見出し画像

東海道を歩く 22 三雲~石部~草津~石山 230325

いよいよ、京までのゴールを迎える東海道
少し距離が長いのが気になる、少し間が空いてしまったので休日など歩く機会を増やしてトレーニングしていたw
京都に移住した中学時代からの旧友Aさんに会うのも楽しみだ
おりしも桜の季節だが、あいにく天気は悪そう…
今回はゴールの美酒をふんだんに楽しむために車は使わず、行きは夜行バス、帰りは新幹線という行程である
夜行バスは、久しぶりに一度乗ってみたかったのと、経費節約が目的だったが、出発点の東京駅地下ターミナルに来ると若い人がいっぱい
少し場違いのようで気おくれするが、これも旅の楽しみだと明るく列に並ぶ

若い子がいっぱいの東京駅八重洲バスターミナルで 22:40発
(早くも少し紅潮、少し飲んできたのもある😅)
(雨の中+暗闇でボケてしまったけれど)南草津駅ロータリーに到着 5:20
狭かったけれど3時間くらいは眠れた👌 混み合う車内から降りて少しほっとしている? 
5:46 南草津駅にて いったん草津駅へ向かい乗り換えて三雲駅に向かいます
JR草津線 三雲駅着 今日はここからスタート 雨が降りしきる 6:35
JR草津線は草津駅から伊賀市柘植駅を結ぶ 単線 全線電化
柘植駅で関西本線に乗り換え、亀山駅、名古屋駅まで行くことができる
前回は暗くなっての到着だったが水口からの街道はこんな感じ

JR三雲駅から線路に並行して西へ向かう
天井川になっている大沙川や由良谷川の下をくぐり行く道は、車も時折通るくらいで小雨の中一人歩くのも気持ちがいいが、こんな自然の中の道も残りわずか
石部宿に近づくにしたがって、街道の風情を感じさせる家並みの中になっていく

ところどころ自然の中の道が残っていますが、こんな感じも間もなくお別れでしょう
少し名残惜しい気持ちでゆっくり進みました 三雲城跡付近
夏見の一里塚付近 桜が咲き始めていました
寄り道や撮影で予定より遅れて甲西駅に到着 8:30
石部宿に近づくにしたがって街道の風情が
落合川を渡る これより石部宿(東口) 8:57

古くは「京立ち石部泊まり」といわれ、京から江戸へ向かう旅人が最初に
泊まるのがこの石部であったそうだ
石部には金山(銅山)があって、ここから「石部の金吉」という言葉が生まれたという

小雨の中のんびり歩くのも気持ちいい
吉姫神社 9:02
境内には万病に効くという宮前の湧水が湧いている
広重の看板があった こんな宿場の看板もあと二つか…?
石部宿は本陣などの遺構は残っていないが、
漆喰壁や連子格子などの ある古い町家が軒を連ね東海道の風情を感じさせる
雨の中でさすがに冷える石部駅に立ち寄りトイレ休憩 9:30
工事中で左手部並んでいる工事用トイレに入ったが、ちゃんとウォシュレットだったw 9:30
石部駅前の小公園
こんな碑もあった ここまで歩いた工程を実感
石部駅を過ぎると二股に分かれる 南へ大きく迂回する道が本街道で川沿いの道は新しい
以前は野洲川がよく荒れたことからこうなっているそうだ
右手に近江富士( 三上山)を眺めながら間の宿「六地蔵」へ向かう
六地蔵(栗東市)法界寺 10:15
六地蔵村は東海道草津宿と石部宿の間に位置した間の宿で
旅人などが休憩する立場として知られていた
法界寺のある六地蔵の地名は六体の地蔵 があったことからその名がついた。
現在 は重要文化財の木像地蔵菩薩立像が一体安置 されている。(平安時代作、像高96.5cm)
今回はUlanziのスマホグリップを使っているので(自撮り用のインカメラでなく)
アウトカメラの超広角も使えるし画質も良いはずだ(丸円内:自撮り用には付属のミラーを使う)
旧 和中散本舗 10:28
六地蔵には旅人のために道中薬を売る店が数軒ある
和中散は家康が腹痛を起こしたとき、この薬でたちまち治ったので付けられた名前という
茶屋本陣を務めた(国重要文化財)
街道沿いは、旅籠ではない、立派な民家(間口が広い)が並んでいる
それぞれの商売の名残のような看板があり、近江商人の隆盛を物語っている
焼杉の板を使用したしっかりとした家並である
街道を道なりに進み、手原駅過ぎでJR線沿いから分かれる 10:32
肩かえの松 旅人や人足など、この松の下で休憩し、荷物を担う肩をかえたという
稲荷神社の南の公園にかつて草津線で活躍していたD51が展示されている
右に折れて草津川沿いに進む 11:13
11:18 立場だった目川のひょうたんは名物で、旅人が茶や酒を入れる容器として売られていた
東海道の草津宿と石部宿の間には、目川立場と梅木立場があったが、
目川では地元名物の菜飯や豆腐田楽が評判であったようだ
目川一里塚跡(119里)
目川立場茶屋元いせや岡野五左衛門屋敷跡 11:21
前述の広重五十三次 石部宿「目川の里」は目川立場の繁盛店が描かれている
菜飯と田楽が有名だったという
とうふに味噌を塗り付けて焼いた目川田楽が有名 11:23
史跡・老牛馬養生所阯 11:35
牛馬を殺処分する様子を見かねた庄屋さんが、
老牛馬が余生を過ごせる場所をつくったという
膳所城の大手門
廃藩置県に伴い、城の遺物は栗東市林の長徳寺に移築された
さらに門を立て替えるためにこの地に移築された
瓦に本多家の立葵の御紋が見える
草の戸や日暮れてくれし菊の酒 元禄4年重陽 芭蕉
草津川に突き当たり栗東市から草津市に入る 11:37
いよいよ 52番目 草津宿 11:41
本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒 
東海道と中仙道の分岐、琵琶湖を大津までの矢橋の渡しの航路と、
瀬田の陸路の分岐などで大いににぎわっていた
「右金勝寺 志がらき道 左東海道いせ道」と彫られた
文化13年(1816年)建立の横町常夜燈草津宿の江戸側入口
草津川跡地公園ではくさつ桜まつりが開かれていた 11:53
草津川下流は典型的な天井川であったが、度重なる災害をもたらしていたため、
2002年中流域から琵琶湖にかけての草津川放水路が開削された。
この地は草津川跡地公園として整備された
L字の曲がり角部分に立つ 石造りの道標「右東海道いせみち 左中仙道のみのぢ」
東海道と中山道の追分の常夜燈 文化13年(1816年)建立 高さ4.4m
草津宿本陣跡(田中七左衛門本陣) 12:00
本陣が現存するのは二川宿とここだけである。全国でも最大級という
江戸時代の資料の数々が保管されている
忠臣蔵の浅野内匠頭や、吉良上野介、皇女和宮、徳川慶喜など名だたる人物が
実際につかった上段の間や湯殿などが当時の姿に修復されているらしい
立木神社 12:07
旧東海道に面して交通安全・厄除けの神社として1200余年の歴史を有する、滋賀県随一の古社
草津川をまたぐ旧東海道矢倉橋 12:11
草津宿から東海道を南下してくると矢倉橋を渡り旧矢倉村に入る
この橋を渡って右に曲がると、矢橋の渡し 大津まで舟で渡ることができた
旧矢倉村に入ると旧東海道は細くなる 12:15
矢倉の立場の風景早駕籠から振り落とされまいと必死でつかまる客が描かれている
後方は名物の姥が餅を出す茶屋「うばもちや」である
姥が餅は草津産のもち米でつくった餅を、甘さをおさえたこし餡でやさしく包み、
白餡と山芋の練り切りをのせた乳房の形をしたあんころ餅である
国立国会図書館デジタルコレクションより東海道名所図会より「うばがもちや」
左は「うばがもちや」さんHPよりうばがもち
『東海道名所図会』(とうかいどうめいしょずえ)は江戸時代後期に刊行された名所図会。
寛政9年(1797年)に6巻6冊が刊行された。京都三条大橋から江戸日本橋までの東海道沿いの
名所旧跡や宿場の様子、特産物などに加えて歴史や伝説などを描いたもの
江戸時代の旅のガイドブックで、いろいろな情報が書き込まれている
広重も京都に近い箇所について参考にしていたらしい
(広重五十三次は天保4-5年(1833-34年)頃か)
弁天池 12:53
広重の東海道五十三次よりも早くに出版された『東海道名所図会』には、
野路(のち)の玉川とともに弁天池が描かれている
「狼川」怖い名前だが、古名を老上(おいかみ)川といったらしい 桜が満開 13:29
しっとりした、桜の景色を満喫した 特に滋賀県内では静かに花見が楽しめた
東海道線をくぐると若松神社 13:47
檜山神社を過ぎると建部大社、いよいよ瀬田の唐橋も近い 13:59
近江国一之宮 建部大社 ヤマトタケルを祀る
今回の旅ではヤマトタケルの伝承地が多い
父景行天皇の46年草創、天智天皇白鳳4年(675年)に当地(瀬田)に遷座
源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、
後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。
建部大社説明板 建部大社とヤマトタケルの千円札があったんだ!
さすがに知らないけど…w
瀬田の唐橋 14:06
日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い古くは瀬田の長橋とも呼ばれ、
壬申の 乱以来、しばしば合戦の舞台と なり、その度に焼け落ちた日本書紀にも登場という
「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった
「武士(もののふ)のやばせのわたりちかくともいそかはまはれ瀬田の長はし」
急がば廻れの語源になっている
ワタクシにとっては毎年楽しみにしていたびわ湖毎日マラソンの聖地だな
今回の東海道で来たかったスポットの1つ
唐橋を渡ると旅館や商店が並ぴ賑や かになる 14:40
京阪電車、JR線を 過ぎたら旧東海道は琵琶湖沿いに北上する
ここから53番目大津宿 本陣2軒、脇本陣1軒、東海道五十三次中最大の宿場である
今日はホテルの関係で石山泊りだが、まだ早いし余力もあったので大津手前の膳所(ぜぜ)まで
足を延ばした 写真は京阪電車で石山駅に戻ったところ(15:40)
石山駅前の芭蕉像
「野ざらし紀行」の旅の途中、大津に滞在していた芭蕉のもとに門弟が集まり
湖南蕉門が形成されたという(電線はその打ち消しそう…か)

いったん石山のホテルに入ったあと後述の待ち合わせまではまだ時間もあるし、地元の銭湯を探して行ってみることに…
ホテルのユニットバスでは狭くて味気ないし、よい旅のあと(よい酒の前)には銭湯の大きな湯船で身を清めたい昭和下町派w

容輝湯16:36
約80年の歴史があったが2018年12月に閉湯となるところ京都在住の銭湯活動家たちが(みな若者らしい)受け継いだという建物やこじんまりした湯舟や洗い場など設備は昔のままと思われるが、よく手入れされていて夕方早くから地元の人がけっこう来ていた
容輝湯https://twitter.com/youkiyu_1126

夕食は大津市瀬田唐橋の炭火割烹 蔓ききょうさんへ
京都在住の旧友AMさんの案内で、この旅シリーズでは久々の豪華夕食ですw

焼野菜盛合せ(10種)
板さんがメニューの説明をしてくれてます
チラと映るのが旧友のAMさん
こちら腕利きのハンターから仕入れるジビエ 鹿肉のステーキ😋
蔓ききょう https://www.tsuru-kikyou.jp/


お店は唐橋の東詰めだったのでまた唐橋を渡り(3度目w)
唐橋駅から宿泊先の石山まで一駅電車に乗って帰りました
(…雨 やまない😓)

本日の行程(実質の旅以外も含む)35.8㎞/54,694歩

三雲駅~(7km)~石部駅~(10.3km)~草津川橋~(8.9km)~瀬田の唐橋~(1.2km)~石山駅~(2.5km)~膳所本町駅

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?