7.じっと手を見る
何かを理解したり記憶するとき、その核の部分だけを重視し、その周りの部分をないがしろにしてしまうことがある。
万人がそうなのかはわからないが、少なくとも自分の場合はそういうことが多い。
それは脳のリソースを効率よく使用するために合理的であると思うし、
もし肉付け部分も鮮明に記憶することになればあっという間に頭がパンクしてしまうので、
個人的には、基本的にそれが望ましいと思う。
だからなのか、この小説は一度数年前に読んだことがあったが、
最終的に主人公2人がどのような関係性で物語を終えるか、ということしか覚えていなかったというのが正直なところだ。
恐らく、初めて読んだ当時は起承転結がはっきりした物語を好んでおり、
日常や恋愛模様を描いた小説の読み方みたいなものを理解していなかったということも大きいのかと思う。
しかし、窪さんが書かれた本を最近いくつか読み、
今ならこれを読んで、何を思うだろうか?と思い手に取ってみた。
すると、物語の展開と同じくらい、
あるいはそれ以上に、登場人物各々が抱えている暗い過去だとか、自身でもどうしていいのかわからない葛藤に翻弄されるさまが印象に残った。
ところで、多くの小説の主人公は内省的であったり、自身に黒歴史と言われる過去等の足枷を抱えており、それが軸となり、物語が展開していく。
(とにかく性根が明るくていい奴で、悩みなんて特にないよ!って人物が
主人公だと物語が進まない、といった現金な理由かもしれないし、
あるいは単にそういう小説を私が多く読むだけかもしれない。
私自身、特別多く小説に触れてきたという訳ではないので。)
だから、登場人物の至らなさとかを通じて、
「全知全能な人間なんてこの世に存在しないし、各々が抱えるコンプレックスとか黒歴史とかに折り合いをつけて生きている」という至極当然なことを
物語という読者が感情移入しやすい手段で実感させてくれるし、
「自分だけが出来損ないの人間じゃなくて、誰もが皆問題を抱えているのだろう」と前を向かせてくれる。
ただ、小説はあくまでフィクションなのだから、
マイノリティーに焦点を当てられた小説を偏って摂取することで、
それが多数派だと錯覚すべきではないし、
例えば、事あるごとに考えて立ち止まってしまう人と同じくらいの割合で、底抜けに明るい人もいるのだろう、ということを念頭に置くべきなのだろうとも思う。
主観性と客観性を持ち合わせるのは意外に簡単ではないが、そのためには想像力が大切になってくるのではないか。