Songs for Today's Birthday 11/26 - Nesuhi Ertegun
Nesuhi Ertegun
ネスヒ・アーティガンは、1917年11月26日、トルコ、イスタンブールで生まれた、トルコ系アメリカ人のレコードプロデューサーです。
アーメット・アーティガンの弟であるネスヒ・アーティガンが最初にジャズと関わったのは、40年代前半にワシントンD.C.でコンサート・プロモーターとしてでした。西海岸に移った後、アーティガンと彼の妻はキッド・オリー率いるバンドを組んで、それをレコーディングするためにハリウッドにクレセント・レコード・レーベルを共同設立しました。ふたりは40年代半ばから50年代初頭にかけてジャズマン・レーベルを経営し、アーティガンはクレフのライターやレコード・チェンジャーの編集者としても活躍しました。50年代初期にはUCLAでアメリカ音楽史の講師を務め、アメリカで初めて大学の単位でジャズ史の講義を行ったことでも知られています。アーティガンはまた、『グッド・タイム・ジャズ』と『コンテンポラリー』の両誌でアルバイトをしていました。1955年にニューヨークに移り、兄のレーベルであるアトランティックのアーティスト・レパートリー(A&R)責任者となり、レーベルのジャズへの舵取りを始めました。
アーティガンのもとで、一時はジョン・コルトレーン、チャールズ・ミンガス、ミルト・ジャクソン、モダン・ジャズ・カルテット、ハンク・クロフォード、デヴィッド・ニューマン、オーネット・コールマン、その他数多くの伝説的な人物たちと契約を結んでいました。彼は多くのモダンジャズ・カルテットのセッションをプロデュースし、50年代から60年代にかけてアトランティックが最先端企業としての評判を高めるのに貢献する一方、ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグラウンド』やレス・マッキャン/エディ・ハリスの『スイス・ムーヴメント』のような儲けの多いポップ・ジャズ作品をリリースしました。アトランティックのアルバムはインナースリーブで有名で、そのスリーブには入手可能な、あるいは近々発売される他のアルバムの写真が満載されていました。アーティガンは1971年までアトランティックの副社長を務め、合併したばかりのワーナー/エレクトラ/アトランティックの傘下で社長兼最高経営責任者に就任しました。1976年にはアトランティックのザッツ・ジャズ再発プログラムの立ち上げに貢献し、1985年には合併会社の会長兼共同最高経営責任者に就任しました。