2023/02/28→2024/10/28
今日は父の月命日。亡くなって1年8か月が経った
来年で2年という節目が見えつつあるが、今でも自分の中では父が亡くなったという事実を受け入れられずにいる
今でも亡くなった日の出来事が頭から離れず、フラッシュバックすることがある
亡くなった翌日、警察署の遺体安置室で父と対面したが、まるで寝ているかのようで起こしたら目覚めるのではと思ったが、ふと首周りに目をやると圧迫したような跡が残っていた
父は建設業だったので、自分の脚立や安全帯を持っていた
それを使ってとの見方だった
大切な人を突然亡くすというのは、身体的だけではなく精神的にも大きな影響を与える
喪失感や自責、怒りなど様々湧いてくるが、時には無になることもある
自分の場合、自責の念が一番強く湧いた
「父が亡くなったのは自分のせい」
「相談相手になっていたら止めることができていた」
「なんで父の異変を見つけることができなかったのだろう」
色々な考えや感情が湧いては消えて、湧いては消え・・・の繰り返しだ
1年以上経った今でも、自責の念や喪失感が消えることはなく「いつか帰ってくる」と信じている
だけど、実家に帰ると真っ先に向かうのは父の遺影の前
もしかすると、心のどこかしらで父が居ないことを受け入れたのかもしれない(正確には、受け入れざるを得ないのかもしれない)
今想うこと
父が亡くなって1年8か月
自分自身、良くも悪くも生きている
(生かされていると書いた方がいいのか?)
ありがたいことに、最愛のパートナーや理解ある友人の支えがあり日々生活している
だけど、それ以外の人には家族が自死したことを言えずにいる
自死遺族の会があることは知っているが、自分自身も引き込まれそうで参加することが未だにできていない
言葉にすることで、自分の抱いている気持ちが楽になる可能性もあるけれど、ハードルが高く感じている
それに精神疾患もあるので、引き込まれやすく他者の気持ちを分かりすぎることが多い
辛うじてグループLINEで話すことができているが、他者の辛さも分かってしまうので、しんどくなることも度々ある
父には
「自分のことを責めなくていい。ゆっくり休んで欲しい」と伝えたい
今まで家族のために働いてきたのだから、空の上ではゆっくり大好きなお酒を飲んで欲しい
だけど、飲み過ぎには気をつけて欲しい
いつの日かもう一度、お酒を飲み交わせることを信じて