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『私はウイルス』——第1章 封城日記:4, 20200213 疫情转捩点
ずっと夜に物書きをする習慣で、この2日間も毎晩夜中の3時すぎまで書いて寝た。昼に起きると、私が関心を持ってチェックしている微博が着信を知らせた。スマホを開く。安否を気遣う全国各地からの微博はいずれも一つのニュースに関心を示していた。「武漢市2020年2月12日0時~24時の新増病例は13436、累計病例は32994」。都市封鎖22日間後、新たな病例がこのように爆増した。新型コロナウイルスの流行は完全に制御を失ったという結論を導かせる数字に、当然ながら友人たちは私の安否をひどく心配したのだった。
武漢にあってここ数日、ウイルスの流行をずっと観察・分析してきた私は、この新増数を見ても奇怪だとは思わなかった。私は友人たちに次のような解釈を示した。この新増数はこれまで政府がごまかし隠してきた患者数だ。もし実際の数を急いで発表しなければ、滞った実数はどんどん大きくなる。政府が最終的には武漢のウイルス感染者の総数をごまかせないとすれば、今後は毎日驚くべき新増数になるだろう。そうなってほしくはないが、武漢市の感染者数は10万に達すると推測(猜测)される。それが真の数字なら、現在の3万余の基礎の上にこれから1週間、毎日当たらに数千から万に上る新増が見込まれる。私が言いたいのは、都市封鎖22日目にして武漢はほとんど死の都市になっているということだ。ほとんど誰一人動き回ることも集うこともない。新たな感染が生じる可能性はすでに最低レベルに達している。このいわゆる新増の数字は、都市封鎖以前の感染が累積して出てきたものだ。
頭にくるのは、封鎖前の54日間同様封鎖後も、政府はこのような厳しい災難に直面してなお人民を甘く見て(藐视)、数字を操作し、つゆも態度を変えないことだ。しかもこの私個人も、被害者でありながら依然として習い性のように自己解読をするばかりで声を上げることはない。
怒りが収まったあと、さらに慚愧の念を抱かせたのは、午後に届いたあるニュース――湖北省の省委員会書記と省長、武漢市委員会書記の3人がともに免職となり、首をすげかえられたという発表だった。私は、この日の新感染者爆増と結び付け、やはり流行は確かに一つの転換点を迎えたと判断した。なぜなら新任の幹部は必ず短時間のうちに局面を好転(扭转)させ、このウイルスとの戦いに勝利しなければならないからだ。この時点で人事異動を発令するからには、彼らには転換点が見えているのだ。さもなければ悪化が懸念される、制御を失いかねない事態に習近平の側近(親信)を投入する必要はまったくない。
2月6日から武漢でレムデシビル(瑞德西韦=Remdesivir)の臨床投与開始。大きな注目を集める(备受关注)この薬は、武漢の人々の命を救う可能性のある、ひとすじのわらのような大事な手がかりと言っていい。ところが、今に至っても臨床投薬の進展についての報道がない。2月8日から10日にかけて、レムデシビルが重症患者に対して非常に有効だという情報を医療関係者のパイプを通じていくつも得たにもかかわらず、政府およびニュース媒体はなぜ公開しないのだろうか? たとえ薬効が十分でなくても、全市民が知りたがっているのだから事実に基づく発表をするべきだ。この疑問(謎団)と今日発表された人事が結び付いて、私はさらに確信を強めた。数日と待たずレムデシビルの治療効果が発表され、ひょっとすると大量生産の開始までも告げられるのではないか、と。その後は新増数がしだいに下降、治癒した患者数は増え続け、治癒者の数はゆっくりと新増数を上回るようになるだろう。そうやって新型ウイルス流行との戦いは新しい幹部の指導のもとで勝利に終わる……。ここまで書いて、私はまた自分の内なる邪悪さ感じた。私はなぜ彼らの考え方や段取り(想法和步骤)を熟知しているのか。そうだ、これこそ私がこの本を書こうとするエネルギーの源だ。私も一つのウイルスなのだ。
一つの慰めは、どのように推理して見つけたかはともかく、今日になってとうとう新型ウイルス流行の転換点が現れたということだ。かりに私が推測するように、レムデシビルがよく効き、すぐに大量生産ができれば、新型ウイルス流行はそれほど心配いらなくなる。都市封鎖はなお継続されるだろうが、レムデシビルの情報はさらにしばらくの間封鎖を続ける上での力になるだろう。この特効薬の情報は多くの人々に一晩警戒心を緩めさせるだろうから。すでに多くの市民は3週間以上も家に籠って過ごしており、まもなく気が狂う人も出よう。厳しい管理を無視して出歩く人が現れたら、過去76日間に及ぶ災難がもう一度繰り返されかねない。お分かりのように、これが「私はウイルス」の証明である。私は大衆を信じてはいない。私も私たちも、私たちが黙認している政府もみな大衆を信じてはいない。大衆は自分で判断する力も自分を管理する力もないと考えている。長い時間かかって大衆はそうした力を自ら放棄し、徐々に政府を頼るようになった。逆に政府は徐々に大衆を軽んじる(藐视)ようになった。一種の悪循環だ。
よろしい、さらに続く蟄居の時間、心静かに理性的であるようにしよう。システム的に反省するようにしよう。都市封鎖日記として書いているこの文章、私自ら流行の転換点と考えた一日も終わる。今次の災難、多くの人が多くの苦難を味わい、多くの人がそれぞれ違った方法でそれを記録していることを私は知っている。過去20日間、私はこの上ない惨劇を目にし、涙し、何日もその中にはまり込んで抜け出すことができなかった。今日、微博で全国各地の葬儀場が湖北省と武漢を支援しているという公開情報を見た。短い言葉でも人の心を十分押しつぶす。心ある人がネットで探し当てたデータによると――武漢には7つの葬儀場、84台の火葬炉(焚化炉)があり、1日最大2016の遺体を灰にすることができる。ある葬儀場責任者が外に漏らした通話の録音記録によると、1月23日から彼らの仕事量に異常が起きたという。悲惨なことに、以降全職員が1日3時間睡眠となり(通常仕事は半日)、超負荷での作業を強いられ、圧倒的に人手不足となった。今はこの情報の背後にあるデータを推理し数字をはじき出す気にはなれないが、私は自分を不断に叱咤し(提醒)·、こうした息を詰まらせるような悲嘆から抜け出て、できるだけ早く何かを始めよう。
こうした惨劇が中国で頻繁に繰り返し起きたことを認めないわけにはいかない。より惨状が激しかった1962年前後の大飢饉、多くの人が悲惨な生活を強いられたが、それから58年しか経過していない。現在、何人の中国人がそれを骨に刻み肝に銘じているか? 3000万人が餓死したというのに記念碑一つなく、今に至るも何が起きたのか追究する人もない。私たちは命を軽く扱う民族であり、死亡とは私たちにとって所詮一つの数字にすぎず、心の痛みも一時的な浅い感覚でしかなく、長い時間を要さず健忘の本性が戻ってくる。そのようにでも説明しなければ十分とは言えない。
ここまで書いて、私は慚愧と無力を覚える。それは私も私たちの一員であるからだ。この災難が私と私たちに何らかの深い影響を残すなら、明日から始めなければならない。行動を起こさねばならない。自らを救うものは救われる。