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『私はウイルス』——第2章 痛定思過:1 新しいコロナウイルスはどこから来たのでしょうか?
この度の新型コロナウイルスについて、海外の人々の中には武漢のP4実験室(中国科学院武汉国家生物安全实验室)からのものではないかと疑う人がいる。私もかなりの程度疑う気持ちがある。現下の中国のこのような不安定な社会構造においては、常人が思いもよらない(匪夷所思)手抜かり(疏漏)が生じるかもしれないからだ。なぜ中国政府は今に至ってもアメリカのウイルス専門家を受け入れようとしないのか、世界保健機関(WHO)の医学の専門家が武漢に来ないのか、確かに理解できない。このような惨烈な災害に直面した政府がどうしてできるだけ早く科学的な解決の方途を探そうとしないのだろうか? ただ、国際的な善意の援助を拒絶することは、面子にこだわり(死要)生命を軽視する政府の本質には合致するものではあるが、そこまでして彼らが何かを隠そうとするかは疑問だ。病原がはっきり確定される前、医学的常識を欠いた普通の人間である私は私見を述べることができない。今回の新型コロナウイルスは2003年のSARS同様、やはり野生動物に由来するものとしばらくは考えておきたい。
「広東人は4本脚のものならテーブル以外何でも食べる」という笑い話がある。広東人が野生の味を好むことは全国でも知られるところだ。だから2003年のSARSが広東省を皮切りに爆発的に広がったことは見るからに納得できる。今回の新型コロナウイルス流行の中心地が我が家の近くの華南海鮮市場とされることについては、野生の味という点に限れば、私の第一感は疑問符だった。野生動物に由来するウイルスがなぜ武漢で爆発するのか? 野生の味を好む点では武漢人はせいぜい全国平均のレベルだ。SARSから17年、中国人はSARSを教訓として野生の味を捨て去ることがなかったし、国もSARSを奇貨として野生動物の取引禁止を立法化することもなかった。今回の痛みを教訓に(痛定思痛)たとえ取引禁止を立法化しても、中国人の遥か長い食文化の歴史を思えば、野生の味を食卓から徹底して排除することはできないと断言できる。理由は3つある。一つは、中国には「以形補形」という食事療法的な考え方があり、それは少なからぬ人にとって信仰ともいえるもので、滋養(补)のためにリスクを冒してでも食べようとするからだ。この考え方を愚昧と切って捨てることは容易で、欧米人には理解できないかもしれないが、根強くある。二つ目は、漢方医学(中医)が中国では依然多くの信徒を持っていることだ。野生動物を使った漢方薬の民間療法はどこでも見られ、人々は健康のためそれらを飲むと心が安らぐ(心安理得)。もう一つは、中国は依然として人治国家という本質から脱却しておらず、法あって従わず(有法不依)、法の執行があいまいというのが常態だからだ。この点は、私が新型コロナウイルスの発生源を分析するとき非常に大事なところだ。
武漢が野生の味を楽しむ習慣においてあまり盛んでなく、全国には食用野生動物の取引市場がおびただしくあるというのに、どうしてウイルスがよりによって(偏偏)華南海鮮市場で爆発したのか? 当然ながら私はその問いに対する答えを衛生管理、すなわち屠畜、運搬、保存、販売などの衛生環境管理に求める。海外生活の長い友人たちは「中国に帰って、外で食事をしてお腹をこわしたことがある」とほぼ100パーセント口をそろえて言う。それも帰国のたびに毎回、幸運な例外はない。このように見ると、中国の食品衛生および環境衛生の状況は非常によろしくない(糟糕)。確かにここ数年、私の身の回りの友人たちの多くが外食を避けよう、減らそうとしている。国内に住む人は海外からの帰国者のように敏感ではないのは、おそらく身体が各種の病原菌に慣れているからと解釈されるだろう。
要するに、野生動物を食べる陋習は過去17年間ずっと中国にありつづけた。なぜ今回、武漢で新型コロナウイルスが爆発したかは、衛生管理が問題だったと私は考える。中国は、衛生管理面の法律法規がけっして少なくなく、条文によっては規制の度合いが他の国々より厳しいものさえある。ただ残念なことに、今の目からすればいずれも形だけで(形同虚设)、一つとして食品安全の実をもたらしていない。その原因を掘り下げると、やはり食品安全管理体系全体の運用が拙劣で、その仕事に従事する人も取り締まる側の人も互いに敬意を払わない。政府が高い税を課し、取り締まる人間が貪欲に金を求めれば(贪污寻租)、事業者はリスクを取らず、収益性を高めようとしない。これが非常に重要な原因だ。私の印象では、外国の食品安全管理では中国のように頻繁に検査を行ったり、検査体制が曖昧(多頭管理)だったりしない。すなわち法律依拠の厳格さ、事業者の自律が顕著だ。
私を含め、ほとんどの人は、ウイルスの発生源が野生動物であると見て、国が野生動物の取引禁止を立法化することを支持する。これが私の結論だ。ユダヤ人は2000年前、ユダヤ教の教義として不潔な食物を食べることを禁じた。中国人が熱愛する野生の味はみな不潔な食物に属する。ユダヤ教の流れを汲むキリスト教やイスラム教も不潔な食物の食用禁止を部分的に継承している。食物に事欠いた2000年前には何でも食べるのが当たり前だっただろうに、ユダヤ人は観察からいくつかの動物は食べると容易に病気を引き起こすことを知り、それらの動物を不潔な食物として教義で禁止し、その智慧を知らしめた。一方、中国人は世界でも指折りの食いしん坊で、食にこだわるあまりリスクを無視する。何でも食べる。野生動物がウイルスの発生源だった2003年のSARSをしても中国人の舌から野生の味を断たせることができなかった。遥か長い食文化の歴史は理性をして抗しがたく、政府は本来策を講じ(无所不在的政府本应有所作为)野生の味を立法化で厳禁し、安定維持の方途をもってその力を示すべきなのだ。しかしながら、政権の安全と無関係の政治テーマ、領域は専制体制の盲点となる。彼らの関心は永遠に一つ、いかにして共産党をだらだらと(苟活)維持繁栄(维繁)させるかということだけだ。市民の身体の健康も命にかかわる公衆衛生の問題も永遠に二の次だ。現状を見ると中国は大災難に遭遇しているが、政府を含む社会全体が反省をするかといえば楽観できない。将来またウイルスの変異が発生する穴(漏洞)が依然として存在するのである。