東海道を歩く 17 豊明~鳴海~有松~宮(熱田) 221203
12月に入りましたが、まだまだ暖かく、豊明駅から名古屋まで目指すことにしました
夜は、昔の知り合いの豊橋のNさんの家へ 旧知の仲間やお世話になった人たちに会いに行くのもこの旅の楽しみです
そういえば、以前名古屋営業所で仕事をしていたころは、毎日が旅のような営業車でのルート営業。豊田・岡崎・豊橋・浜松……。疲れ果て、休みの時は部屋の中で模型のジオラマ造りに熱中。
あまり周辺の観光もしていなかったけど、有松は電車で行ったかも
草薙の御剣
草薙の剣は三種の神器の一つ 日本神話においてスサノオが出雲の国でヤマタノオロチを退治した時に、大蛇の体内から見つかった神剣である
天孫降臨に際し、しばらくは宮中にあったが、畏れ多いということで、形代が作られ、形代を宮中に残し、本来の剣は伊勢神宮に移されたという
ヤマトタケルの東征の際、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは草薙の剣(天叢雲の剣)を授けた
その後、ヤマトタケルは相武国、または駿河国で敵の放った野火に囲まれ窮地に陥るが、剣で草を薙ぎ払い、難を逃れた。これにより難を逃れたためその剣を「草薙の剣」という(静岡・草薙神社もお参りしました)
東征を終え、ヤマトタケルは尾張国で結婚したミヤズヒメの元に剣を預けたまま、伊吹山の悪神(荒神)を退治しに行ったが、毒にあたり、三重県の鈴鹿山中で亡くなったという。ヒメの元の草薙の剣を呼んで亡くなったという。
その後、ミヤズヒメはヤマトタケルと草薙剣を祀り、これが後の熱田神宮になったという
宮中に残った剣は形代であったが、源平の合戦の際、安徳天皇と共に海中に沈む 朝廷と源氏軍は捜索・加持祈祷を行ったが、結局見つからず、伊勢神宮より献上された剣を「草薙の剣(形代)」とした(ウィキペディアより)