#青空と雲のお話 認識できるものは全て雲
ほらまた!
ちゃんと書こうとすると、手が止まり考え始めてるよ。
脳に乗っ取られてるじゃん!(笑)
ジャーナリング(書く瞑想)しようと思ってるのにぃ〜。
この思考くんったら!
脳を使って考えて答えを出そうとする。
まー、それでうまく伝わるいいお話しが書けるならまかせてもいいけどね。
でもね、このわたしに個性があるとしたら、少々オチャラケタ感じの、
(笑)とか
○○だよねぇ〜とか言う
口調(しゃべってるわけじゃないから、文調か🐧)のほうが、読んでくれる人に少しは伝わるかもね。うぃ〜
青空と雲のお話
「青空と雲のお話」とは、伊東充隆医師の青空禅フォーラム(現在は4時間の青空禅塾)で初めて聴いて衝撃を受けたお話。
簡単に言うと
この肉体や、脳が考える思考、記憶、気分や感情、イメージといったいわゆる「心」と呼ばれるもの
これらを普通私たちは「自分」とか「わたし」と思ってますよね?
それらを空に浮かぶ「雲」に例えると
私たちの本質は、この「雲」ではなく
それらをあらしめている「青空」のほうなんですよ、というお話(青空意識とも呼んでいます)
今、サクッと簡単に書きましたが
これってかなり衝撃‼️
えっ⁉️この肉体も私じゃないの⁉️
という驚きから始まるのだ。
スピリチュアルな体験
わたしは昔から、目に見えないスピリチュアルな世界のお話が大好きで、
魂なるものや、内なる叡智、神といってもいいかな、それらは自分の内側を探求していくと、光輝く存在であり、何でも答えをくれる絶対的なもの…に出会えると思っていました。
(ある意味それら全ては「わたし」そのものなんですけどね)
だから、例えばリコネクティブ・ヒーリングを受けて、キラキラなるものがわたしの身体を包み込んだ時は至高そのもので、その体験に酔ったものでした。
天河神社でアマノマイを奉納した時は、身体が無の中に浮かび上がったようになり、それはそれは素晴らしい霊的体験でした。
真実を探求する人々にとっては、道は違えど似たようなキラキラ体験は沢山あることでしょう✨✨✨
ところが、いつの頃からかキラキラ体験を追い求めても、その中には自分の求めるものは無いと気づいたんですね。
絶対的な安心感
それは青空禅フォーラムに通い始めて、感じられるようになった「絶対的な安心感」
これこそがわたしの求めていたものだ‼️と気づき、以来せっせと通い実践しています。
山にこもって修行するでもなく、
ふつーの主婦が、仕事しながら家事しながら生活しながら実践できる「真理の探求」です。
一度わかったからOK〜というものではなく、
日常生活でつい忘れちゃうので、繰り返しが大切👍
学びが楽しいので、よくもまぁ飽きもせず
この飽きっぽいわたしが続いてるなぁ〜と自分でも感心します。ほめてしんぜよう☺️
言葉の日
今日5月18日は「言葉の日」だということで最後に書いておくよ。
認識できるものは全て雲
雲の世界でなにが起ころうとも
青空のわたしには何ら関係ないのだ
これで〜いいのだ〜🎶
これで〜いいのだ〜♬
あ〜楽しい🥰