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Songs for Today's Birthday 5/23 - Robert “Bumps” Blackwell

Robert “Bumps” Blackwell

ロバート・"バンプス"・ブラックウェルは、初期のジャズやロックンロールのトップ・ネームと仕事をしたミュージシャン、プロデューサー、作曲家です。 ブラックウェルは1918年5月23日にワシントン州シアトルで生まれました。 1940年代後半には、シアトルを拠点とする彼の「バンプス・ブラックウェル・ジュニア・バンド」はレイ・チャールズやクインシー・ジョーンズをフィーチャーし、ビリー・ホリデイ、キャブ・キャロウェイ、ビリー・エクスタインといったアーティストと共演していました。1950年代前半にカリフォルニア州ロサンゼルスに移り、アート・ルーペのスペシャルティ・レコードに務めました。

1955年、ブラックウェルはルイジアナ州ニューオリンズに飛び、次のナット・キング・コールになると期待されていた歌手リトル・リチャード(リチャード・ペニマン)をレコーディングしました。レコーディングの休憩時間、皆は近くのバーに向かったが、そこでペニマンはピアノで卑猥なクラブソングを弾き始めました。ダディ・バンプス はヒットを確信し、地元のソングライターを連れてきて、歌詞をきれいに直しました。「トゥッティ・フルッティ、グッド・ブーティ」は「トゥッティ・フルッティ、オール・ルーティ」となり、リトル・リチャードはスターになりました。バンプスは、"Good Golly Miss Molly"、"Long Tall Sally"、"Rip It Up "などのロック初期のヒット曲を書いたり共同執筆したりしました。

ブラックウェルは、ルーペの意に反して「ユー・センド・ミー」のヒットをプロデュースしました。 サム・クックがゴスペルからポップスに転向したことで、ゴスペル盤の売り上げが落ちることを恐れたルーペは、バンプスを解雇。解雇されたバンプスは、クックとその録音を街中のキーン・レコードに持ち込み、黒人ソロ・アーティストによる初のNo.1ヒットとなりました。その後、スライ・ストーン、ルー・ロウルズ、フィフス・ディメンション、チェンバース・ブラザーズ、ファイブ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマ、コースターズ、アイク&ティナ・ターナー、ボブ・ディランなど様々なアーティストをプロデュースしながら17枚のゴールドレコードを獲得しました。


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