功利主義まとめ⑥総量功利主義と平均功利主義

総量功利主義(単純加算主義)

 古典的な功利主義は、総和主義かつ最大化主義(幸福の総量の最大化を志向する)をとる。このような最大化を志向する功利主義を「総量功利主義」という。この立場からは、人口を増やすことによって幸福の総量を増加させることに価値を認めることになる。

総量功利主義批判

 総量功利主義は、幸福の総和の最大化に着目するため、いかに厚生状態が低くても、多くの人が生まれ、幸福の総和が増加すればよいとする。しかし、幸福がわずか1ポイントしかない恵まれない人が100億人生まれれば、幸福の総和が100億ポイント増えて「善い」という結論は、人の厚生状態に対して無配慮すぎると批判できるであろう。

平均功利主義

 上記のような総量功利主義の問題を回避するため、重要なのは幸福の総量の最大化ではなく、幸福の平均であるとする考え方がある。このような考え方を「平均功利主義」という。平均功利主義は、総量功利主義に比べ、人々の幸福の平均値を問題とするため、上記のような幸福がわずか1ポイントしかない人々でも大量に産めよ増やせよという結論には至らない。

平均功利主義批判

 平均功利主義に対しては、平均幸福をわずかでも下回ってしまう人については、平均幸福を引き下げてしまうため生まれないほうがよい、という結論を導いてしまうとの批判がある。

先行存在説(存在先行説)と批判

 上記のような総量功利主義の難点(厚生状態が低い状態であってもとにかく人がたくさん生まれて幸福の総量が増えればよい)および平均功利主義の難点(厚生状態が低く平均幸福を引き下げるような人はそもそも生まれるべきではない)を避けるため、これから生まれる人々ではなく、すでに存在する人々の幸福に着目するという考え方がある。このような考え方を「先行存在説」という。先行存在説は、すでに生まれている人々の幸福にのみ着目するため、人口を増やすことによって幸福の総量を増加させることには価値を認めない。

 しかし、このような先行存在説に対しては、なぜすでに生まれている人の厚生だけが特権的な扱いを受けるのか、その論拠がないと批判される。

 

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