想うこと
以前書いた記事と重複するところがあるかもしれないが許して下さい
昨年の2月末に父を自死で喪った
その日は朝から外出する予定があり、早めに起きて支度をしていた
その時、父は布団の中で寝ていたので起こさないよう支度をしていた
だが、それが最後の姿になるとは思ってもいなかった
あの時のことを書くとフラッシュバックしそうで、なかなか書くことができない
警察の方から聞いた話では自分の仕事道具を使用したのだと
今でも、あの時何故止めることが出来なかったのか、もし自分がストッパーになれていたら
少しでも声を掛けることが出来ていたら父は亡くならずに済んだのかもしれない
今でも後悔や自責の念に駆られることがある
自分のせいではないと分かっていても
主治医の先生やパートナー、親しい友人から「あおのせいじゃないよ」と言ってくれるが、そう簡単に自責の念が消えることは出来ない
元々、自己肯定感が低く他人よりも自分に対して厳しくしていたことが大人になった今、大きな影響を与えている
父がどんな気持ちで決めたのか
何を思って荷物を積んだのか
最後、運転しながら見えた風景はどんな風に映ったのか
聞きたいことが山ほどあるが、その声を聞くことはもうできない
恐らく、聞くと怒られそうな気がして、自分から話すことは出来ないかもしれない
もう一度、姿・声を見聞き出来るのなら何を想うのだろう
自分は、父はどう思うのだろうか
いま想うこと
父が亡くなって1年半が過ぎ、父に対して想うことは
「もう一度、帰ってきてほしい」
亡くなった人間が戻ることは不可能だが、せめてもう一度・・・と思うことは多々ある
父が亡くなったことで失ったことが大きいけれど、新しく得たこともある
周りの人の支えがなければ、自分も生きていることが危うかったかもしれないし、もしかしたら父と同じ道を辿っていたかもしれない
周りの優しさがあって自分が生きていられるのかもと思ったら、少しずつでも周りに返していきたい
そして、自死で大切な方を亡くされた方にそっと寄り添うことが出来る人間になっていきたい
自分ができることは数少ないかもしれないが、やれることをやっていきたいと思う
そのためにも周りの力を借りながら自分の手で道を開いていきたいと思う
お父さん、空の上から見守ってください