#17 毒親との関わり方 ~10年ぶりの再会は15分~
心身ともにボロボロになり、独立当初から支えてくれていた彼にも限界を告げられ、その彼から「親は絶対助けてくれるはずだから、頼むから親に連絡してくれ」と何度も言われていたものの、数ヶ月心の踏ん切りがつかず迷っていた私でしたが、ついに限界になり、恥を忍んで10年ぶりに親に連絡し、SOSを出しました。29歳の時のことです。
親は、とても心配してくれていたように思いました。
実際、当座のお金がいるだろうということで、100万円を生活費としてすぐ振り込んでくれました。成人していながら親の世話にならなければならない状況は心苦しかったですが、そんなことも言っていられない状況だったので、ありがたかったし、本当に助かりました。
後から親がメールで言っていた話では、「未成年の私を放り出したこと」だけはさすがに罪悪感があったようで(正確に言えば、自ら出て行ったわけですから、「出ていくのをそのまま放置してしまった」ということになるんでしょうが)、そのことについては申し訳なく思っている、未成年の間に親としてするべきだったことくらいはしたい、ということで、お金を渡してくれたようでした。
そしてこの時、親が驚く発言をします。「あなたの様子を見に行く」と言い出したのです。
普通の親だったら、子供が具合が悪いと連絡してきたら飛んでいくのは普通でしょう。でも家の場合、これまで書いてきたように、親は私を背教者という極悪人、悪魔として見ていたはずでしたから、この発言には驚きました。
15話で書いた、入社後に父が私の様子を見に来た時と同じく、私はバカなことにまた少し期待をしてしまいました。10年の時が流れて、あのとき受けたショックも薄れかけていた、というのもあったでしょう。
もしかしたら、だいぶ時も経ったし、とりあえず宗教のことは抜きで、親として子供を本当に心配してくれているのかもしれない、と。だからこそ、顔を見に来てくれるのかもしれない、と。
そして、当時住んでいたアパートに、両親が揃ってやってきました。10年ぶりの再会です。二人は人目を気にするようにして、部屋に入ってきました。
父は、「ほう、全然きれいな家じゃないか」なんてことを言っていましたが、母の第一声は、「私ね、太らないように気をつけてるの」でした。
え、10年ぶりにあった娘、しかも(そう見えているかは別として)心身がボロボロになっている娘を目の前にして、まず自分の話かよ、っていう。笑
あとから考えれば、とっくにここから違和感なんですが、私は、適当に「そうですか~」なんて答えながら、二人を部屋に通しました。
そして、二人ともそわそわ落ち着かない様子で、周りを見回しながら、二言三言受け答えしたのち、父親が「排斥者には、一年に一度はこちらの会衆の人が訪問してくるはずなんだが、来たか」と聞くので、
「いや、来たこともないし、あったとしても知らない人が来ても出ないので、対応したことはない」と伝えると、
「そんなことはないはずなんだが…対応もしてないのか…」と渋い顔をして、「じゃあそろそろ私たちは、失礼」と腰を上げたのです。私が用意したお茶に手もつけないうちに。
時間にして15分しないくらいだったでしょうか。「もう少しゆっくりされていったらいいのに」と声をかけても、そそくさと急いで逃げるように出ていきました。
私は呆然としました。ん?あの人たちはいったい何のために来たのだ?ん??疑問符が頭にたくさん浮かぶばかりでした。
そして次の日、事の顛末を同僚に話したことで、頭の整理がつき、やっと分かりました。
両親は、「私が宗教に戻る気があるかどうか、確かめに来ただけだった」のです。もちろん、1㎜も心配してないということはないでしょう。でも、目的は、あくまでも「宗教に戻る気があるかないか」のジャッジだけだったのです。私の受け答えから、見込みがないと察したので、急いで帰った、というわけです。
これも、同僚におかしいと指摘されてはじめて気づいたことでしたが、両親は、10年ぶりに「思うように働けないほど心身がズタボロになった子供」を目の前にしても、一度も、ただの一度も、「体大丈夫?」とか、「今体調はどうなの?」など、「私を心配する言葉」をかけなかったのです。
この事実を理解したとき、私はまた、さらに、ズタズタに引き裂かれることになりました。
全て消化した今となれば、「アンタ、なに期待してんのよ、ほんとバカねえ」「一生親と関わらなくていいんだから、負担が減るぐらいに考えればいいのよ」なんて自分に言えますが、当時はとてもそうは思えなかった。
わずかな可能性であっても、「親が純粋に子のことを心配してくれている」と信じたかったのです。あくまでも、宗教よりは、親子の絆が先に来るだろう、それが当然だろう、と思いたかった。
それからの私はまた、それまでと同じように、ただ日々生きていくだけのために、仮面を被って、演じて、食いぶちを稼いで、という生活が続いていきました。
親の援助もあり、一時期は無理をすることなく休んだため、パニック発作はだいぶ収まってはいましたが、当然根本的な解決にはなっておらず、そんな生活の繰り返しによって心はどんどん蝕まれ、澱のような疲れとなって全身にたまっていきました。
ただ、ある意味、この出来事が契機となって、もう二度と、決して会うことはないこと、期待や、親子なのだから、という思いをすべて捨てて生きていかなければならないんだ、という覚悟が少しずつ出来ていったのだと思います。
そしてそれが、一歩ずつ、私への癒しと解放に繋がっていきます。
続きは次回。
ちなみに追伸ですが…
これまで週3回のペースで更新してきたnoteですが、いろいろと立て込んで参りまして、キャパオーバーを回避するために、これからしばらく週2更新でいこうと思っています。もちろん、余裕のあるときはこれまで通りで。
これからもお付き合いのほど、ぜひよろしくお願いいたします。