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IT思い出話(17)
Y先輩との出会い
私が新たに配属されたチームはのマネージャは、Yさんという同じ出身大学の先輩でした。チームは、Yさん以外全員協力会社の社員ばかりでわが社のプロパー(生え抜き)は誰もおらず、Yさんは早くプロパーを入れてほしいと再三部長に懇願して、やっと新人の私が配属ということになったのです。
このチームのメンバーは全員協力会社とはいえ、皆しっかりとした技術の持ち主で、私としてはとてもいい環境でした。そして、皆それぞれ個性的でとても楽しい職場環境でした。
Y先輩とはその後長くつきあいが続くことになるのですが、これはまた今後お話しする機会があると思います。
素晴らしい開発環境
新人の私は早速プログラミングの仕事を与えられたのですが、このプロジェクトでは新しいプログラミング言語を学ばなければなりませんでした。
それは、コボル(COBOL)というどちらかと言えば事務処理に向くように作られた言語で、当時はものすごく広く使われていたものでした。
今でこそ、開発言語の主流は違うものに移っていますが、コボルはまだまだしぶとく生き残っていてまだまだ現役の言語なのです。プログラミング言語については、語り始めるといろいろと話題があるのでこれもおいおいお話していく機会があると思います。
コボルは、研修や前のプロジェクトで使用していたアセンブラに比べれば、はるかにやさしい言語だったので、習得については特に苦労することなく、すんなりとプログラムを書くことができました。
さて、前のプロジェクトでは使える開発用端末の数が限られていて、一人で長い時間占有することはできなかったのですが、このN社の環境は違いました。
端末が設置されたフロアには数十台の端末がずらりと並んでおり、特に予約することなく使いたいだけ使うことができたのです。
以前にも少し触れましたが、当時はパンチカードから開発用端末を使って開発するようになる過渡期だったこともあって、まだプログラムをコーディングシートに記入してパンチに出して、返ってきたパンチカードをカードリーダというパンチカードを読み取る装置にかけてコンピュータに登録する(読み込ませる)というやり方が、一応正式な手順ということになっていました。
いったんプログラムを登録すれば、あとは端末を使って修正していくという流れになるのです。そして、最初のプログラミングではそのステップを踏んで、先輩の指導のもと自分で初めてパンチカードをカードリーダに読み込ませるという経験をしました。
パンチカードは、プログラムの一行が一枚のカードになっていて、もしプログラムが1000行あったとすれば、パンチカードも1000枚になるわけです。もし、パンチカードを床にぶちまけでもしたものなら大変なことになってしまうのは、皆さんでも想像できるのではないでしょうか。
こうしてみると、開発用端末がない時代、プログラムをパンチカードベースで管理していたのがいかに大変なことだったかということです。プログラムを修正するにしても、修正する部分のカードをパンチし直して古いものと入れ替えてから、再びカードリーダにかけて登録しなおさなければならないの
ですから。
これがいかに大変なことだったか。想像するだけで、恐ろしくなりますね。