「私の解放日誌」 卵の白身を受け止めたチャンヒの解放日誌
とうとうクさんとヨム・ミジョンが汝矣島の橋の上で再会した。
ミジョンがお金を返さないクズ野郎の結婚式をぶち壊そうとしたした瞬間、電話をしてきたのがクさんだった。
この2人は出会う運命だったし、2人の「崇める」叙事詩は終わらなかったという結末で、なんと私は充分満足してしまった。韓国ドラマとはこういうものであるを裏切らない最後。
ところが話は続く。14、15、16話で俄然、ヨム・チャンヒの人生が面白くなる。パク・ヘヨン脚本家の本領が発揮される。
ヨム・ミジョンの言葉を借りるなら「私の解放日誌」は、ヨム家のお母さんが亡くなる前と後で分かれる。
お母さんがが亡くなる前のチャンヒは悉く卵の黄身のようなものから拒否られている。
彼女のイェリンに「(チャンヒの住む)京畿道はソウルという黄身を包む卵の白身」と言われる。「あんたは耐えられないほどダサい」とまで言われる。イェリンの洋服は目の覚めるような黄色い洋服だ。強烈な一撃である。
(ところでこの時の「ダサい」は韓国語では「촌스러워」と言っていて「田舎っぽい」という意味だがここはこの後の「サツマイモ」の活躍を考えて「耐えれないほど芋っ!」と言って欲しかった)
チャンヒの夢想シーンで、彼が夢見心地な様子で乗ってるスポーツカーは黄色である。
もっと言うと、クさんのロールスロイスでヒョナと遊びに行くクラブの建物もまた真っ黄色である。その晩、チャンヒはヒョナの奢りの70万ウォンのお酒も受け付けられずに吐いてしまう。
漠然と描いている自分の欲望の象徴である黄身のようなものは、少しも自分のものにはならない塩っぱい人生だ。
そしてヨム家のお母さんが亡くなった後のチャンヒである。
偶然、母の最期を看取ったチャンヒは、会社を辞めて家にいた経緯も含めた出来事を、何となくその時が来た気がした、魂が悟っていたなどと言う。
高校をさぼって帰宅し1人で祖母を看取ったことも、さぼらなければ祖母は1人で逝った、魂が悟るから身体が動くと、臆面なく運命論者のような言い方をする。
毎日休むことなく家族のために家事をし家業の手伝いもしたお母さんの突然の最期は、死による解放のひとつの形だというのが大勢の解釈だが、もうひとつ意味があると思う。
お母さんは自分の死をチャンヒに看取らせることで、かわいい息子に運命を受け入れる勇気ときっかけを持たせようとしたのではなかったか。
手の届かない黄身のような欲望を追いかけるのではなく、チャンヒらしい人生を送って欲しいと願いながら亡くなったように思う。なぜなら直前にギジョンの彼氏に会って安堵し、ミジョンとクさんの別れを知り涙をする母親だから。
クさんがミジョンに聞く「春になれば違う人間になれるのか?」の台詞や「私の解放日誌」OSTの歌詞にあるように「昨日と違う人間」「昨日と違う明日」は、このドラマの根底に流れるテーマのひとつだ。
(OSTも演出のひとつである韓国ドラマのOSTの偉大さよ!)
人間の臨終といういつ訪れるか誰にも予測できない瞬間を、祖父、祖母、母と3回もたった1人で受け止めた経験をした人間は、昨日と同じではいられない。
もともとチャンヒは勘が働く人ではあった気がする。
クさんにロールスロイスの凹み傷を告白する時、何を思ったかサンダルからスニーカーに履き替える人である。事業に失敗し行くあてもなくコンビニで座っている時に、今いるコンビニの経営をしないか?という誘いの電話を受け取り「俺はそんな人間だ。まるで幽霊のように居るべき場所をわかっている」と考えるような人である。
理屈で説明できないことは運命と考えたくなるし、自分の存在はかけがえのないものと悟っただろうことは想像に難くない。
その後チャンヒは何の義理もない(!)ヒョナの元カレのヒョクスヒョンまで見送る。その日はほぼ受注が決まりかけてた焼き芋機(またさつま芋!)のテスト日で、倉庫いっぱいに在庫として抱えたものがお金になるチャンスだったのにだ。そこに留まることが自分の運命でもあり、すでに自分のすべきことは何か知っている。
チャンヒはその日も「何故か今日も幽霊のように足が向いた、ヒョン、そばにいるよ」とヒョクスヒョンの手を握り看取るのだ。
「幽霊のように」!
(NETFLIXの字幕では、この「幽霊」にあたる「귀신」は訳されていなかったが、チャンヒは理屈では説明のつかないような出来事に対して何回か「귀신(幽霊)」と言う言葉を使う。「生き霊」や「精霊」の意味のほうが近いかもしれない)
人生最後の瞬間に喜びや慰めという「崇拝」を与えることができる自分の存在価値に気付いた人間に、黄身の価値など最早瑣末なことになるしかない。
ところでチャンヒが「山を見ながら酒を飲む知り合いの兄貴」が言った話として、友人に話す話がある。
チャンヒはこの時、1ウォン硬貨を1人の人間である自分に置き換えて考えていた。
77億枚の硬貨の山に押しつぶされそうな『1人/77億人』として、どんなに頑張っても報われない人生に嫌気がさしていた。
この考え方も変わる。
充血した目に涙をいっぱい溜め(イ・ミンギの目玉の充血演技よ!)禅問答のような、はたからは何を言っているかわからないことを言うチャンヒ。
仁王山を見上げるチャンヒが涙するものは、ヒョナとの別れなんかじゃないだろうよと思う。自分が欲しかったものは実はすぐ近くの自分の手の中にあった、すぐそこの裏山にあったじゃないか、そんな覚醒めいたものではないかと思う。「私の解放日誌」の中でもとりわけとんでもない崇高なシーンである。ここまで来たら「葬礼指導士」の道に導かれるのはもうおまけみたいなものである。
ところでソウル民になったチャンヒがソウルの歴史を勉強するために見ている水墨画である。劇中、一瞬映るチョン・ソン画による大韓民国国宝第216号「仁王霽色圖」 を素通りするわけにはいかない。
この画に描かれている仁王山は、ヨム家3姉弟妹が住むアパートのあの裏山である。景福宮から見えるあの山である。
これはもともとサムスン美術館リウムにあったものだが、莫大な相続税が生じたサムスン会長の遺族が国立博物館に寄贈したとして、私でも知っているようなものだから、韓国人ならきっとあまねく知られているものであろう。この絵が国宝である所以のひとつは、当時の朝鮮では中国から伝わった水墨の山水画を観念化して(なぜなら中国の山水画に描かれた風景は朝鮮にはないから)真似ていたのを、このチョン・ソンという画家が初めて朝鮮にある実物の山を描き「水墨画の朝鮮化」をこの絵で完成したからだったらしいが、それなら事情は日本も同じで、時代は違うが「水墨画の日本化」をした雪舟みたいなものである。
山水画を朝鮮化したと言っても、奇岩、怪岩、そして雲海という山水画の絶景三要素がしっかり描かれているし、仁王山も実物のシルエットとは違って中国のそれのように切り立った山に脚色され、その観念はしっかり引き継がれていように見える。
日本人が中国の水墨画を「人間の理想郷」が描かれたファンタジーとして捉えたように、朝鮮人もまた同じ観念で捉えていた節がある。さらに絵の中には不老不死の仙人が住むとされる庵のようなものまで描かれている。まさに仙境ではないか。
1751年(※)これを描いたチョン・ソンは75歳。もういい加減、世俗から離れて真の自由を求めて幽玄の世界でゆっくりしたいぞと、自分の住む裏にある山をモチーフにして理想の安住の地を描いたのではないか。
そこまでチャンヒが考えたかどうかは知らないが、脚本家は調べあげただろうなくらいのことは思う。チャンヒに仁王山に映る理想郷を見させたかったのではないかと思う。
ところでクさんのことを「俺のロマン」「俺の救世主」と言って崇めるチャンヒは、クさんとの縁を知ったら目をひんむいて狂喜するだろうと思うのがチャンヒもミジョンも気付いていないタンミ駅での出会いだ。
クさんに「なぜこの町に来たのか」と問うてクさんは「間違えて降りた」と答える。間違えて降りた直接の原因はミジョンの「降りて!」という叫び声だったが、その声はお酒を飲んで寝込んだ(勝手にそう思っている)チャンヒを起こそうとして出した声である。あの雪の晩もチャンヒは「幽霊のように」クさんの前に現れたのである。
15話の終わりにクさんが唐突に「チャンヒは元気か」とミジョンに聞く。
その声に答えるように場面は切り替わって「ヒョン、俺は1ウォン硬貨ではなく、あの山だったんだ。あの山に戻ろうと思う。」と続く流れがとても好きだ。下手に再会などしなくて良い。
クさんは知っている。自分を生かしてくれたのは、ヨム・ミジョンだけでなくチャンヒもまたそうだったことを知っている。
クさんがチャンヒを気に掛けるように、私も気に掛けていることがある。
チャンヒ…チャンヒ…チャンヒ…
「チュアン(추앙/崇める)」+「ヒ(희/喜)」=チュアンヒ…チャンヒ…チャンヒ…
チャンヒという名前の中にある「チュアン」。
ビジネスチャンスを逃した理由を友人に聞かれても答えず、答えない自分に惚れるというチャンヒ。
自分で自分自身を崇める意味が込められていたみたいだ。
※この絵の右上にある「辛未閏月下浣」の意味は「1751年5月下旬」。絵が完成した日付。別の記録からチョン・ソンの友人である詩人がその4日後に亡くなったことがわかっている。そこから、絵の中にある庵はその詩人が住む家で、詩人の病の回復を祈ってこの絵を描いていたが絵が完成してから4日後に友人は亡くなったという学説があるらしい。
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