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「僕が見たかった青空」を1年追い続けてきた記録 (Part1)

#1 僕青との出会い

2023年6月15日、「乃木坂46公式ライバル」のメンバー発表会が行われることを知っていた私は、仕事帰りの電車内でそのニュースを読んでいた。
当時乃木坂ファンであった私は、名前もわからない顔の区別もつかない同じ青の制服を纏った23人の女性の映像を目の当たりにし、ぶっちゃけ大したことなさそうだけど今からマークしておく程度の気持ちで気軽に追いかけてみることにした…のはずだった。

翌日、見た目が好みであったことや出身県が同じであったことを理由に1人だけ推しメンを決めてみることにした。当たり前であるが、まだ活動も始まっておらず、目の前にある情報は「宣材写真、氏名、ニックネーム、生年月日、血液型、身長、出身地、パーソナルカラー」のみ。パーソナルカラー?となったのはさておき、それ以外その子に関する情報は何もないので、どうやっても興味を持つことは難しく、推しというより"ただ気になる子"に過ぎない存在であった。

メンバー紹介ソロ動画が毎日上がるのを楽しみにしつつ過ごしていると、7月8日に初めてのファンイベントである『オンラインお話し会』を開催するという情報が目に飛び込んできた。最初のイベントだし記念にもなるし、その気になるメンバーの人となりを知れるチャンスと思い、参加してみることにした。

オンラインとはいえ僕青にとって初のファンイベントであったためか、その"ただ気になる子"からは緊張している様子が画面からもはっきりと伝わってきた。相手の情報を知らないし何も表だった活動も始まってないアイドルと何を話せばいいのかさっぱりわからなかったので質問攻めしていた記憶がある。すぐに名前を覚えてくれて対応も良く可愛らしかったため、その日から"ただの気になる子"から、"推しメン"へと変化した。

軽い気持ちで応援していたため、お台場冒険王やTIFへの参加は見送っていたが、その間もお話し会に参加したり、『青空について考える』のMVを見てメンバーを徐々に覚えて楽しんでいた。

#2 僕青がデビューした日

8月30日、1stシングル『青空について考える』のリリース日であり、彼女たちの記念すべきデビュー日であった。
その日は「僕青祭」という配信イベントが行われた。1部はYouTubeで『青空について考える』の合唱、2部はTikTokで縁日配信だった。もちろん両方とも拝見し、画面の前で一緒にお祝いをした。初々しさと、これから23人全員で力を合わせて頑張っていくという決意を感じさせるものであった。

一方で、視聴者数が気がかりであった。TikTokに関しては1000人程度だった。乃木坂公式ライバルと銘打って登場しても全く注目を集めていない状況で、健気に配信を続けているその姿には何とも言えない寂しさを感じた。
何でウチの子達こんなに可愛いのに見てもらえないの!?という気持ちになった。
私は気付かぬうちに、僕青の大ファンになっていたのである…

#3 僕青を真剣に応援すると決意した日

9月16・17日、大阪・東京で『デビュー記念スペシャルイベント』が開催された。大阪と東京で計4200人が抽選で招待されるというイベントであった。
私は東京のイベントに応募し、抽選が当たることを神に祈っていた。奇跡が起き、豊洲PITの会場で整番が100番台で当選したため、意気揚々と会場に足を運んだ。その日が初めて生で僕青を見る日であった。

しかしここで衝撃を受けたのである。会場には200人程のファンしかいなかったのだ。整番が100番台であったことは奇跡でも何でもないと気付かされた。
"乃木坂46公式ライバル"と大きな看板を背負って登場した僕青に対してそこに待ち構えていたのは非常に厳しい現実であった。

私が参加した昼の部では、初代Overture、『青空について考える』、MC、『青空について考える』(合唱ver)が披露された。
初々しさを感じられる、まさにデビュー記念イベントではあったが、3形態全て購入しないと申し込めないイベントであることを考えると内容としては不十分だった。

最後にセンターの八木仁愛が「会場を埋められなくて申し訳ない気持ちです。」と謝罪していたことを鮮明に覚えている。
デビュー記念イベントでセンターが客入りの悪さに謝罪するという前代未聞の異様な空間にやや恐々としてしまったが、私は気づけば拳を固く握りしめていた。悔しさを感じていた。真剣に応援することを誓った瞬間である。こうして昼の部のイベントは幕を閉じた。

あるファンの話によると、夜の部ではメンバーが全員号泣してしまったという。僕青の歴史においてこの日は大事件が起きていたのだ。
その晩のメンバーのブログは揃いも揃って暗い内容であった。謝罪をする子や、柳堀に関しては「申し訳なくて、申し訳なくて合わせる顔もありませんでした」と書いており、全く君たちは悪くないのに…とこちらまで凄く悲しい気持ちになった。全員が暗い内容のブログをあげた日など、後にも先にもこの日しかないだろう。
オーディション合格時はとんとん拍子で物事が簡単に進んでいき、すぐにスターになれると思っていた子もいたのかもしれない。アイドルになったばかりで右も左もわからない少女達が目の当たりにした現実は、実に残酷なものであった。
しかしこの日を境に、僕青は全員が同じ方向を向いたと言えるだろう。結果論ではあるが、今振り返るとこの日はあって良かったに違いない。1年経った今の僕青が魅せるチームワークの原点はここにあるはずだ。

秋元康は『飛ばなかった紙飛行機』の歌詞で、僕青が簡単には上手くいかないことを予言していたのだろうか。もしかすると、乃木坂の名前を使えば簡単に売れるだろうと舐めていたavexや運営に対して当てられた曲なのかもしれない。


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