無意味の中の奇跡
僕は専門学校で救急救命士の資格をとった。当時の消防署はまだ救急救命士が6人くらいしかいない。当時は、救急救命士養成研修所で資格を取るのが一般的だった資格だ。
消防に何年か勤務しないとその研修所には行くことができない。救急車乗務⚪︎年以上。トータル総出動時間⚪︎時間のようにある程度の実績が必要だったし、ましてやこの資格ができて10年も経っていなかった頃。救急救命士そのものが珍しく、搬送先の医者だって「何?その資格」という具合だった。
そんな中、資格を持って採用されたという僕は、良い意味でも悪い意味でも注目されていくのである。
良い意味というのは、救急救命士としての知識が優れていたということ。もちろん僕が特別優秀というわけではないはないが、先輩たちが資格をとった救急救命士研修所の入所期間6ヶ月に対し、専門学校は2年間もあるのだ。学生気分であると言うことを差し引いても余りある期間であることに間違いはない。
足りないのは現場経験くらいで、救急救命士としての医学的知識は、先輩救命士よりももはや上だった。そんな僕を知ってか、「あいつは使えるやつだ」と評価を受けるようになったのである。
悪い意味というのは、救急救命士といえどもお前は消防士だからな!というやつだ。消防士がベースであって、それがまともにできないお前は不十分だ。つまりは調子に乗るなという事。
もちろん僕は、他の消防士と同じように消防学校を卒業した。基本的な消火技術も理解している。その辺りは、救急救命士を持たずに採用された同期と何ら引けは取らないはずである。それでも、救急救命士としての実力と比較されてしまうと、消防士としての力量にの低さはやはり際立ってしまうのだ。
救急救命士としてチヤホヤされている僕を、よく思わなかった先輩がいるのも、考えればまぁ当然のことだ。
そのような環境で育ったものだから、僕は消防士になった当初から、ロールモデルと呼ばれるような、僕が目指すべき理想像を有する先輩はいなかった。もちろん消火はこの人、救助はこの先輩。救急救命士として憧れるのはこの人。というのはいるが、僕と同じような環境で生きてきた先輩は誰一人いないから、全幅信頼という訳にはいかない
同期で飲み会をすると「誰に憧れるか」という話題になる時は本当に困る。この歳になって、親父に憧れています。なんて言えるわけないではないか、、、。そんな時には適当に、みんなが好きそうな先輩の名前を挙げることにしている。「あー!お前もかー」ってなったり、「この前言ってた人と違くない?」となったりする。適当に答えてるから仕方ない。
目指す先輩がいないというのは、なかなかに辛い。そのせいか、僕は20代の頃から自分だけの人生を生きているという感覚があって、それはまるで、あるかわからない宝物を見つけるために、ひたすら地面を掘り進めるようなもんだった。
しかし、一見無意味に思えるような作業でも、奇跡は起こるものである。
その頃から、JPTECと呼ばれる交通事故の救急活動を主体とした教育コースに僕は関わることになった。そして僕は、この中で「師」という存在を初めて感じることになるのである。
そして思い知らされる。
上には上がいるもんだと。