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韓国ドラマ「恋人」に見る「月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ」
韓国ドラマの中に大江千里が聴こえる。
黒縁メガネのほうじゃありません。百人一首のおおえのちさとです。
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど
最終回、月を見上げて涙するジャンヒョン(ナムグン・ミン)の心は多分これだなと思った。
ドラマ「恋人」の主人公ジャンヒョンとギルチェは、実に風雅な恋人たちである。
1話の出会いの場面で、春香伝の春香よろしく、ぶらんこに揺られる両班のギルチェお嬢様は揺られながら「夢の中の郎君様に会える気がしました。目の前のすべてが緑色と桃色に輝いて見えました」と言っている。
素朴で温もりのあるヌングン里にやって来た流れ者ジャンヒョンのほうはは「この音…花の音が聞こえる」と言う。
なんだかわかったようなわからないような、いわば隠せない格調を感じる言葉だが、それは回を追うごとに、ああ、この人たちは朝鮮時代の風雅な人ってことだなと気付く。
※以下、激しくネタバレします。ご注意ください。
ジャンヒョンの扇に見え隠れする風雅の香り
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ふらりとヌングン里へやって来た流れ者ジャンヒョンは、チャラい。
存在が耐えられないチャラさだ、ギルチェにとっては。
村から出たことがなく大海を知る由もない彼女は、自分の郎君様になる人は同じ両班の身分であるヨンジュンであると疑いもしない。
元々、扇は風を送る機能というより儀式や祭祀の場で使われたもので、大きなそれをこれ見よがしに、閉じたり開いたりパタパタと始終仰ぐどこの馬の骨ともつかないジャンヒョンなどお呼びでない。
だが、本当にジャンヒョンはただの流れ者の商人なのかということである。ジャンヒョンが持つ扇には、山水と漢詩が描かれている。
漢詩は全部読めないが「白雲木無心 青山…不動」。
そんなふうに読める。
多分、日本で言うところの、
白雲自去来
青山元不動
当たりが書かれていると思う。
日本では禅語と呼ばれるものだが、中国の僧が伝えたもので日本だけでなく朝鮮にも伝わった。
「晴れた日も曇った日も山の上に去来する雲がかかろうがかかるまいが、万事うまくいくこともあればそうはいかないことがあっても、山のように泰然と自分を動じることなくありたいものだ」…なんかそんな感じだ。
要するにどんな逆境があっても平常心でいろということが、あのジャンヒョンのパタパタ扇には描かれている。
最終回でジャンヒョンの半生が明らかにされると、この扇の言葉は俄然意味合いを強くする。
封建時代に家を捨てて生きてきたジャンヒョンの座右の銘ではあるまいか。
山水と漢詩が描かれた扇をしつこくパタパタさせる様子は、身に染みた両班の知性と教養を感じさせないようにする気遣いがある。
韓国ドラマで初めてこんな風雅な人を見た。
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染付と言えば明の景徳鎮。明清交代時を背景にしたこの装いは相当な洒落者。
ギルチェが見た夢は夢遊桃源図
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ギルチェも負けていない。
1話の花遊びのシーンでギルチェは、取り巻きの男に扇に何か詩を書けとリクエストしたり、自分もまた扇に随分と大胆で堂々とした画を描いていた(苦笑)。
描かれたものはどうであれ、心に残った心象風景を画に描き残すことは、両班の嗜みのひとつだったことがわかる。
ところで、日本の重要無形文化財に指定されている朝鮮時代の天才画家「安堅(アンギョン)」が描いた山水画「夢遊桃源図巻」は現在、天理大学が所蔵している。
韓国では教科書に掲載されるほどの作品で、何年か前に展覧会のために韓国に里帰りしたことがある。
世宗の三男、安平大君(1418〜1453年)に可愛がられた宮廷画家でもある安堅が、安平大君が見たという夢を描いたのがこの作品だ(安堅はドラマ「師任堂」や「イ・サン」にも描かれている)。
画家に再現させるほどの夢とは、
渓谷で道に迷った漁夫がさまよい歩くうち、色鮮やかな草が茂り美しい花が咲く桃の木の林を見つけ楽しんでいるうちに、山の洞窟に行き当たる。その穴に入って行くと人々が畑を耕し、鶏や犬の鳴き声がし、人々がみんなにこやかにしている別天地があり、そこで酒や食べ物でもてなしてもらう。数日後に後にするのだが、再び訪れようとすると道に迷い二度と行くことはできなかった、というような話だ。
これは中国の晋南北朝時代の文学者、陶 淵明(365〜427年)の「桃花源記」である。「夢遊桃源図巻」はこの「桃花源記」をもとにしている。
ギルチェが見た「目の前のすべてが緑色と桃色に輝いて見えました」という夢は、山水画には珍しく緑や桃色に着色された「夢遊桃源図巻」から来ているものであると思う。
山水図に描かれる世界は、社会の葛藤から距離を置き仙人が住む仙境の世界である桃源郷へ誘うものである。「夢遊桃源図巻」もまた儒学者の理想郷を象徴するものとされていたのだ。
動画で見ると、桃色で満開の桃の木が描かれた桃源郷に着くまでさまよい歩く様が体感することができる。
2人は出会ってからたくさんの困難に遭い、すれ違いを続けさまよい歩いた。それはギルチェが、山の中を、川を渡り、ジャンヒョンを探して歩くシーンと重なる。
このシーンでは、1話でギルチェが夢の中で赤い糸を巻いた糸巻きがコロコロ転がるのを追っかけるシーンに流れていた音楽と同じものが流れる。
ジャンヒョンを探して歩く道は、緑色と桃色に輝く夢の中を、赤い糸を追いかけた道でもあったのだ。
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太陽と月はお互いを待っている
ところでジャンヒョンの扇問題は続く。
ギルチェのもとをリャンウムが訪れ、ジャンヒョンの死を悼み慰め合うシーンで、ギルチェの部屋に飾ってあったジャンヒョンの扇に描かれた絵だ。
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部屋の屏風には「白粉花」と「竹の葉」が描かれている。
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2人の人間が乗った一艘の小舟が川を渡る風景が描かれている。
2話で、ギルチェが憧れの漢陽のトレンドスタイルを知りたい、ついては書院に入りたいジャンヒョンのために試験問題を漏洩するから町に連れて行って欲しいと、2人で連れ立って出かけた帰りの風景だ。
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月明かりに照らされゆっくり進む小舟の風景は、まるで山水の世界のように美しく幽玄だ。
ジャンヒョンは永遠にそのままでいたかったその時の心象風景を自分の扇に描いて閉じ込めた。更に言えば、この画はジャンヒョンが描いたと思う。
最終回、ジャンヒョンの父が引き出しから出して眺めていたのは、息子ジャンヒョンが幼い時に描いた絵だ。
描かれていたものは、畑仕事をする人々の様子や、お姉ちゃんとリャンウムと3人でいるところ、そして父と手を繋いでいる幼い自分の姿だ。
自分が幸せだった時の風景は何かに記録したい、永遠のものにしたい、そういうジャンヒョンの気持ちがこれらの絵には表現されていると思う(泣)。
ギルチェとリャンウムがジャンヒョンの死を悼んでいる頃、ジャンヒョンは、漁師のお爺さん(ジャンヒョンが助けた捕虜)に助けられて生き延びていた。
夜の月を見上げて涙するジャンヒョンに、お爺さんは何故泣くのかと聞く。
あの月を見ると何故か、心が痛むのだ
と、答えるジャンヒョン。
ギルチェの記憶は無い。
無くても心は痛む。
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ
わが身一つの 秋にはあらねど
ちなみに大江千里のこの歌は、白楽天の「燕子楼(えんしろう)」という詩「燕子楼中霜月夜 秋来只為一人長」をもとにしたもので「燕子楼にも秋が来た。これから独り寝の長い夜が続きます。」である。
現代の私たちは月の満ち欠けのメカニズムを科学的に知っている。
しかし中世の人たちは、毎日少しずつ形が変わる月を神秘的なものとして見ていたし、その変わりゆく様を人の心に例えて表現していたのだ。
月の明るい夜はいつもそなたがいる。
明るい月を見ながらそなたを思い出しそうだ。
月の明るい夜、要するに満月近辺の月は、月夜にギルチェと一緒に過ごした思い出であり、華やかでキラキラ輝いているかと思うと、ぷんぷん怒り、時には大粒の涙を出して泣くギルチェはジャンヒョンにとって月そのものなんだと思う。
しばらくしてジャンヒョンは漁師のお爺さんが止めるのも聞かずに「音が聴こえる、花の音を追う」と言って出て行ってしまう。
「太陽」が「陽」なら「月」は「陰」。
「男」が「陽」なら「女」は「陰」。
「陰陽説」とは、森羅万象を「陽」と「陰」の二気に分け、互いに調和をすることで万物は創造されるという考えだ。
「天」と「地」で「宇宙」は作られ、「水」と「火」が「湯」を創造する。
ジャンヒョンの海馬は記憶を無くしても、「太陽」の片割れになるべく「月」であるギルチェを、魂は忘れてはいないのでないかなと思う。
ギルチェはギルチェで「太陽」を刺繍していた赤い糸を追いかけている。
陰陽五行では「太陽」は「陽」で男を表し「月」は「陰」で女を表す。
なんつう、風雅な人たちなんだろう。
2人が求める桃源郷は垣根が低い
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ジャンヒョンにどんな暮らしをしたいかとたずねられたギルチェが答えたのは「桃花源記」の「世界」ではないだろうか。
故郷のヌングン里の横の山に
小川が流れて花樹が続く道があります。
そこに2間の小さい家を建てて
レンギョウで垣根を作り…
鶏を3羽飼って毎朝、卵を取るの。
春には花見をして
夏には冷たい小川に足をつけて
秋に漬けた山ぶどうのお酒を
冬に飲みながら…
記憶を無くしたジャンヒョンは、ギルチェの顔も存在も覚えていないが、ギルチェが望んでいた暮らしが送れる家を作って待っていた。
これは、もう記憶喪失とは言わないです(笑)
言付けたことを完璧に仕上げておいてくれる人は断じて記憶喪失ではありません(笑)
桃源郷のことを考えすぎて夢から醒めない浦島太郎に一時的になったか、
(竜宮城も桃源郷みたいな話だ)
あの時代は、海馬がイカれた時は魂に記憶がバックアップ出来たんじゃないかな(笑)
もう「ドラマ的素敵必然」を発動して、あーだこーだ言わせない!
これでい〜のだ!わはは。
王や父が絶対的権力を持つ家父長的思想の「家」という枠に安住することが出来ず父のもとを去ったジャンヒョンは、多くの捕虜を救出したはずだったが、大勢の人間を動かしていることは謀反を計画している逆賊だと言われ抹殺の危機に遭う。
丙子の乱という逆境に遭い、故郷ヌングン里という枠から飛び出さなければいけなくなったギルチェは、捕虜となり蛮族から恥辱を受けたことで無事に夫のもとに戻っても、家からそして社会から阻害された。
(そのお陰でギルチェが夫からジャンヒョンのもとに戻れるというのが、このドラマの実にうまいところである)
昭顕世子一家でさえも国家や家を脅かすものとして阻害される。
同性愛者のリャンウムも多分、枠の外の人だ。
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その硯と筆を贈ったのは「恥を知らない女性」であるギルチェである。
権威あるものはしばしば滑稽であり悲しい。
この国を脅かす者たちはどんな者なのか。
彼らは蛮族と親しくなり、国の利益を売る売国奴だ。
蛮族に貞節を汚されても恥を知らない女性たちであり、
乱れた男色をしている汚い色の人たちだ。
ジャンヒョンの父で儒学者のチャン・ヒョルが言った言葉だ。
フェミニズムや性的マイノリティが国を滅ぼすという都合のいい嘆きは、現代でも頻繁に耳に入る。虐げている人々がいつか仕返しをするのではないかという潜在的恐怖が権力者にはある。それが更なる阻害を生む。
1話で「外から転がり込んできた男はよそへ出て行って」とジャンヒョンに言ったギルチェは、よそへ出て「ギルチェお嬢様」から覚醒した。
だからこそ、ジャンヒョンとギルチェが作る誰も阻害されない垣根の低い家が大きな意味を持ってくる。
ジャンヒョンは終始ヒロイックな存在として描かれるが、最後の戦いでは「俺には待っている人がいる。お前たちもいるだろ。だから行かせろ。」と自分が帰るべきところに戻って行く。
ただのオヤジが支配する「家」や「国家」の機能が薄れている今、1人のヒーローがみんなを引っ張って助けてくれる時代は終わったんだなと思った。
リーダーを1人にせずとも、物事がスムーズに進む社会にするために垣根は低くしなければいけない。
ちなみに「夢遊桃源図巻」を画家安堅に描かせた世宗の三男、安平大君は夢に見た桃源郷に似た場所を見つけ、理想世界を実現しようと別荘を建てたところ、それを政治的謀反を企てたと見なされ35歳で死に追いやられております。別荘の垣根の高さはどうしていたか、気になるところである。