啐啄同時=そったくどうじ 年齢も場所もつまり時空も何も関係ないってこと
「啐」は鶏卵がかえるとき、ひなが殻の内から鳴く声。
「啄」は母鶏が外から殻をついばむこと。
禅宗で、機を得て両者相応ずること。
ちょうどよい時機にあたること。
出会う人は皆、先生だなと思うこの頃。
特に今、自粛期間中ということもあり、様々な分野の方がYouTubeだのLINEだの無料で動画や言葉を発信してくれている。
常に素直でオープンでないと、せっかくの時機を逃してしまう。
特に自分が殻を破りたいと感じているなら尚のこと!
「啐」
は自分の声。つまりは、行動だよね。
自分が今、何を欲しているのか?何に興味があるのかは、行動してみないとわからない。
じゃあ、行動するってどういうこと?
自粛期間中だと簡単に外には出られないだろうから、 TVやインターネットになるんだろうけど
ただ、ボーッとTVを見るのではなく意識的に
ただ、漠然とネットサーフィン(今や死語⁉️)するのではなく目的を持って意識的に。
そうすると、自分の興味のあるコト、モノ、ヒトなどが、なんとなーく分かってくるよね。
本との出会いもそうだね。
前に買って「つんどく」していた本が、今頃気になって読み始めたりするのも、「今」がその時ってことね。
その時わたしがよくやるのは、著者とFacebookで繋がったり、LINEやTwitterをフォローすること。
「啄」
すると不思議な事に
「啄」が聴こえてくる。
「こっちだよ。」コツコツ!って。
「アッ!」と思ったら、あれやこれやと考えずに、まずはそのコツコツと聴こえる方に向いて、自分からも声をあげてみよう。
「わたしはここよ!」って。
まー、それって何かに申し込んでみる、ってことだったりするんだけどね。
有料オンラインだったり、セミナーだったり
「もう、トシだし」とか
「開催場所、遠いしな〜」とか
全く関係ないよね。
だって、瞬時につながってるもん。
便利な世の中だね。
背中ポン!してくれるもの
何か理由が無いと、決心がつかない場合は、
とりあえず理由を見つければいい。
「これは今わたしに必要だから」とか
「前に誰それがこれがいいと言ってたよな」とか。
理由は後から分かるし、
分からなくても全然OK🙆♀️
わたしの好きな言葉は
「全体性が許してくれているから、ただ起こっている」
いいも悪いもないんだよね〜。
わたしは全体性そのもの。