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<小話>中国人へ自己紹介したときの話
中国人の友人に「下手でもいいから僕の友人に中国語で自己紹介してよ!きっと喜ぶよ!」と言われ、初対面の中国人に辿々しい中国語で自己紹介をしたことが何度かある。結果は決まって私の下手な中国語にギョっとされて終わるだけなのだが・・。
私の出身地は奈良県。自己紹介するよう言ってきた友人から、事前に「奈良って中国人にとっては好感度高いんだよ、だってほら、阿倍仲麻呂の故郷じゃん!自己紹介の時に奈良県出身てこと、絶対言った方がいいよ!」と言われていた。阿倍仲麻呂・・って誰だっけ・・なんの話か分からず理由を聞くとこんな背景だった。
日本の歴史上の人物である阿倍仲麻呂は、遣唐使として中国に向かい、日本人ながらも科挙に合格して高官としてのキャリアを積んでいった、というのは遠い昔受けた歴史の授業でも聞いたことがあったかもしれない。その後、阿倍仲麻呂は当時の皇帝「玄宗」に大変気に入られて全然日本に帰らせてもらえなかったらしい。帰れないまま歳を重ねた阿倍仲麻呂が故郷を偲んで詠んだ有名な詩がこちら。
天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
そんな阿倍仲麻呂をみて皇帝が「仕方がない、そろそろ帰らせてあげねば」とやっと帰国の許可をくれたことで、阿倍仲麻呂は船に乗り日本に向けて出港することができたそう。ところがその船は暴風雨に遭い難破してしまい、最終的に辿り着いたのがなんとベトナム。しかしベトナムでも阿倍仲麻呂は知られた存在だったらしく、「あれ?阿倍仲麻呂さんじゃないですか!!心配ご無用、都まで送って差し上げましょう!」と尽力してもらった結果、阿倍仲麻呂は再び長安に辿り着くことになる。結局、阿倍仲麻呂は日本への帰国を諦め、そのまま長安で亡くなったらしい。親友・李白は阿倍仲麻呂が難破で亡くなったと思いこみ、深い悲しみを詠んだ有名な詩を残している。
哭晁卿衡 李白
日本晁卿辞帝都
(日本の晁卿は帝都長安を離れ)
征帆一片遶蓬壷
(帆を張った船は蓬莱山をめぐって行った)
明月不帰沈碧海
(明月のような君は青い海に沈んで帰らず)
白雲愁色満蒼梧
(白い雲が浮かび憂いが蒼梧に満ちている)
友人によると、この話は中国では比較的浸透しているので、阿倍仲麻呂の故郷である奈良県には親近感があると言うのだ。そういえば、阿倍仲麻呂が中国に渡った後のことなんて、私は微塵も知らなかった。そして歴史音痴の私はあの李白と阿倍仲麻呂が友人だったことを知ってミーハー心をくすぐられ、以降、相手から何の反応も返ってこないのに毎回奈良県出身であることをPRすることになる。