【Paris attacks】普遍主義の定義が問い直されているのかも知れない
なぜフランスでヨーロッパ最多のテロが発生するのか 主要な3つの事件を取り上げてみる
シャルリー・エブド襲撃事件
2015年1月7日、11時30分にパリ11区の週刊風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社に覆面をして自動小銃で武装したイスラム過激派テロリスト2人組が乱入し、編集者、漫画家、コラムニスト、警察官ら合わせて12人を殺害し、11人が負傷した。
まず受付の管理人1人を射殺した後、3階にある編集室に向かい「アッラーフ・アクバル」(「神は偉大なり」アラビア語・イスラム教で唱えられる祈りの言葉 )「ムハンマド(預言者)の復讐だ」と叫び、編集会議のために集まっていた人たちに向けて5分間にわたり銃を乱射し、警備にあたっていた警官1人と参加していた招待客1人を含め10人が死亡し、自転車で駆けつけた巡査1人も殺害された。
襲撃後、容疑者は車で逃走、途中車を何台か強奪しガソリンスタンドで強盗し、9日朝、警察に見つかりカーチェイスの末、パリ北東郊外の印刷会社に大量の武器を持って人質をとり立てこもったが、17時頃、治安部隊が突入し射殺した。
容疑者
実行犯はサイード・クアシ(34)、シェリフ・クアシ(32)の兄弟
クアシ兄弟の両親はアルジェリアからの移民で、兄弟が幼少の頃に父親は亡くなり、その数年後には貧困から母親も自殺している。もともと少年時代は宗教とは無縁に育った。
田舎の孤児院を出てからはパリに戻り、モスクで過激イマーム(導師)からの説教や過激派組織「ビュット・ショーモン・ネットワーク」での軍事的な訓練を受けたりした。
2003年頃からアメリカによるイラクへの軍事介入が本格化し、またアブグレイブ刑務所における捕虜虐待事件などにより、過激思想に傾倒していった。
2005年、弟シェリフは、イラクで「国際テロ組織アルカイダ」と米軍との戦闘に参加するため、パリからシリアに向かう旅客機に乗ろうとして警察に逮捕された。
2008年、シェリフはイラクにジハーディストを送り込んだとして約1年半刑務所入りした。
兄サイードは2011年、数カ月にわたりイエメンに渡航し、小火器の取り扱いや射撃など、「国際テロ組織アルカイダ系のアラビア半島のアルカイダ(AQAP)」の軍事訓練を受けた。
兄弟は立てこもり先でテレビの電話インタビューに答え「われわれはAQAPだ」と表明した。
後日、AQAPが「ムハンマドの風刺画を掲載し侮辱した同紙への報復を指示した」「標的を選び、計画を立て、資金を提供したのは指導部だ」という犯行声明の動画を出した。
追記:多くのイスラムテロ組織は、クシア兄弟を英雄として称賛している。
結論
シャルリー・エブド及びフランス社会は、批判の精神や表現の自由を盾に自らの主張を譲らない。だが事を荒立てるであろう際どい表現は別の人の感情を逆なでする。法律どうこうではなく、双方の文化に配慮し、それの必要性を吟味し、歩み寄ろうとしなければ不毛な嫌がらせ合戦となる。
ユダヤ食品店人質事件
2015年1月9日、パリ20区で発生した。アサルトライフル、サブマシンガン、ダイナマイト、2丁の拳銃などで重武装した男がスーパーに押し入り、人質をとって立てこもり、人質のうち15人ほどは助かり4人が犠牲となった。
「お前はユダヤ人か、ユダヤ人は殺す」
「印刷会社に立てこもっているシャルリー・エブド襲撃事件の犯人に危害を加えたら、スーパーの人質を殺す、彼らはパレスチナを守るためにやっているだけだ」とクアシ兄弟の解放を要求した。
9日17時印刷会社に立てこもっていたクアシ兄弟が脱出を図り警察に射殺される。スーパーで人質をとって立てこもっている犯人が知ったら激昂することが懸念されたことから17時9分警察が突入し犯人を射殺した。
容疑者 マリ系フランス人、アメディ・クリバリ(32)
この容疑者は、前日の8日、パリ郊外で女性警察官を銃撃し死亡させていた。
テレビによる電話インタビューに対し、「過激派組織IS(イスラム国)のメンバーであり、シャルリー・エブド襲撃事件の犯人と協調して犯行に及んだ」「イスラム教徒、特にパレスチナ人を守るためにユダヤ人を標的にした、シリア政府の行動、マリ、イラク、アフガニスタンでの西側同盟の行動に対する復讐」と答えた。GoProで撮影したユダヤ人殺害の映像をスーパーマーケットのパソコンからイスラム過激派のFacebookグループに投稿していた。
武装銀行強盗の罪で服役していた2005年頃に刑務所の中で初めにシェリフと知り合い、クアシ兄弟の両方と友達になる。
10代の頃から強盗や麻薬密売などを重ね刑務所を幾度となく出入りするうちにイスラム過激派と知り合い感化されてゆき、やがてイスラム国に忠誠を誓った。
「ビュット・ショーモン・ネットワーク」にクアシ兄弟と共に加わった。
2014年、妻アヤット・ブメディエンヌ(2015年1月8日シリア入りが確認されている、ISと合流した、その後のフランス裁判では不在のまま懲役30年の判決を受けている)と供に、イスラム教徒に義務づけられているメッカ巡礼を行っている。
※フランスは、イスラエルとアメリカに次ぎ世界で3番目にユダヤ人が多い。
フランス史上最多のデモ
2015年1月11日、フランス各地で反テロ集会が行われ、フランス全土で史上最多の370万人が参加した。首都パリでは、イギリスのキャメロン首相、ドイツのメルケル首相、スペインのラホイ首相、イスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長など世界各国首脳ら数十人も加わり、約160万人が参加し、街頭を埋め尽くした。
フランスのオランド大統領は、「今日、パリは世界の首都だ」「国全体が立ち上がる」などと述べた。
デモ参加者は、「私はシャルリー」のスローガンを掲げ街を練り歩き、連続テロ事件の犠牲者を追悼し、テロに屈しない姿勢を示した。一連の事件では3日間で計17人が犠牲となり、フランスでは過去50年間で最悪のテロであり、その後続発する多くのテロの引き金となった。
追記:同日、ある人気コメディアンは、私はシャルリーとアメディ・クリバリをもじって、「今夜私は、シャルリー・クリバリのような気分だ」とFacebookに投稿し、当局に反ユダヤ的発言でありテロ行為を賞賛したと受け止められ、逮捕されている。
パリ同時多発テロ事件
2015年11月13日、パリ市内と郊外のサン=ドニ地区の商業施設において、過激派組織IS(イスラム国)の3つのグループにわかれたのジハーディストによる銃撃および爆発が同時多発的に発生し、死者130名、負傷者300名以上を出した。
サン=ドニにあるスタジアム『スタッド・ド・フランス』では、男子サッカーのフランス対ドイツが行われていた。21時台にスタジアムの入り口付近や近隣の飲食店等で3回の自爆テロが起き、市民1人が死亡した。
21時30分ごろ、パリ10区と11区の飲食店等4か所以上で、銃撃や1回の自爆テロが起き、39名が死亡し42名以上が負傷した。
21時40分、犯人らはイーグルス・オブ・デス・メタルのコンサートが行われていたバタクラン劇場(最悪の被害を受ける)を襲撃し、観客に向けて銃を乱射した後、観客を人質として立てこもった。14日0時20分、警察が突入し、犯人3人のうち1人を射殺、2人が自爆死、観客89人が死亡し多数の負傷者が出た。
容疑者
実行犯は9人(8人は現場で死亡、1人は後に逮捕)。大半がフランスやベルギーの国籍を持つ、中東や北アフリカからの移民2世。シリアで計画され、ベルギーで準備された。容疑者20人起訴。
サラ・アブデスラム容疑者(26)、実行犯のうち唯一の生存者。
車の運転などテロの準備に関わった疑い。ベルギー当局は2016年3月、地元ブリュッセル首都圏のモレンベーク地区のアパートに潜伏していた所を銃撃戦の末拘束した。刑務所ではヒーロー扱い。ベルギーの裁判所は2018年4月23日、殺人未遂で禁錮20年の有罪判決。フランスに移送。
兄、ブライム・アブデスラム(31)はバタクラン劇場近くのカフェで自爆した。周りからはアブデスラム兄弟は、普通の人たちだったと言われている。
アブデルアミド・アバウド(28)、テロの首謀者で指示役。モロッコ系ベルギー人、モレンベーク地区出身。
2013年にISILの戦闘員 となり、シリア内線に参加し、数々の戦果を挙げる。その後ヨーロッパでのテロを任せられ2015年複数件のテロの勧誘活動や資金提供などに関与し、同年7月にはベルギーの欠席裁判で懲役20年の判決、以前より国際手配を受けていた。
2015年11月18日、サン=ドニのアパートに潜伏中、当局の突入により射殺された。
追記:ベルギーの首都ブリュッセルの西郊にある、貧しい移民街と化した❝モレンベーク❞地区。人口約9万人で約8割がイスラム教徒とされ、その多くがモロッコ系である。失業率は約3割で、ベルギー全体に比べ高い。この街には多くのイスラム過激派テロリストが集まり、ここから若者が何人もシリアに向かっている。
動機
犯行の翌14日、ISはフランスのシリア空爆に対する報復であるとする声明をインターネット上に出した。
背景
フランスは、イラクとシリアでISを攻撃している主要国の一つであり、アフリカでも積極的に軍事展開している。
武器
AK-47、手榴弾、全員が爆発物を仕込んだベルトをしていた。
結論
支配は易し 共存は難し
ニーストラックテロ事件
2016年7月14日、フランス革命記念日、を祝う花火の見物に約3万人が集まっていた、フランス南部・ニースの遊歩道プロムナード・デ・ザングレに、19トンの大型トラックが突っ込んだ。この事件により少なくとも84人が死亡し、202人の負傷者を出した。
夜の10時半、通行人を狙い約2キロにわたって猛スピードで蛇行運転してから、自動小銃を乱射し、最終的に警察官に射殺された。
このテロは、第二次世界大戦以来のフランスでは、2015年のパリ同時多発テロ事件に続き、2番目に死者の多い事件となった。
容疑者
チュニジア国籍、ニース在住のモハメド・ラフエジブフレル(31)
父親によると同容疑者は数年前からうつ状態だった。2002~2004年ごろにノイローゼ気味になり、突然怒ったり叫び出したりするようになって、目の前にあるものを端から壊して回った。そこで家族は精神科に見せ、定期的に薬を処方されていた。宗教には無関心、非社交的で、酒を飲み、薬物にも手を出していた。
2005年に移住。子供は3人がいるが約2年前に別居し1人暮らし、離婚手続中だった。配達の運転手をしていた。脅迫や窃盗などの犯罪歴があった。
2016年3月、交通事故をめぐり相手の運転手に怪我を負わせたとして傷害罪で執行猶予付き有罪判決を受けていた。
警察は犯行準備を手伝った疑いで他5人を逮捕した。
IS(イスラム国)は、IS系通信を通じ、事件はISの信奉者により「イスラム国と戦う連合国の市民を標的にするよう求めた呼びかけに、彼は応えたのだ」と表明した。直接の関係は薄いと見られる。
背景
欧米諸国ではメディアなどを通じて扇動されたローンウルフ型テロが目立つ。長年その国で暮らしながらも社会に馴染めず、差別などに直面するなかで、実在するカルト的な集団に共鳴し、ホームグロウンテロを行う。信仰・政治上の理由だけでなく、対人関係のトラブルやメンタル面の問題が引き金となるケースが多い。
結論
精神的に不安定な人々の中には、個人的な問題を都合のよい思想に重ね合わせ、人生を清算するのに利用することがある。
まとめ
フランスのイスラム教徒は、人口の7.5%の約500万人にも上り、EU加盟国のなかでは最も多い。フランスが所有していた旧植民地にはムスリムが多かった。第二次大戦後の経済成長期には、労働者不足のため仕事を求める旧植民地出身者を中心に移民を大量動員した政策を採るが、1980年代ごろから慢性的な不況になると格差や失業が広がり、その原因を移民のせいにされ、反イスラムを中心とした排外主義が高まった。
教育、雇用、住宅等で孤立化した貧困層のムスリムは、疎外感や恨みから過激思想に感化されて行く者が多数出てくる。
近年、組織的な犯行から単独犯が主流になり、中東からヨーロッパにかけて広く潜在する危険分子の事前予測は困難である。
フランス国民の中に、一部のイスラム過激派と一般教徒全体とを混同したイスラムフォビアが広がり始めている。
自由・人権を口にし世俗主義・普遍主義のフランスで、彼らに従わないムスリムを異質扱いし隔てるのは容易い。
2004年にヴェール禁止法(公立学校におけるヒジャブ(スカーフ)禁止)、2010年にブルカ禁止法が制定された(ニカブやブルカなど、顔を覆うマスクを公共の場で着用することを禁じる)。さらに女性向けの水着「ブルキニ」の着用の禁止も議論されている。政教分離(ライシテ)だとかコミュニケーションに支障をきたすとか治安上問題があるとか。女性を解放するためと言いながら外も出歩けなくなるだろう。マスクをした女性のどこが怖いのか?
曖昧な基準で危険と判断されたモスクの閉鎖や宗教団体の解散、テロを擁護する言論での逮捕などが為される。
取り締まりや締めつけより、根本的な社会問題の解消と親身になって寄り添うことが肝心だ。テロを防ぐには、彼らの声にも耳を傾け、自身の生活する社会への高い帰属意識を求めなければならない。
フランス自身の伝統への愛執が、以前とは変わってしまったあるがままの他者を受け止めることを拒んでいるようにも取れる。