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人間は絶え間なく未来に向けて自己実現をする存在



未来と過去、行けるならどっちに行きたいですか?


この問いに、
あなたならなんと答えますか。




「人間は、絶え間なく未来に向けて自己実現をする存在」

タイトルにも記したこの言葉は、キルケゴールのものです。

キルケゴールは、
人間は自由を手にしたことで、
無限の可能性を持つ未来を前にして
不安を感じるようになった、と考えました。


彼は、
選択するということへの不安、
無限に広がる可能性への不安、
それらの「不安」に絶望したのではなく、
「不安」は、自由であることの象徴であり、
未来への原動力になると考えました。

それが、自己実現に繋がるということです。


キルケゴールって、生きてく中で、
案外、前向きになれてたのかもしれないよな、、

と、少し救われた気持ちです。




キルケゴールの不安に対する考え方は、
概念的な、本質的な考え方だと私は思いました。

では、実践的には??
不安とどう向き合って行けば良いのだろう。


最近それをずっと考えていて、
やっと少し、答えが見えてきました。



私は今まで、
時間の経過をあらわす1本の道があって、
過去一現在ー未来という風に繋がっていると考えていました。

つまり、過去という点があって、
私は現在という点に立っていて、
前に道が広がっていて未来という点に繋がっている、ということです。


最初に尋ねた、
過去か未来どっちに行きたいかという質問も、
きっとその考えが前提となっている。


けど多分、未来なんていう点はなくて、
存在しないものなんじゃないか?と気づきました。

1本道なんかじゃ全然なくて、
でもたくさん道があって選択によって未来が変わるというのも違くて、

未来なんてものは存在しなくて、現在から見た景色は、何も無い状態。真っ黒の景色が広がっているだけ。な気がしています。


現在という今ある点も、後ろの「ある時点」から見れば未来だった訳で。

現在は、「ある時点」から存在していた未来ではなく、
現在という点が繋がった先に出来上がったもの。


未来という言葉がややこしくて、
未来が存在しているように感じてしまうけど、

そもそも存在しないものに名前をつけたのが、
未来だと、今は考えています。



だから、未来に対する不安というものは、
存在しないものに対する不安ということ!
そう思えたら、なんだか先のことを考えるのが
アホらしく思えてくるような??


そんなこと言っても、考えてしまうのはやめられないんだけどね。

でも未来が不安で、
考えるのが辛くてやめたい時に、

あっぶね、存在しないものに翻弄されてたわ、
決まってもいないものに巻き込まれてたわ、

と、思えたら。


苦しい自分を、少し救えるような気がするのです。





念を押しておきたいのは、

未来のことを考えてワクワクしたり、
大切な人との予定を決めたり、
そういうことを否定したいわけではないということです。


つまり、言いたいのは、

未来のことを考えることで不安になると、
それでいっぱいいっぱいになってしまうと、


今そこにあること、
今の自分、今向き合ってる相手、
その全部を吸収して、見つめて、考えることが
難しくなってしまうんじゃないかな、ということです。


少なくとも私にとっては、
未来のことを考えるよりは、
今の自分に嫌われないこと。
今の自分と優しさで向き合うこと。


それを大切にしようと意識するだけできっと、
少し楽になれる気がしています。

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