IT思い出話(27)
あこがれの技術研究室
そんなわけで、やっと希望がかない研究室に異動した私でしたが、本当にうれしかったのを覚えています。
当時、ソフトウエア開発の主流は今までお話してきたようにIBMの汎用機と言われるハードウェアが使われていましたが、UNIXワークステーションやPCの台頭で徐々にそちらの方の技術が注目されるようになってきた頃でした。
まだWindowsは発売されたばかりで、まだまだ海のものとも山のものともわからない時代でした。実績があったのはなんといってもUNIXのシステムでした。
今ではそこらへんに転がっているPCならどんなものでもUNIXベースのシステム(LINUXなど)が簡単に動きますが、その頃はDECに代表されるミニコンと言われるハードウェアでUNIXは稼働していたのです。
ミニコンは汎用大型機に比べればたしかにミニだったのですが、それでも一式数千万円くらいする代物でした。そんなわけで、開発研究目的で購入できるのは主に大学などの研究機関や一部の企業で、個人が自由に使える環境など夢のまた夢でした。
今なら、PC一台でできることに当時は数千万円必要だったということです。
そこへ登場したのが、SUNに代表されるUNIXワークステーションでした。SUNは現在ではOracleに吸収されてしまいもはや消滅したブランドですが、当時の技術者の垂涎の的だったのです。
私がいた会社は独立系のソフトウエア開発の会社だったにもかかわらず、IBMの中型汎用機やDECのミニコンを所有するという、変わり種の会社でした。DECのミニコンではUNIXとは異なるVAXというシステムが動いていました。
そんな贅沢な社内環境でしたが、まだUNIXの環境はなかったのです。そこへ、SUNとSONY NEWSという2種類のUNIXワークステーションが研究目的で、技術研究室に導入されたのです。
ミニコンは数千万でしたが、UNIXワークステーションになると数百万と一桁安くなったのです。さすがにこれでも個人では気軽に変える価格ではありませんが、企業からするとはるかに購入のハードルが下がったというわけです。
このようにして、あこがれのUNIX環境が手に入った私は、UNIXのシステム管理者を目指すべく勉強を始めたのでした。