帰ってきた“裏・私の解放日誌”???
必死な人を笑ってはいけないプレッシャーが笑いを生む
ムジン村の人々は誰も彼も、どこか大様でそして能天気で憎めない。
そこに、ソウルから都落ち赴任をし、戻らなければならない野望を抱えた刑事ジャンヨル(イ・ミンギ)がやってきて、ひとり必死になるところから可笑しなことになる。
2023年8月からNETFLIXで始まった韓国ドラマ「ヒップタッチの女王/힙하게」です。
ムジン村は港町だ。韓国エンタメで描かれる港町は大抵、人も物も吹き溜まり、密航、密輸などの不法行為に溢れている。この村の「ヤンチ(ヤクザ、チンピラ)/양아치」もまた、そんな裏社会を仕切る毎日で、肉体的にも精神的にも疲労が困憊しているのだろう。
鎧を脱ぎ無防備になり、カラオケで心ゆくまで十八番を歌い、時にマッサージ店で身体をほぐし、心身ともに解放なんかするからこれまた可笑しなことになる(笑)。
捕まってはいけない人間と捕まえなければいけない人間の必死さは、どこか滑稽で、真面目な人間を笑ってはいけない、品がないと、頭ではわかっていながらも、その抑圧された笑いの蓋はきっかけひとつで吹っ飛んでしまう。
このドラマのキム・ソギュンPDという人は、そのきっかけを巧みに仕掛けてくる。1話から飛ばしています。
待ってました!キム・ソギュンPDありがとう。
すでにドラマ「2521」を盛大にパロディにしたいくつかのシーンを見ることができるが、3話に仕掛けられた笑いの地雷は私には深すぎた!
ジャンヨルの必死の野望は、ヤンチ逮捕のために「生き物の尻をタッチすると何かが見える」イェブン(ハン・ジミン)の怪しい超能力に真面目にすがるところから始まる。
医学的には未だ解明途中だが(苦笑)生き物の脳の海馬(記憶装置)は、何らかの進化をして(苦笑)自身の尻に繋がっている(苦笑)らしい。
マッサージ師になりすましたイェブンは、ヒップタッチによりヤンチの海馬を覗く。当然「カラオケ屋立てこもり事件」の容疑者ヤンチは否認するが、イェブンが「この人はカラオケ屋でこんな曲を歌ってた」と歌い出すと、彼女が歌う自分の十八番に反応して、ヤンチは調子に乗り一緒に熱唱し、パコーン!とジョンヨルに殴られてしまうところで、笑いの地雷は爆発する。あっははははははは。
まずこの時のイェブンとヤンチが合唱する歌は「私の解放日誌」のOST「私の春は」です。いやほんと、このシーンを観た人はみんなそんなことは知っていて、だから大いに笑っただろうという傲慢な考えをしていた自分よ、すみません。でも「私の解放日誌」のOST「私の春は」です。
話はここからだ。
キム・ソギュンPDとその仲間たち
「私の解放日誌」の演出はキム・ソギュンPD(他にも1人いる)である。そしてその時の脚本家はパク・ヘヨン作家である。
「私の解放日誌」の OSTには作詞家のクレジットがない。ストーリーとあまりにもリンクした言葉の使い方に、私はパク・ヘヨン作家が書いたんじゃないかと思っているのだが、今のところそこは不明だ。
キム・ソギュンPDはKBS出身で、バラエティ畑の人でもあるが、映画もドラマも演出してしまうマルチな人である。
KBS時代に演出した「オールドミスダイアリー」「清潭洞に住んでいます」などのシットコムは、数人の作家で執筆されており、その中に前出のパク・ヘヨン作家と、今回の「ヒップタッチの女王」のイ・ナムギュ作家(他にも2人いる)がいる。イ・ナムギュ作家は、キム・ソギュンPDの過去ドラマ「まぶしくて」を書いている(そしてそのドラマの主人公のひとりは、イェブン役のハン・ジミンだ)。
この勝手知ったる仲間たちが「ヒップタッチの女王」で、知恵を使ってコメディとスリラーの地雷を作っているのだから、白旗を上げて笑って怖がるしかない。
くだらないシーンの中にある人間の機微をどう感じるか
「私の解放日誌」とそのOST絡みに対する思い入れは、自分でも気持ち悪いレベルに達しているので抑えておくが(苦笑)この曲は「私の解放日誌」が描く、毎日の閉塞感を乗り越えたい、その時を待ち侘びているんだという詩情を「春」という季節とともに表現している。そして「私の解放日誌」でも特に印象的に劇中に挿入された曲でもある。
さて、イェブンとヤンチの合唱部分の歌詞はこうだ。
まず可笑しいのは、ヤンチにとっては高い塀の向こうに行くか行かないかという一大事な場面であるにも関わらず、共感動物である人間の特質により、つい一緒に口ずさんでヘタを打つという間抜け力が発揮されてしまうこと(笑)。
次に可笑しいのは、ヤンチにはカラオケ屋に立てこもってまで歌うほどのお気に入りなんだろうなということ。
大体、カラオケ屋で仲間と一緒に盛り上がる曲は吐いて捨てるほどあるだろうに「私の春は」をわざわざ選ぶそのメンタリティや、ヤンチもまた生きづらい毎日からの「解放」を待ち侘びる人間のひとりであろうと思われること(笑)。
更に可笑しいのは、ヤンチの背中の彫り物が般若と桜吹雪であること(笑)。「般若」は「能」で使われる面のひとつで「祈りによって悟りを開く」意味が込められており、顔半分上部は悲しみや苦しみが、顔半分下部は怒りの表情をした鬼女だ。その面に舞い散る桜吹雪。
「私の解放日誌」でミジョンとクさんが「春になれば別の人間になれる?」と待ち侘びた春の花である。
何がどうしてこんな彫り物をしたのかわからないが、十八番の歌といい、彫り物の絵に込めた思いといい、ヤンチも楽じゃないな、ヤンチも人間だもんなと思わせる芸の細かい演出である(笑)。
人を外見で判断してはいけないと言っています。
もっと言えば、歌う歌詞に「눈부신/まばゆい」という言葉が入っているが、ハン・ジミンがキム・ソギュンPDと過去に撮ったドラマ「まぶしくて」の韓国語タイトルは「눈이 부시게」である(笑)。
歌った部分は2コーラス目で、1コーラス目だって良かっただろうに、わざわざこの言葉が入っている部分を選んでいるように思う。
ヤンチがジョンヨルにパコ〜ン!とされた時点で、歌うことを止めてもいいのにイェブンはハスキーな声を絞り出すように最後まで歌い上げるところもいい。
亡くなったお母さんのこと、意志疎通しにくいおじいちゃんとの関係。
イェブンもまたこの曲に大いに思い入れがありそうなことが感じ取れる。
「ヒップタッチの女王」は4話まではコメディ要素が強く、実に馬鹿馬鹿しいパロディに溢れている(褒めてる)。
落語を聴くと思うんだが、馬鹿馬鹿しい噺だと放り投げずに、その奥底にある愛すべき人間たちが繰り広げる機微や表情みたいなものが感じ取れたら勝ちだし、それは自分だけが自由に感じられる感性だ。
笑いはそう簡単に馬鹿にしちゃいけないシロモノだ。
「私の解放日誌」の普遍性
パク・ヘヨン作家のインタビューを読むのが好きで、見つけては片っ端から読んでいるが、そのひとつにこんなのがあった。
それでも私たち人間は、人と繋がりたいし、話したいし、一緒に笑いたい。人のお尻を媒介させなくても、私たちは分かり合える。
そんなメッセージが薄ら見えるが、ドラマ「まぶしくて」でハン・ジミンのお母さん役を演じたイ・ジョンウンが特別出演とも言われており、始まったばかりのこのドラマがムジン村で如何なるドタバタを繰り広げるか楽しみである。
ところで…
「私の解放日誌」で、チャンヒがクさんのロールス・ロイスを運転させてもらった時に流れる曲が「オッキのテーマ曲」として挿入されたやね。
元は映画「パラムパラムパラム」(出演イ・ソンミン、シン・ハギュン、ソン・ジヒョ、イェル)のOSTで「Breeze/최정인」。
「ヒップタッチの女王」には、「裏・私の解放日誌」?いや、もしくは「もうひとつの私の解放日誌」?そんなものが見え隠れする。
ええ、見え隠れするぐらいが良いんだろうな。
イェブンもあんまり人のヒップから、要らん情報を見ない方が良いには決まってますがな。
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