映画をはなす Vol.1 ノーラン/フィンチャー
※以下のやり取りは2020年5月某日、zoomにて行われました。
プロフィール
N
1986年生まれ。フランソワ・トリュフォー『ある映画の物語』を読んで感動に打ちのめされている。めちゃくちゃいい本です。
T
1983年生まれ。福島出身。会社員。エスプレッソの淹れ方と愛犬のしつけ方を模索中。
ノーランとフィンチャーの共通点
N:最後に映画館で見た映画なんですか?
おれは『1917 命をかけた伝令』ですね。だから2月か。
T:おれはタランティーノ見て……あっ、スターウォーズか。
N:それ去年ですよね。
T:今年もなんか見た気がするけど……。
まぁそんな感じで、今回のために一応復習したんだけどさ、まず単純に、ノーランもフィンチャーもおもしろいなって。
……それくらいで、今回話せるかなと、不安です。
N:復習っていうのは単純になにか見たんですか?
T:見た見た。でも思い返してみても、言ってもフィンチャーはあんまり……。
N:見てない?
T:『セブン』と『ソーシャル・ネットワーク』と『ゲーム』と……『パニック・ルーム』見たけどあんま覚えてない。『ドラゴン・タトゥーの女』は見てない。
N:『ゾディアック』は見たんじゃないですか?
T:何回も見たね。
N:ぼくもそうですけど。一番好きですから。
T:こんな感じで話してけばいいってこと?
N:そうっすね、一応。とりあえずノーランだったらどんな感じか、って一個ずつ出してけばいいんじゃないですか。共通点とか。
そもそもなんでこの二人を並んでだしてるのかっていう話ですね。完全に自分の思いつきで、この2人の名前が並ぶのがおもしろいなと思っただけですが。
共通点あるんですかね。
T:でも見てくと、例えば、『メメント』と『ファイト・クラブ』はね……。
N:似てますね。
T:とかね。
N:わかるわかる。それは似てる。
T:あと、『セブン』と『インターステラー』がキリスト教的な信仰のモチーフがあったりするよね。
フィンチャーって、都市的というか、都市の暗い部分を撮るのはすごいうまい。
N:そうですね、わかります。
『セブン』も『ゾディアック』も『パニック・ルーム』も『ゲーム』もそうですけど、都市で、暗くて、見えずらい、見にくい、不可視の部分を一貫して撮ってますよね。
『ドラゴン・タトゥーの女』も、都市の中で見えない場所としての、
個人の部屋みたいなものが出てきて、そこに闇が潜んでいるという話でしたし。
T:そう考えるとノーランは『ダークナイト』くらいじゃない?都市に特化して撮ってたの。
N:『インセプション』とかどうなんすかね。でもあれも街っぽいけど、偽物、張りぼてですからね。
T:虚構的な。この前の対談のテーマに近いのがノーランかなって思ったり。
ノーランとフィンチャーの「ロジック」
N:ぼくは復習全然してないんですけど、考えてたのは、ノーランって、喋りやすいし、いろいろ言いやすい。
T:そうそうそう、わかる。
N:評論とかの対象にもなりやすい。それこそ『クリストファー・ノーランの嘘』みたいな本も出てるくらいですし。
でもフィンチャーって結構無視されてるというか。あんまりない印象があるんですよね。
フィンチャーはエンターテインメントというか、ブロックバスター的、消費されるものとしての映画を作ってて、ノーランはアート、文学的、深みがあって、みたいな扱いを受けてる印象がある。どちらも違うと思いますけど。
バットマンとか撮ってますけど、あれは作品としては金字塔だということをふまえていいますが、アメコミ好きな人にとっては邪道だったんじゃないかと。
ノーランがああいうダークなトーンというか、深刻な語り口をヒーロー物に持ち込みましたよね。深みがある風な感じ。
実際ぼくはノーランの本質は全然違うと思いますが。アートではないし。
T:共通点を探そうと思った時に、2人ともロジカルだってことじゃないかなと。
『ソーシャル・ネットワーク』とかも……。
N:あれはすごいですね。
T:あれはフィンチャーっていうか脚本家(アーロン・ソーキン)の力が大きいんだと思うけど。
ノーランなんかもそうだと思う、『インターステラー』とか。
あのストーリ―をロジカルに作ってるとしたら、ただの頭おかしい人なのかもしれないけど。
N:それを言うと、フィンチャーのロジックは世間のもの、一般的な、共通して皆が持ってるものを利用してる。
ノーランは違ってて……いやほんと、ノーランて変だなと思っていて、話が飛んじゃいますけど、三谷幸喜さんの映画って、世間的にはオーソドックスな、王道のエンターテインメントの扱いをうけてるけど、実際は変ですよね。そんな王道ではない、しっちゃかめっちゃかで、邪道。
王道ってのは、効率の良い語りとか、整理されてるとか、そういうものじゃないかと思うんです。歯車がきれいに噛みあって進んでいくもの。だから三谷さんは王道「風」だけど、そうじゃないなと。
ノーランとかも、大作を撮って、巨匠まではいかないかもしれないけど、王道のエンターテインメント的な扱いをうけたり、そういう風に宣伝されたりしてる印象がある。でもやってることはだいぶ変、歪んでる。
『メメント』とかも、ほんとなにこれ?みたいな映画。まずわかりずらいし、独特すぎる。
例えばフィンチャーが撮ってたら、もうちょっと腑に落ちる感じがあったかもしれないですよね。こういう描写のあとはこうだよね、みたいな。
フィンチャーは驚かすのが好きだから、ある種の下品な驚かしみたいなもの、観客をびくびくさせるようなもの、そういうのをいれるだろうけど、『メメント』はそういうのがほとんどなくて。
ああいうモチーフを扱って、記憶喪失があって、犯人を捜すみたいな、変則的ではあるけど探偵物ではあるのに、変すぎる。まともな映画にしようと思ったらできるのに。
あと『メメント』はあの手の映画にしてはめちゃくちゃ長い。長い必要があるのかもよくわからない。絶対おかしい。
T:確かに『メメント』って長いんだよね。
N:長いですよね。こないだひさびさに見た時もそれにびっくりした。
「長っ!」って。こんな長かったっけっていう。登場人物も少ないし。
T:すごい少ないよね。でも、ノーランの中だと、あれでロジックができてるんだよね。
N:そのロジックはノーランの中にしかない。
T:そうそうそうそう。
人間より機械
N:『ダンケルク』とかも、戦争物で、話はシンプルなんですけどいびつなんですよね、整理されてなくて。
ぼくのほんとに印象なんですけど、ノーランが子供の時に戦争映画を見て、怖かったりショックを受けたりしたところを過剰にして描いている、みたいな。
T:『プライベート・ライアン』と比べるとどう?
N:『プライベート・ライアン』は語り口がちゃんとしてるじゃないですか。回想を使って、過去を語るに対して、王道のやり方をある程度踏襲してる。正当だし真っ当。
登場人物たちの旅の道行きがあって、一人一人にドラマがあって、最終対決があって、終盤に山場がある。
T:ちゃんと映画だよね。
N:ちゃんと映画になってるんですよね。
でも『ダンケルク』はそうなってない。ぼこぼこしてる。それが戦争だってことかもしれませんが。
唐突に戦闘が始まっていく。スピルバーグみたいに、人が死ぬぞ!どうする!みたいなのがない。急にスーッてやばいシチュエーションに入っちゃう。
登場人物たちはそんなあせってるように見えなかったりする。じわじわやばくなってくから。
人の死に方も、スッて死ぬじゃないですか、ノーランって。
T:血が出ない。
N:そうそう。この人は人の生き死に興味ないのかな?っていう。そこそこの良い役の人がパスッって死ぬっていう。
前に思ったのは、ノーランは人間に興味がなくて、機械とか、人工物に興味があるのかなと。
『ダンケルク』でも、人が死ぬ時は淡泊なのに、飛行機が落ちる時めっちゃしつこい!
トム・ハーディの空中戦のシーンとか、もっと効率の良い描き方、見せ方とか、映画史的にはあんじゃん、っていう。
もういいよ!スッ、ボーン、ボーンでいいでしょ、っていうのにそうじゃない。
で、挙句ノーランのいつものやり口ですよね。この飛行機が当時実際に使われてたよ、みたいな。ふかしをかましてくる。ほんとにやってんぞ、CGとかじゃねーから、みたいな。
CG使ってないから、というのはおしてくる人ですよね、ノーランは。それも結局人間じゃなくて、機械とか、物がこわれていくのが好きっていうことなのかなと。
T:それをいうと『インセプション』で、夢の第2階層くらいのカフェのシーンで、背景の花瓶とかものがパンパン!って割れてくところ、あのシーンもわけわからないよね。
あれもそういうものが壊れる、みたいなのへのこだわりなのかね。
あと結局、虚構が好きなんだろうね。
ノーランと「虚構」
N:そうですね、まさにそうだと思います。ノーランにとって虚構こそ正義なんでしょうね。
T:『インターステラー』の科学の話なんて、事実なのか誰がわかるんだよ、っていう。
N:誰もわかんない。物語自体もそうですよね。はったりかまして、人類を救うみたいな話。だから好きなんですよね。
はったりかまして、最後は愛だから、愛で何とかなる。ほんとにどうにかなっちゃう。なるんかいという。
T:最後の愛についての語りもやたら長いしさ。
N:そうですね、変。
T:急に出てきて。
N:もっと整理しようと思えばできるんじゃないのという。主人公の行動に全部集約すればいいわけで。
アン・ハサウェイとマット・デイモンのくだり、脇道にもほどがある。成功に至るための失敗のシーンとして、重要ではありますけど。
T:すべて超越しちゃったのが愛ですよ、っていう。
N:『インターステラー』がノーランの中で一番好きですけどね。すごいから、何回見ても。
T:何回見ても最後意味わかんない。
N:ぶっ飛ばされますからね。説明とかあんましてくんないし。
T:そうなんですよね。
N:これは本棚の裏、じゃねぇ!という。
それに比べるとフィンチャーは、ノーランほど変じゃない。ちゃんとエンターテインメントというか。
びっくりどっきりさせようとする。そういうのに興味がある人じゃないですか。え!ドキッ!みたいなのもちゃんとやるし。
T:『マインドハンター』とか見てる?
N:見てないんですよね。でもあれも予告がめっちゃフィンチャーでしたね。
T:ごめん、今気づいたけど、あんま見てないといいつつフィンチャー結構見てたわ。
N:大抵見てんじゃないですか。
フィンチャーねぇ、フィンチャーは……なんだろう……(しばし無言)。
映像のことだけいうと、美的な、映像へのこだわりがあって、ビジュアリスト的な感じですよね。リドリー・スコットじゃないですけど。CGとか合成とかガンガン使って。ノーランみたいに、本物をつかってるからまじですげえ!みたいなはったりはない。
フィンチャーは一つ一つの画をつくることが重要な感じ。『ソーシャル・ネットワーク』の双子のCGとか、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のブラピの顔とか。
……フィンチャーについてしゃべろうとしたらなにも出てこなくなってしまった。
T:フィンチャーってテイク数がすごい多いって話を聞いたけど、ノーランてどうなんだろう。
あと、ノーラン組ってあるのかな。
N:どうなんでしょうね……ずっと同じ人たちとやってるって印象はないですけど。
それを言うならフィンチャーもそうか。
T:違うよね。
N:まぁそもそも最近のハリウッドでは固定のほうが珍しいかもしれませんね。スピルバーグとカミンスキー、みたいなののほうが例外かも。カミンスキーじゃなくてもよくない?みたいなのすらカミンスキーみたいな。
あとノーランは撮り方的にテイクをそんな重ねられないんじゃないですかね。本物を使ったりしているから。
T:そうだよね。だってあれでしょ、『ダークナイト ライジング』の最初のベインが登場する飛行機のシーンとかも本物だし。
N:本当に飛行機を縦にして吊ってましたね。よくわかんない。
T:あれは何回もできないよね。
N:CGでいいんじゃないのとか思っちゃいますけど。
T:やっぱノーランって頭おかしいね。
『ダークナイト』と「ヒント」
N:『ダークナイト』とかもよく見たら、頭の銀行強盗にシーンの、『ヒート』を真似しましたみたいな、そこはそれなりにちゃんとできてるのかもしれないけど、それ以外のところはちゃんとしてないというか。よくわかんない!は?みたいな撮り方してる。
忘れられないのはトゥーフェイスが車に乗り込んでくるシーンで、わかるかわからないかくらいの短さで乗りこんでくるのを見せて、次のカットではマフィアのボスの隣に座ってる、ってやつ。
普通は、乗り込むところをちゃんと見せるか、全く見せないで気づいたら乗り込んでるか、のどちらかだと思うんですよ。
乗るとこをちょっとでも見せないと繋がらないと思ってるんだろうけど。
なんだこれ?と思った。なんでこれをよしとしたんだろうと。
T:ちょっと見返そう。
N:見返したらけっこうおもしろいですよ。
T:なんかノーランは、ヒントみたいなのが好きじゃん。
N:好き好き、ホント好きですね。逆に言うと、ノーヒントなことはしないですね。絶対ヒントを見せる。
T:『インセプション』とかも、わかりにくいけど、ヒントいっぱい出してる。
N:複数の世界が、ヒントで理路整然とつながってる感じ。脈絡なく繋がってるわけではない。
T:このヒントを見ればわかる、で繋いでるだけなんだけど、なんかおかしい。
あと、ノーランも、映像的にはきれいじゃん。
フィンチャーは重々しい、色合いもそうだけど、ノーランは詩的であざやかで儚い、みたいな。そういう画的なこだわりがある。
それと、フィンチャーは観客のことを考えて編集してる感じだけど、ノーランはそんな感じしなくない?
N:あーなるほど。
T:勝手なイメージだけど、ノーランは「これでいいよね」って感じでやってる。俺これが好きだし、がノーラン。雑な言い方だけど。
N:まぁそうですよね。
T:待って、今思ったんだけど、俺らノーラン大好きなのに批判結構してるね。
N:悪口になっちゃってる。いや悪口っていうか…とにかく変なんですよ。
まぁ変じゃない映画撮ってる人って誰ですか、ってなると難しいですけど。
T:誉め言葉だよね。
ノーランとフィンチャーの「語り」
N:変っていうのは……ノーランはともかく語り口、語り方が変なんですよね。編集もそうですけど。
ちゃんとした繋ぎってのは、きちんと、見せるところは見せる、切るところは切るっていう。当たり前のこと言ってますけど。
ちゃんと動きがつながるように編集する。アクションとかならまさにそうですけど。
そういうのが映画のちゃんとした語り方だとして、ノーランはそういうのが全然……偉そうに言うのもなんですけど、あんま、頓着ないのかもしれないですね。
シーン単位、カット単位がよければ、繋ぎとかは別に、みたいな。
ただぶっちぎって、わけのわかんない繋ぎをするほどの狂気はないから、最低限のヒントでつないでいくけど、最低限過ぎて逆にいらないだろ、っていう。
なくても見てる人の頭の中でつながっていればいいじゃないですか、映画っていうのは。
本人が見せたい画がまずあって…みたいな。ノーランのほうが作家なんですかね。フィンチャーは職人。
T:エンターテイナー的要素がある。
N:それこそ原作物をばんばんやってるし。『エイリアン3』ですからね、最初が。
どうなんですかね……仕事で来たからやったんでしょうけど。
『ワールド・ウォーZ』の続編をブラピに頼まれて撮るんじゃないかっていう話もありましたけど。
あれの2を撮ろうとするブラピも変わり者ですけどね。ブラピがなんか言って……
T:なんか言うってなに(笑)。
N:わかんないですけど……あの2人は繋がりも強そうですしね。
T:フィンチャーは脚本書かないよね。
N:書かないんじゃないですかね。
T:ノーランは……。
N:ノーランは兄弟で書いてますよね。
T:そこの違いもあるだろうね。
N:自分で脚本書いてる監督のほうが珍しいでしょうけどね、今のハリウッドだと。
フィンチャーはMVとCMとか撮ってて……リドリー・スコットみたいなもんですね。もらった仕事で撮るのは慣れてるのかも。無理やり繋げてるだけかもしれませんが。
ノーランは最初から映画監督になろうとしてた。
T:ソダーバーグに師事してたとか、最初から映画をちゃんと撮ろうとしてた。
N:フィンチャーがそうじゃないとは言わないですけどね。
T:それこそドラマとかね。
N:ノーランは絶対やんないですよね。
T:フィルムに対しての熱い思いがありそうだから。
N:デジタルで撮るのすら嫌がってるだろうから、ドラマなんか撮れなそうですよね。
コントロールするフィンチャー
T:話を変えて戻すと、テイクを何回も撮る手法ってどう思う?『ソーシャル・ネットワーク』の時、冒頭のところを100テイクくらいとったっていう話があるけど。
あれとかも、正直、北野武みたいにワンテイクで終わらす人もいる中で、それに比べてどうなの?って思う。
結局100テイク撮ってそれを全部見て、その中から1つ選ぶっていうのはすげぇなと思ってて。
N:まず全部見てんのかってのもありますけど……。
『ソーシャル・ネットワーク』とか、シナリオ上だと尺が長くなるのを早くしゃべって縮めたってのがありましたよね。『シン・ゴジラ』じゃないですけど。
だから、ノーランはコントロールフリークっていうか、シーンの尺とか動きを全部決めててその通りにやってほしい的な考えがあって、単純にそれに合うか合わないか、合わないからテイクを重ねるだけ、みたいな。
T:ああー。
N:ただ今言ってて思ったんすけど、『ゾディアック』だけは違うのかなーと。特別視しちゃってるかもしれないですけど。
フィンチャーも古い映画とか好きなんだなというのが伝わってくるというか。人の子なんだなと。
T:(笑)
N:いくら鉄壁の、コントロールフリークの人でも、70年代を良いと思ってるんだなと。うまく言えないですけど。終わり方も、気持ち悪い、わかんない終わり方もちゃんとしてるし。
まぁ『ソーシャル・ネットワーク』もそうか。どうなんすかね。
対象に対して、愛があるかないか、とか……。『ゾディアック』はフィンチャー自身が好きなものを撮ってる感じがしたんですけどね。
『ソーシャル・ネットワーク』にしろ『ゴーン・ガール』にしろ、『ドラゴン・タトゥーの女』にしろ、登場人物を良いと思ってないから結構厳しく撮ってるような。嫌いなものとして撮ってる、突き放してるというか。
T:『ドラゴン・タトゥーの女』もそんな感じ?
N:フィンチャーは別に、女の人ががんばって…みたいなことに興味ないのではと。あの物語自体に興味があったのかよくわからない。おもしろいし、示唆に富んでると思いますけど。
『ソーシャル・ネットワーク』だったら、ザッカーバーグみたいな人は別に好きじゃない。だから結構冷徹に撮ってる。
『ゴーン・ガール』もそう。フィンチャーって結構突き放しますよね。バッドエンドも辞さないし。
お仕事で撮ってるからかはわからないですけど。
でも『ゾディアック』だけは出てる人に愛情を持っている気がする。登場人物たちの道行き、どうなってくかを丁寧に追っていくような。
T:確かにね。
N:そういう冷たいところがあるんじゃないですかねえ。
T:そう考えると、ノーランも全体的に冷たいよね。
N:いやでもノーランは……。
「戦い」について
T:フィンチャーは結構割とずっと戦ってるよね。
N:そうですね。
T:でもノーランは、戦わないシーンのほうが多い。
N:はいはいはい。
T:フィンチャーはずっと戦ってる。
N:あー、だからそういう意味でもリドリー・スコットなのかもしれないですね。決闘、デュエル趣味がすごい。
一対一……フィンチャーはそこまでではないけど、戦闘状態、バトル状態がずっと続いてますよね。
じっとして考え込む、ってのは……。
T:あんまないよね。
ストーリーテラーみたいな人が『セブン』で言ったらモーガン・フリーマンの語りでいるくらいで、あとはずっと戦ってる。
ノーランは……。
N:じっとしてるところ。
T:そこを見せたいじゃん。
N:だから変なんですよね。じっとしてるのが必要なくてもじっとしてる。
T:……この話終わらなくない?
N:終わりとかないですね。時間で切らないと。結論とかないですから。
T:結局わかったのは……ノーランもフィンチャーも、もう一回見たいという。
N:「映画って本当にいいもんですね」オチ?
再び『ダークナイト』
T:とりあえず『ダークナイト』見返したいね。
N:あの変なシーンを注目してる人いないですかね。
『ダークナイト』って、時を重ねるごとにいろいろ言いたいことが出てくる映画。最終的に文句になっちゃう。でも終わりで号泣して全部ごまかされるという。あの終わり方ずりいだろ!っていう。
T:フィンチャーよりもノーランの方が、映画見ない人も好きっていうのあるよね。『ダークナイト』とかそうだけど。刺さる部分があるんだろうね。
N:なんででしょうね。よくわかんないけど。
『ダークナイト』、何回も劇場に見に行ったけど、よくわかんないですし、今でもたまに見て、おもしれーなーと思う自分もいるんすけど、なんかこう……。
T:(笑)
N:例えば、比べるのは変な話なんですけど、サム・ライミの『スパイダーマン』とかめちゃくちゃ好きですけど、あれは何回も見ても好きなところがたくさんあって心があったかくなって終わりますし、あとティム・バートンの『バットマン』も『バットマン・フォーエヴァー』も好きで、いいなと思うんですけど、『ダークナイト』はそういう感じではない。
なんでかっていうと変だから。見ていて気持ちよさが全然ない。
T:金曜ロードショーで見たいものじゃないよね。
N:そうそう。見ていて快楽がなくて、話が暗くて追い込まれていくようなものでもあるし、最初の銀行強盗のところだけが見ていて気持ちいいけど、他は何か……カーチェイスも……。
そもそもジョーカーが気持ちよく戦ってくれないですからね。お金燃やすのとかすごい好きですけど。
サム・ライミ版スパイダーマンの気持ちいい画の、ストーリーのつながりとか……。
T:もうサム・ライミの話になっちゃてるじゃん。
好き「だけど……」
N:そういう愛情の……最終的に愛情の話になっちゃった。
ノーランに対して愛情がないんでしょうね。フィンチャーにもそんなにない。
T:何を言い出してるんだ(笑)。
N:結論です。『ゾディアック』と『インターステラー』だけ。そういうのを1個でも撮ってるから、もう充分ですよと。
T:ああいうの撮ってもう満足したでしょ?って感じか。
N:前に言ったかもしれないですけど、ノーランは映画最高!とひたすら言い続けるような『インターステラー』撮ったんだから、もう10年くらい休んでもいいんじゃないかと思ったくらいですし。
でもやっぱそういう気持ちが自分の中で続かないのかな。作品ごとですげーとは思いますが、ずっとその感情が続かない。
嫌いではないんですけど。どうなんですか。
T:好きですよ。
N:僕も好きですけど。ただ「ですけど」って言っちゃうだけ。
T:なんだろうな……フィンチャーの映画の中で戦っている人はすごい好きなんだよね。
でも、見てる間感情移入して、しんどいというか心に傷が残っちゃうんだよね。
『セブン』とかもそうじゃん。あれも見てて、ラストシーンで死んじゃう。
N:映画ってそういう没入するメディアじゃないですか。だから傷つけられる時は傷ついちゃう。
T:だからフィンチャーには、傷つけられる映画しか、ないんじゃない?
N:そこまで?
T:『ゴーン・ガール』とかもだいぶ傷ついた。
N:まじで前半とかいやがらせかよっていう感じでしたね。ベン・アフレックもよくやりましたよね。
T:あれアルコール依存症のタイミングでやってたんだよね。
N:あんな映画出たらお酒飲んじゃいませんかね。自分と重なっておかしくなる。終わり方も嫌だし。
フィンチャーは冷たいし、嫌がらせの気持ちがある。
T:(笑)
N:フィンチャーは嫌な人なのかもしれない、いい人ではない。
T:これまとめると2人ともおかしいってこと?大丈夫?
N:ノーランの人格はわかんないですけどね。映画が好きで、好きな画を撮ってるだけの人。害はあんまない。
フィンチャーは害がある、見てると。
T:ほんとちょっとずつ2人とも嫌いじゃん。
N:そうなっちゃうのかな。
T:好きだけど。
N:留保がつくんですよね。好き、「だけど…」みたいな。
名前を変えるのは卑怯ですけど、例えばスピルバーグは、とした時に「だけど」はつかないかなーと。
フィンチャーもノーランも新作があったら見ますけど。でもノーランにIMAXで見てよ!って言われても、はぁそうっすか、みたいな。
T:誰目線なのかもわからないですね。上からみたいな。
(次回のテーマは「タランティーノ監督作品」を予定しています)