周りに合わせて自分を演じる。
そんなこともわからないほど状況状況に合わせて演じる自分が”私”だと思い込んでいた。
記憶の中では生まれてすぐから自分の感情を押し込めて生きてきた。
こないだ母が教えてくれた。
病院で先生にどうしたのか自分の言葉で言いなさい。
と言われたらしいが、頑なに言わなかったらしい。
言っても聞いてくれない。寄り添ってもらえない。
そう私は理解していた。
否定される痛さを、この頃からすでに恐れていた。
人の顔色を伺いながら、周りに合わせて自分を演じる。
今、A Iで↑を調べると、
”他人の期待に応えるために自分自身を変えること。
真の自己を表現しないまま他人に合わせることがもたらすすとれるや不満について。。。” などなどの興味深い文を見つけた。。余談です。w
私は長い間過食症に怠っていた。
あまりにも重たい感情や強い自己否定のエネルギーにより、自分を表現したいけどできないもどかしさだったんだと思う。
動くに動けない。
その頃にもよく、自分はこうしたいのに言えないことが多く、人に合わせてしまうことが多かった。結果、疲れてしまって寝込む。そして友達もいなくなる、、、という悪循環を産んでいた。
自分が大好きだと思うことを表現して、友達が去ってゆく、、、
一人ぼっちになってしまう寂しさが、
強く私の潜在意識に染み込んでいた。
だから、
自分が大好きなことをして、これが自分だー!!と思い切り表現して、
いなくなってしまう友達ならそれまでなんだって頭ではわかっていても、
体が拒んでいたんだと思う。
とにかく、
誰も自分に気づいてくれない、
私なんかこの世にいてもいなくても同じ、
=自由
とも考えられるのに、
見捨てられ不安が強い私は、
なかなかそこを手放せないでいたんだ。
そこにしがみついていたから、
ずっと重たかった。
=人に好かれようと頑張っていたから。
でもそーすることで今まで生きて来れたんだよね。
それに気づいてゆくこと。
また合わせてしまった自分にも。
それから
本当は私はどうしたいの?
どうしたかったの?
ゆっくりと聞いてあげたらいい。
今もまだ、
合わせてしまう自分がいる。
前までそんな自分が嫌いだったけど、
今はそんな自分もいいねって、
今度はちゃんと言ってみようか?
って思えるようになってきたように思う。
合わせてしまうのも優しさ。
辛くなるようだったら、
聞いてみよう。
本当はどうしたい?
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