10円玉の恋

郵便ポストがまだ赤い円柱形で叩くと瀬戸物のような感触があったとき。
電話ボックスという電話を架けている時に、胸から上だけの姿が四角いガラス窓から見える公衆電話が、街道沿いに点在していた。たばこ屋には赤電話はあったが、それは用件を済ますためのものだった。

すべての家庭に電話があるわけではなく、ましてや今のように携帯電話などというものがなかったときは、この公衆電話が好きな人とを繋ぐ糸だった。
恋文というものがまだ、流行っていたときに、どうしても好きな人の声を聞きたいときは、この四角い電話ボックスが10円で延々話すことができる魔法の箱だった。

男の子が、好きな女の子ができるとまず髪の毛を気にしだす。
わたしもそういう時を通過したことがあった。夜にその子のことを考えだすと、机に向かって「好きです」という字を高級便箋に連綿と書き綴ったことを覚えている。それから、残りは好きな女の子の名前を埋め尽くすことで終わる。
ラブレターというものを出すのはとても勇気がいる作業だった。郵便ポストの前まで行き、投函するわけなのだが、どうしても、手から封筒を放すことができずに、また、家に持ち帰ってしまう。

電話で意味のないことを話すことも今から思うと愛情表現だったのかもしれない、中学生くらいの時は。
10円で何時間でも話ができた時代は、きっと恋がそこらじゅうにあったような気がする。

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