功利主義まとめ①古典的功利主義

功利主義とはなにか

 功利主義の基本原理は「功利の原理」である。 ジェレミー・ベンサムによれば、「功利の原理」とは、すべての人々の最大幸福を、人間の行為の唯一の正しい目的であると主張する原理である。すなわち、功利主義とは「最大多数の最大幸福」を指針として行為せよ、というものである。人権、平等、民主主義などはそれ自体としては価値を持たず、これらは人々の「幸福」を実現する限りにおいて価値を有することになる。

幸福とはなにか

 上記のとおり功利主義を「最大多数の最大”幸福”である」とする場合、ここにいう「幸福」とはなにか。また、その根拠はなにか。

 ベンサムは、苦痛が少なく快楽が多い状態が幸福であるとする。このように「幸福=快楽」とする立場を「快楽説」という。なお、幸福については快楽説のほか「欲求充足説」(選好充足説)や「客観的リスト説」等があるが、それらは別個に検討することとする。

 ベンサムは快楽説の根拠を以下のように説明する。自然は人類を苦痛と快楽という、二人の主権者の支配のもとに置いてきたことから、われわれは苦痛と快楽によって何をしなければならないかということを指示し、何をするであろうかということを決定する。苦痛と快楽は、われわれを支配しているのである。功利性の原理は、このような従属を承認して、その思想体系の基礎と考えるのである。

快楽に質的差はあるのか

 上記のとおり、幸福とは、苦痛が少なく快楽が多い状態を指すとされる。では、その快楽に質的差はを認めることはできるだろうか。

 この点、ベンサムは快楽に質的差を認めなかった。すなわち、詩から得られるような快楽も、プッシュピンのような単純なゲームから得られる快楽も、同じように善いと考えた。

 これに対して、J・S・ミルは、快楽の量さえ同じであればあらゆる快楽が同じ程度に善い、とは考えなかった。すなわち、快楽には質的な差があり、肉体的な快楽よりも精神的な快楽の方が重要であると考えた。その考えは、「満足した豚であるより不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい」との言葉に表されている。快楽には「高級な快楽」と「低級な快楽」があるとしたのである。ミルのこのような、快楽の量だけではなく質をも考慮する功利主義は、「質的功利主義」といわれる。


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