アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.3 (1)
サーフビート・ゴーズ・オン
今回から暫くは、50年代末から60年代前半の西海岸のポップス事情をみていきたいと思います。ch.1で1960年のNo.1ヒットソングを紹介しましたが、ハリウッド・アーガイルズの"Alley Oop"が夏頃に1位になっていました。ウェストコーストのポップスの傾向として、ノベルティ・タイプの曲が多いという事もひとつの特徴だと思います。ハリウッドの土地柄なのでしょうかね。
この曲のスタジオ・グループのヴォーカリストはゲイリー・パクストン。その友人のキム・フォーリーがプロデューサーでした。キム・フォーリーは、ハリウッド・スターのダグラス・フォーリーの息子で、彼は裏方仕事でいろんなところに顔を出し、色々と仕込んでいました。
59年、キム・フォーリーは映画Ghost of Dragstrip Hollowのサウンドトラックをプロデュースします。そのアルバムからシングルカットされた曲が、「ジェロニモ」で、バンドはThe Renegadesでした。このバンドのメンバーは、作曲とギターがニック・ベネット、ギターとベースがリッチー・アレン、ドラムがサンディ・ネルソン、キーボードがブルース・ジョンストンと、彼らは後にビーチボーイズに関わっていくことになる人達です。
このメンバーの中からソロデビューしたのが、ドラムのサンディ・ネルソンでした。同じメンバーで録音したインスト曲「ティーン・ビート」は、ポップ4位、R&B17位のヒット曲となりました。
サンディ・ネルソンは60年代初頭にインペリアル・レコードからインスト曲を次々リリースします。61年の"Let There Be Drums"は全米7位のヒットでした。60年から63年にかけてスティーヴ・ダグラス(サックス)、アーニー・フリーマン(ピアノ)、レネ・ホール(ギター)らのサポートで、インスト・アルバムも多数リリースして、サーフ・ミュージックの火付け役となっていました。
サンディ・ネルソンはこの時期のスター・ドラマーであったことは間違いなく、また交友関係にも恵まれていて、ブルース・ジョンストン、ジャン・ベリーやディーン・トーレンス、アーニー・ギンズバーグらと学生時代から付き合いがあり、それが彼の音楽活動に好影響となっていて、キム・フォーリーの"Alley Oop"でも彼はドラムを叩いてました。また、フィル・スペクターの最初のNo.1グループであるテディ・ベアーズの「会ったとたんに一目ぼれ」のドラムも彼によるものでした。
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