通りの郵便局で女は切手と封筒を買った。
昨夜の便箋を綺麗に畳み、その封筒に収める。
美しい虹の松原の海岸線が描かれた切手を湿らすと、丁寧に封筒へ貼り付けた。ふうと息が漏れる。折目正しく纏められた封筒を見ると、女は心が満たされていく。
「一通お預かりしましょうか」
局員が声を掛けた。
「いえ、これは…」
女はそう言うと封筒を懐に仕舞い、郵便局を後にした。
旅籠へと戻る女に茶屋の売り子が声を掛ける。
「いかがですか、松露饅頭。可愛いんですよ」
誘われるまま女は暖簾を潜った。
土産物と漬物の匂いの雑多な一画に腰掛けると、売り子が甘味と茶を運んでくる。
「しょうろ、まんじゅう?」
「ええ、美味しいですよ」
まん丸としたカステラのような一粒。
口に運ぶと中にはこし餡の素朴な味。特段どうという物では無いが、落ち着く甘さだった。
「どうぞごゆっくり」
女の口元が少し緩んだのを見て売り子はその場を離れた。
朝日に茶の湯気が柔らかに立ち昇る。
ごゆっくり、か。
あの時男について行ったなら、こうしてひとり旅先で穏やかな午前に甘えることなど無かっただろう、と女は思う。
愛した男との逃避行は胸の静寂を騒がすが、女が今の暮らしを捨てる筈もなかった。烏賊も旅籠もこの饅頭も、全ては親の金なのだから。
ああ、日が眩しい。お茶美味しい。
唐津の空はどこまでも透き通っている。
女は大きく背伸びをした。
出すつもりなど端からなかった。
女はそうやって手紙のなかに浸っていたいだけだった。
一月後、女は再び筆を取る。