渋谷系なアニソンについて語り始め、やがてそれをやめたことについて語る①
渋谷系的なアニメ/ゲーム/声優ソングを紹介したいという思いから開始したblog「akiba-pop for new people」を開設してから、9年の月日が経っていた。といっても、ここ4,5年は冬眠状態だ。
このblogの公開から冬眠に到った経緯について、書き留めておきたいと思う。同時に、これは自分が00年代後半からファンになった「渋谷系的なアニメ・ゲーム・声優ソング」というニッチなジャンルについての、ささやかな覚書でもある。
ぼくが「アキシブ系」と呼称されていた音楽を知ったのは、2008〜9年頃だった。当時、出版されはじめてほどない、洋泉社MOOKの『アニソンマガジン』の記事で、そのいささか垢抜けない響きをもった言葉を見つけたと記憶している。その頃は、思春期の頃に、取り憑かれたように聴いていたロックへの情熱も消えかけの炎となっていて、魚の死んだような眼で深夜アニメを眺めながら、あてのない生活や、翌朝の仕事のことを憂鬱に思いながら眠りにつく、冴えない青年期真っ只中だった。
渋谷系と呼ばれる音楽は、バンドブーム世代の兄貴が実家に置いていったFlipper's Guitarや小沢健二、CorneliusのCDを思春期に愛聴して育ってきたぼくにとって、縁のないものではなかった(当時は別に渋谷系だから、というカテゴリーではなく、「いい歌」だから聴いていたのだが)。その後は『レコード・コレクターズ』『ミュージック・マガジン』を愛読する類のロックのリスナーとなり、00年代後半は、先に触れたようにロックへの情熱は消えかけつつも、オルタナ・カントリーや、そこから遡ってハスカー・ドゥやリプレイスメンツら80'sのUSインディーをゆるく聴いていた時期だったと思う。同時に深夜アニメを見つつ、アニメとロック/ポップス、ぎりぎり双方に興味をもっていた時期だったといえる。
そんな曖昧な時期に偶然書店で出会った『アニソンマガジン』は衝撃だった。アニソンを、キャラクターグッズや、作品に付随する付録などではなく、純粋に音楽として聴取し、紹介するマナーに痺れた。同誌の中で紹介されていたアキシブ系という分野は、自分の過去と現在の音楽歴・アニメオタク歴の交差点に位置する音楽に思え、これは聴くしかないな、という気分だった。
『アニソンマガジン』でアキシブ系という言葉を知ってほどなく、当時、アキシブ系シーンにおける『C86』的経典と目されていたビクターのアニソンコンピレーション『AKSB〜これがアキシブ系だ!〜』(2007/9/21)を聴いた。この盤には、渋谷系リスナーである自らの音楽観を制作の現場で発揮してきた、フライングドッグの福田正夫氏のプロデュース楽曲――ROUND TABLE feat.Ninoを筆頭に、全体的にソフト・サウンディンなポップス――が数多く収められている。なるほど。これは(楽曲の傾向は限定的に思えるが)アキシブ系だ。ここに収録されていないアキシブ系楽曲は、世の中、他にどんなものがあるのだろう?
そんな疑問を抱いてほどなく、当時隆盛を極めていたニコニコ動画で、アキシブ系をテーマにセレクトされたBGM動画と出会う。chibinovaさんの「パーフリ・ピチカート世代の萌え豚が渋谷系なアニソン類を繋いでみた」(聴いたことがないなら早く聴いたほうがいいぜ、俺の血はそいつでできてる)や、太子さんの「"アキシブ系"作業用BGM」がそれだ。それらはまるで、「お前が知らないだけで世の中にはもっと多くのアキシブ系的楽曲があるのだ。それはまだ鉱脈のように眠っているのだ」と伝える天の声のように響いた。
そこから先は完全な発掘体制に突入。とにかく、片っ端から手にとれるアニメ/声優/ゲームのCDを掴んでは聴いていく日々。あの頃はたくさんの中古CDを購入した。同時に、大規模レンタルCDショップで、アニメ・声優・ゲームの棚にある主題歌・キャラソンCDを「あ」行から順番にすべて借りるような生活を送っていた。自分で手に取るCD以外の情報源は、『アニソンマガジン』や、前述のニコニコ動画のBGM、mixiのアキシブ系コミュニティ、「cafe:AKSB」というイベントのWebで公開されていたプレイリストなどがメインだった。ぼくは今でも当時「cafe:aksb」のパーティに行かなかったことを後悔している。
「渋谷系的な意味でポップなアニメ・ゲーム・声優ソング集」というBGM動画シリーズを、自らニコニコ動画にいくつかアップし始めたのは2009年頃だ。今にして思うと、軽率極まりなく、他に人に音楽を伝える方法はあったろうに、と思う行為である。当然の如くアップした動画のいくつかは何度も権利者の申請により削除となった。動画はもう残っていないが、そこで作ったプレイリストの一部は、今も自分のblogのこのカテゴリーに、気恥ずかしさを伴った記録として残してある。
この種の音楽をもっと人に伝えたい思いで悶々としていた2010年頃に知ったのが、kakuさんが更新していた「ネオアコ/ギターポップ、渋谷系的なアニソン」と題されたblog。web上から渋谷系的なアニソンの情報をあまり拾うことができなかったこの頃、同blogの存在は大きかった。何より、kakuさんのリスナー/掘り手としての熱量に圧倒された。数えきれないほどの知らない曲をこのblogから教わった。まだ聴かれるべきリスナーに聴かれていない音楽を掘るのだ、という意思。
なぜ当時の自分がそこまでアキシブ系にのめり込んだのかといえば、「情報のなさ」が作用したといえなくもない。当時よりさらにひと昔前の、自分では経験できなかったソフト・ロックやモンド・ミュージック、レア・グルーヴのディスカヴァリーを、オタク文化に対して行っているような、掘る楽しさがあった。ただ珍しいから価値があるのではない。まだ自分も、真に聴くべき人たちも耳にしていない、素晴らしい音楽を見つけられることが素敵なのだ。
ネオアコやスウィート・ソウルと同じ地平でアニソンを語る、zoukyさんの「ザ・スーパー・ポップ宣言」というblogからも大きな影響を受けた。大事なことは、ポップであること。zoukyさんがblogで使用しているアニソン・ポップという言葉を、ぼくは今でも軽率に使用してしまうが、zoukyさんにとってそれはもっと多くの重要な意味を内包しているジャンル名のはずだ。
webサイトを開設するスキルのない自分が、気に入った音楽を紹介するには、blogという媒体が手っ取り早い、と考える契機にもなった。2011年にblogを開設したのはそんなきっかけからだ。
(続く)
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