#12 毒親との関わり方 ~始まった冷戦~
前回のとおり、高校卒業=家出、を半年後に控えた私は、ついに時は来たとばかりに、反逆の狼煙をあげ、「初デートで初無断外泊」という荒行に出ます。
親を恐れず行動したおかげで、願ったタイミングのとおりに悲願だった彼氏もでき、私としてはとても幸せでしたが、当然、ここからさらに親との関係はどんどん悪化していきます。
無断外泊から帰宅した日も、「大変な剣幕で怒られた」とか「怒鳴られた」とかいうことはなく、「一体何を考えてるんだ?」という、腸が煮えくり返ってるのと、なぜこいつはこんなに言うことを聞かないんだという、怒りと呆れが混ざったような感じの詰められ方だったと記憶してます。
当然、一晩も「誰といたんだ」という話になります。ここで男とバレないために「クラスメート」などとウソを言ってしまうと、クラスメートに迷惑がかかる可能性がありましたし、もう決別の覚悟を決めてるわけですから、暗に「デート=男」だ、ということを認めました。
そして、「相手は誰だ」となります。当然、口が裂けても言うつもりはありません。携帯を奪われて見られることがないよう、家では携帯を肌身離さず持ち歩き、寝るときは枕の下に入れ、気を張って過ごしていました。万が一奪われたとしても、力ずくで取り返すつもりではありましたが。
彼にも、家庭環境のことを大まかに話し、電話をくれても出られないときもあること、万が一私の父親から電話がいって、もし出てしまったときは、誰だ、知らない、と適当にごまかして切ってくれ、と話してありました。
こうして、無断外泊という開戦を皮切りに、私は家では一切口をきかなくなり、父親とは常に一触即発の雰囲気でした。
ただ、当然そうなることは覚悟の上で反逆を開始していますし、幸いにも(?)父親は大変華奢な上、椎間板ヘルニア持ちで腰が弱いというウィークポイントがあり、万が一つかみ合いになったとしても、一般的な女子よりはるかに背筋力と握力のある私+火事場の馬鹿力+気迫が加われば、まあいい勝負にはなるだろう、という思いもあり、
父親もそんな私の殺気を察してか、力ずくでどうこうしよう、というようなそぶりはありませんでした。
そしてついに、待ち望んだ「処女喪失」の日が来ます。
その日も、なに食わぬ顔で学校に行き、そのまま彼と待ち合わせし、ホテルに行き、ホテルの部屋から家に電話をかけ、「今日は帰りませんので」と伝え、例によってガチャ切りしました。笑
そんな中での初体験でしたが、これは本当に思い出に残る素晴らしいものでした。
(詳細は別にまとめます。大変プライベートな話で恥ずかしいので、有料にすると思います。興味のある方だけお読みいただければ)
この後、家を出たあとの、苦しい生活、辛い仕事、打算や遊びの恋愛を繰り返す日々の中で、唯一思い出せる、汚れのない美しい記憶を持たせてもらったことは、私にとっての救いでした。
本当に、この初体験がなかったら、今生きていないかもしれない、といっても過言ではありません。
そもそも高校の頃の私は、周りに「これまでできなかった、やりたいことをとことんやって、25で死ぬ」と宣言していたのです。
だからこそ神様も、私を生かすために、このタイミングで、彼と出会わせ、この体験をさせてくれたのだと思っています。
次回は、いよいよ泥沼化してくる、家を出る高校卒業前の数ヶ月間の出来事について書いていきます。
お読みいただきありがとうございました。