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子育ての報酬は自分で作ろう

子育ては地味なものである。

主役は子どもで、親は脇役兼スタッフであり、

しかも年中無休で休みはない。

そして10年以上にわたる長期戦であり、2〜3日頑張ったら成果が出るというものでもない。

その上、成果自体もどうなったら成功とか失敗かの判断基準もない。

しかしこれだけの時間と労力をかけてする子育てに評価や報酬がないことは残念なことだ。

そこで他人や社会からの評価や報酬を期待することはできないが、せめて自分自身で評価や報酬を与えることができないものだろうかと考えてみた。

本を読んだり、ネットで検索したりしてみた中で1番しっくりしたのが「遊び」だった。

ゲーム性と遊び

(中略)これからは「遊び」という概念がますます重要になってくる。
遊びと聞くと、飲みに行くことも遊びになるし、街中をぶらつくことも遊びになってしまうが、大人の遊びではなく子どもの頃の遊びを思い出していただきたい。問題設定があり、それを解決していき、その中で報酬が決まり、楽しいと思える。それが遊びだったのではないだろうか。

たとえば、ゲームをする、将棋をする、ごっこ遊びをする、スポーツをするというのも、あるフレームの中に、問題と解決と報酬があって楽しいわけだ。
だから、まず遊びとゲームとルール設定は切り離せない考え方である。

(出典)落合陽一 超AI時代の生存戦略
     シンギュラリティ(2040年代)に備え  
      る34のリスト   大和書房2017

たしかに子育てを「遊び」とし、ゲーム的に捉えると、

例1)
発育、発達途中で栄養方法は液体である母乳やミルクのみであることを問題として、哺乳の仕方や適切な離乳食で解決し、その報酬として自分で固形の食事を取ることができるようになり、家族全員で食事がとれるようになり、楽しい時間を過ごすことができる。

例2)
三輪車しか乗れないことが問題として、自転車の乗り方ができるよう解決し、その報酬として心地よい風を感じながらサイクリングを楽しめるようになる。

こんな感じだろうか。

何が問題であり、どのように解決できるかを明らかにすると、ただ作業を繰り返すような単調さはなくなる。そして評価することを繰り返すことで、より良い結果を導くことができる。

そして継続していくためには報酬系が必要であり、そのことを最も考えなければならない。

ギャンブル・コレクション・心地よさ

(中略)問題の発見とその解決は仕事でもよくやることだが、自分にとっての報酬が何かを考えないと、(中略)継続性が生まれないし、モチベーションが起きない。

そこで「ギャンブル的」な定義の仕方が重要になってくる。つまり、ドキドキして、たまにうまくいく、という課題設定と報酬の話だ。

(中略)射幸心としての「ギャンブル的な報酬」と収集欲としての「コレクション的な報酬」。それと、より体感的な「心地よさの報酬」というのもあるだろう。

(中略)これら3つの報酬が、物事の継続性を生む。

(出典)落合陽一 超AI時代の生存戦略
     シンギュラリティ(2040年代)に備え  
      る34のリスト   大和書房2017

そういえば私が今まで継続できたものにはギャンブル、コレクション、心地よさが報酬として存在していたように思う。

それはモヤモヤした言語化されていない感覚であったが、言語化されることにより、こういうことだったのかと合点がいく。

そうすると、まず取り組むべき問題は自分自身を観察することだ。自分がどんなものが好きで、何に価値を置いているのかを見極めることが重要になるだろう。

現実の子育ては大変だったり、辛いことも多いことは否めない。最初に書いたように子育ては何かを積み重ねていくような地味なものであるり、金品の報酬はない。だからこそ些細なことでも遊びの要素を入れることでゆとりが生まれる。ユーモアや楽しみを入れる姿勢が必要だと思う。

そして自分にとってのご褒美、報酬があることを励みに日々勤しむことにしよう。







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