法思想史まとめ①古代ギリシア
ホメロスやヘシオドスの叙事詩には、法の女神テミスや正義の女神ディケーが登場する。
テミスとは、神の意志に基づく権威的決定を意味する。
ディケーとは、法をただちに正しいものとするのではなく、裁判を通じて「各人に各人のものを与えること」を本質的意義とする。ディケーは神格化され、ディケーに反するものは神々を冒涜することとなると考えられた。やがてディケーは、宇宙全体を支配する秩序であると考えられるようになり、代わりに、神(デウス)が人間に課した掟たるノモス(法)が、ポリスの法・社会秩序たる地位を占めるに至った。
しかし、その後ソフィストが台頭するようになると、プロタゴラスが「人間は万物の尺度である」と説き、客観的・普遍的な真理・正義が存在しないことを示したように、相対主義により、現存の法秩序が神の意志に基づいて客観的に正しいものであるとの考えは大きく揺らいでいった。さらに、ソフィストたちはノモスを、永久に変わらないものを意味するピュシス(自然)と対置し、人為的・相対的にすぎない現存の法への批判を強めていった。
ソクラテスと法
ソクラテスは、問答法により多数の知識人を論駁したことから不興を買い、「ポリスの神々を認めない」「若者を腐敗させた」という罪を着せられ死刑判決を受けた。
ソクラテスは、死刑執行前に、友人クリトンの手助けにより脱獄する機会を得たが、これを拒否し、「ただ生きるのではなく、善く生きることが大切だ」と説き、毒杯をあおいで死んだ。
ソクラテスは、ノモスもピュロスに基づいており、正義とはノモス(法)を遵守することであると考え、悪法も法であるとして刑罰を受け入れたのである。このような立場を「遵法的正義」という。
プラトンと法
プラトンの法思想の特徴は、ソクラテスが個人の正義を追究したのに対して、プラトンは国家の正義を追究したところに表れている。
プラトンは、当初、国家の運営は哲人王による「人の支配」が理想であると考えていた。
しかし、これが実現不可能であると考えるようになると、次善の策として、「法が人の上に立つ主人であり、支配者は法の下僕である」とする「法の支配」「法治国家」の思想へと移行するようになった。
プラトンの説く法律は、たんに権力の濫用防止等だけでなく、市民の道徳的向上を図ることを目的とするものであった。
アリストテレスと法
アリストテレスは、「人間は本性的にポリス的動物である」というテーゼから出発し、正義とはポリス市民相互間に成立する「ポリス的正義」であり、ポリス的とは、法を持つことであり、正義を決定するものはこの法であるとした。
アリストテレスは、ポリス的正義を人為的正義/自然的正義に区分し、前者は人為的に作られた成文法であり、後者は成文法の欠陥を補う不文の法であるとした。
また、アリストテレスは、正義を一般的正義/特殊的正義に区分し、前者は法に適うこと(合法であること)であるとしもしている。これはソクラテスの説く「遵法的正義」と同旨である。