渋谷系なアニソンについて語り始め、やがてそれをやめたことについて語る②
2011年にblogを始める前、渋谷系的なアニメ、ゲーム、声優ソングに惹かれて間もなく、生活は完全にリスニングを中心に動き出した。移動時は常にiPod classicをポケットに突っ込んで、お気に入りの曲を反復して聴く。家に帰ってもPCを起動し、ひたすら情報収集か、音楽を眠くなるまで聴いて寝る日々。渋谷系的アニソンや声優ソングを聴いていればそれだけでハイ。漠然とした将来への不安に常時苛まれていたノーフューチャーな青年期、生活においては音楽が清涼剤であり、鎮痛剤だった。
その頃、特に夢中だった歌い手は、何といっても花澤香菜! 当時としては新世代の声優であった彼女だが、すでに"クロスワード"、"恋愛サーキュレーション"、"君色*コンプリート"といった、渋谷系的声優ソングの永世スタンダードともいうべき楽曲を吹き込んでいたし、カヒミ・カリィのようなウィスパー・ヴォイスも相まって、この分野の未来を見る思いだった。当時はまだ作られていない彼女のソロ・アルバムを夢想する日々。プロデューサーは神前暁がいいな、とか思いながら(いったい何様のつもりなのか)。花澤香菜を筆頭に、フェイヴァリット楽曲も増えていったが、現状に満足してはいられない。他にも自分の感性にフィットする曲を一曲でも多く知りたかった。
音楽に飢えた生活のなか、川崎のアニソンバー「月あかり夢てらす」に通うようになった。当時、お酒は苦手だったが、酔っぱらうと、平時は目詰まりしている感受性のフィルターが多少クリーンになり、アニソンがより直接的に脳に突き刺さってくるような気がした。その場にいるだけで、聴いたこともない楽曲が次々とプレイされていくし、情報収集にもいい。気になる曲があると、店員さんや他のお客さんに訊ねたりした。ある日、プレイされている知らない曲があまりにも気になって、
「これ、すごく気に入ったんですけど、何て曲ですか?」
「これは『宇宙をかける少女』というアニメにおける"宇宙は少女のともだちさっ"という曲で、河合ほのかというキャラクターが歌っているバージョンです」
といった会話を交わし、「なるほど、帰ったら調べてみよう」と決意しながらジントニックをがぶ呑みしていた夜だったと思うが、お店を出る頃には完全に泥酔。かろうじて帰宅し、大便器に向かって膝をつき盛大に嘔吐した後、腹痛に襲われた。何とか眠りについたが、起床後も腹痛が治まらないばかりか、激痛へと発展し、病院へ行ったところ、急性腹症との診断を受け、その日から1週間の入院生活を送った。見舞いに来てくれた家族や職場の方には、「いやアニソンを探しに行ってたアニソンバーで泥酔してつい」などとは言えず、気まずい思いをした。大馬鹿である。
酒で痛い目を見たが、それは音楽と何の関係もないことは言うまでもない。2010年、ぼくは御茶ノ水の「ジャニス」の会員になった。80年代からすでにレンタルレコードの世界でレジェンドだったこのお店がオープンしてから、30年近い年月が経っていた。ビルの1フロアを埋め尽くすCDの物量に圧倒されつつ、毎週のように通ってはたくさんのCDを借りた。アニメや声優やゲームのCDを借りに行く先はもっぱら新宿のTSUTAYAや秋葉原のリバティー(当時はレンタルフロアがあったのだ)だったが、わざわざアニソンCDをあまり置いていないジャニスに通い出したのは、渋谷系的アニソンへの理解を深めるために、どうしてもそのルーツとなる日本のロック/ポップスや洋楽をもっと聴かねば、と考えたからだ。とりわけネオ渋谷系やポスト渋谷系、ギター・ポップやソフト・ロックについて、ジャニスからは多くを学んだと思う。
ある日、ジャニスのソフト・ロックの棚から掴んできたCDの一枚を再生していて、身体に電撃が走るような衝撃を覚えたことがある。The Jimmy Vann Bandの"The Upper Left Hand Corner Of The Sky"という曲。このアレンジ、田中理恵の"緑の森"じゃないか! そのThe Jimmy Vann BandのCDのライナーノーツを執筆していたのは高浪慶太郎で、田中理恵主演の『ちょびっツ』の素晴らしい劇伴を手掛けていたのも高浪さんで。他にも小西康陽作曲の宮村優子の"キス"が、エルヴィス・プレスリーの"Bossa Nova Baby"のオルガンのリフを引用していたことを発見したり、『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇伴曲"ビーチバカンス"に、Sergio Mendes & Brasil '66の"Tristeza"との強いつながりを感じたり。ミシェル・ルグランのあの曲と、中原麻衣・清水愛"苺摘み物語"の関係とか。ニック・デカロのCDのライナーノーツは故・片岡知子さんが書いていた……。過去の音楽を探りながら、渋谷系的アニソンが、ますます好きになっていった。こうした過去のポップスの扉をノックして訪ねていく楽しみ方は、きっと1993年頃に、ぼくより年上のFlipper's GuitarやPizzicato Fiveのファンが経験していたものとあまり変わらないと想像している。
ひたすらにCDを買い、借り、聴き、blog更新に夢中になる日々。人生を振り返ってみると、ロックに熱狂していた中高生の頃以外に、ここまで音楽に夢中になっていた時期はない。その熱は覚めることなく、気がつけば3年ほどの歳月が流れ、2013年を迎えていた。渋谷系アニソンについて思い出すとき、2013年はいつだって実り多い最高の年だ。
(続く)
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