中国・瀋陽 「新洪記」で海鮮料理を食す
ハルビンから高铁(日本でいう新幹線みたいなもの)に乗って瀋陽にいった時のこと。瀋陽は政府が開発に力を入れている街らしく、高層マンションがゴロゴロ建っていた。また公安の車も頻度高くパトロールしていて、ハルビンとは違った雰囲気。この地で友人が同窓生に会うという。のこのこと一緒についてきたことで、私も何人もの中国人と知り合うことができた。
彼らは馴染みの6人組。学生寮の同じ部屋のメンバーだ。時を経ても仲間意識はかなり強く、集合してまず最初に彼らに頼まれたことが「5年前の写真と同じポーズで写真をとってくれ!」というもの。どんなポーズかと思いきや、なんと10年前に6人で写真をとった時のポーズを今も踏襲しているらしい。しかも、そのポーズは「全員でピース!」などという分かりやすいものでなく、各自思い思いに作ったポーズなのだった。「なんなんだろ、この作業・・」と思いながら彼らの腕の角度や脚の距離に至るまで細かく指摘して、最後にパシャリ。なんというこだわりようだ。だけど、私も中国に来て気づいたことがある。ここ中国の国土は広大で、日本のように偶然知人と行き交うことはまずない。だから今日という日にここに集えたこと、それがお互いの気持ちの証。それで十分なのだ。一つ電車に乗ればもう戻ることのない距離。だから中国ではその地を離れる時、いつも人寂しさや孤独を覚える(私だけ?)。今回も、みんな方々から都合をつけて集まってきたらしい。一人はマンションを借りるまでしてこの日を楽しみにしていたというのだ。それくらい、人と落ち合うのが大変な国。毎回写真を取り形を残しておくことは、とても大事なのだ。
そんな彼らにとって、この日はすこぶる特別な日。前もって、瀋陽No.1の海鮮料理と評されるレストラン「新洪記」を予約し、献立まで決めておいてくれた。献立のテーマは「中国のおもてなし」らしい。店に入ると、ロビーにはメニューがわかるよう、大きな写真とサンプルが所狭しと並べられている。そして生きた食材、カニ、エビ、貝、魚など海鮮の水槽がずらり。通路を抜け、予約していた奥の個室に入る。円卓について、みんなでご馳走を待った。この時のメニューはこんな感じだ。
锅包肉(東北地方の酢豚)
中国東北地方の料理といえば一番に名前が挙がる名物。锅包肉は、薄い豚肉に衣をつけて油で揚げてから、甘酸っぱいあんをからめたもの。ざっくり言えば日本の酢豚に似ている。だけど、日本ではロース肉をよく用いるのに対し、ヒレ肉を用いている。そのため、より肉自体に歯応えがありあっさりしているのだ。カットも異なるので、そもそも目指している食感が異なるのだと思う。锅包肉の発祥地はハルビン。友人たちは「ハルビンの锅包肉には敵わないよ」と謙遜(?)しつつも注文してくれたのだった。
爆肚(茹でた胃のごまだれかけ)
羊と牛の胃をみじん切りにして茹でたもの。熱々のうちにごまだれを急いでかけて食べる。歯応えがあるが硬くはない。ホルモン好きには嬉しい一品。付け合わせのきゅうりと一緒に食べる。
葱油螺片(貝とネギのあえもの)
貝とネギに酸味のあるタレをかけたもの。正直これが自分の中でトップを争うくらい美味しかった。たこ?も入っていたような気がしたが気のせいか。ネギで口の中が爽やかになり、タレもしつこくなく、こんなに美味しくなるのは新鮮で、かつ料理人の確かな腕があるからだと思った。日本では食べたことのないくらいの柔らかさ。しっとりという感じ。
涼拌海蜇頭(クラゲの冷菜)
クラゲの冷菜。自分の中ではこちらと葱油螺片が心の中でトップを争う感じだった。私は生の食べ物が好きなので、特に口にあったのかも知れない。刺身が好きな日本人なら食べやすいと思う。実際、底が知れないというか、中華料理の奥深さを初めて実感したのはこの料理で、このタレの味わいが到底日本にいては食べれない気がするほどのものだったのだ。
谗嘴牛蛙(ウシガエルの煮もの)
大きな深底の陶器が真っ赤なピリ辛の油でなみなみと満たされ、中に唐辛子と共に牛蛙が浮かんでいる。もともとは四川料理だと思っているがあっているかな?大きな唐辛子がボンボン載っているから一見辛すぎて食べられないのではないかと思ってしまうが、見た目ほどは辛くない。牛蛙の肉は淡白でクセがない。牛蛙を一口食べて、そのまま器の中の他の野菜やナッツも箸でとり口に含むとなお美味しい。牛蛙と調和してマリア〜ジュ・・♩って感じである。
饺子(餃子)
滞在中、店で餃子を食べたのはこの時だけだった。何種類かあったけど鸡蛋西红柿(卵とトマト)がすごく美味しかった。見たことのない美しい羽もついていた。卵とトマトの組み合わせは餃子だけでなくスープや炒め物でも食べたことがあるので、中国ではド定番なのだと思う。酸っぱいものが好きな人はぜひ試してほしい。メニュー上では具が色々選べる。他の餃子も2種類くらい食べたがなんだったか・・覚えていない。
北京烤鸭(北京ダック)
日本でも食べたことがあるが、肉、タレ、皮、全てにおいて日本で食べるよりはるかに満足感がある料理になっていた。まず肉だが、どんだけ逞しいアヒルだったんだろう・・ってくらい肉厚でジューシー。そぎ切りにしてあるから食べやすいのだけど、うまみがもうぎゅぎゅっという感じなのだ。そしてタレ。タレも日本で食べるような「ザ・甜麺醤!」て感じではなくて、旨味が凝縮されより深みのあるものだったのだ。色もコックリと黒っぽい。何が入っているんだろ。そして皮。存在感がありながらも、生地自体が美味しかった。実は私はこうした小麦粉の生地があまり得意ではない(なんというか、生地っていうより小麦粉を食べているなあ・・って気持ちになる生地って時々ありませんか?)。にもかかわらず、しっとりとした皮が歯応えのあるアヒルの肉と馴染んでより食べやすくなっていた。余計なものなんて北京ダックにはないのだなあと思った。
雪綿豆沙(小さなあんまん)
瀋陽の名物料理らしい(正確にはデザートだけど)。砂のように細かいこし餡の入った蒸しパンに、上から砂糖と飾りをまぶしたもの。綿雪のちらつく優しい風景をイメージさせるこのお菓子が、私はとても気に入った。
以上の料理以外にも色々あって結局12皿も来ることになり、とても大きな円卓だったのに皿が多すぎて円卓に乗らなくなった。そして最後には皿と皿の上に皿を置く、というわけの分からない惨状になっていたのだった。中国人も認める本格海鮮料理というものを私はここで初めて食べることができ、本当に大々満足だった。とりわけ忘れられないのが彼らの心遣いだ。彼らの中には日本に来たことのある人もいて、現状の日中関係を考慮し「是非とも個室でくつろいで欲しい」と準備をしてくれていたらしい。私に至ってはろくに会ったこともないのに配慮してもらい、心苦しくもとても嬉しかった。じーん・・。
<あぽりんメモ>
・日本において、乾杯は食事の最初に一度だけ行うものである。しかし中国では、一回の食事で何回でも乾杯をする。それも、みんなの気持ちの昂ぶりに伴って頻度が急にあがってくるのだ。突如始まる乾杯に「え、10秒前に乾杯したばかりだケド・・」となったりする。そして時に、乾杯を前に感極まった人の長〜い演説が始まったり。今は中国でも健康志向が強まっているため必ずしも当てはまらないみたいだけど、以前は乾杯をしたらコップのお酒を全部飲み干さなければならなかったようだ。それも、ビールではなく白酒を・・。だからだろうか、中国のグラスは一貫して手のひらに収まる小柄なサイズなのである。(それでも私に白酒を飲み干すことはできない・・)
・後で知ったが、新洪記は「地球の歩き方」にも掲載されているようだ。地元の人も推薦するくらいなので、滞在する機会があるなら行ってみてまず間違いはないと思われる。なお、このお店はチェーン店ではなくて、今回向かった「新洪記」と「老洪記」の2店舗しかないらしい。