BIRTH DAYS~国創りFES2024~
1.追憶
2週間が経った。
まだ余韻は深い。
依然としてLINEグループは稼働している。
誕生日を祝うメッセージ、オフ会の企画提案など、
デジタルという冷たい箱の中でも、
あの時と同じように
日々、皆の体温を感じられるコミュニケーションが展開されている。
素敵だ。
素敵すぎるがゆえに、場違い感を感じてしまうこともある。
でも、ここしかない。
変わるなら今。
変わるなら今…。
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期間中、一番恐れていたことが
「終わったら『社会復帰』しないといけない」こと。
目先の面倒に目を背けた結果、
折り合いをつけられないまま社会に出て、
地に足がつかず、ふわふわ浮いていた。
雑魚ながらも社会に立ち向かったこの2週間。
記憶が薄くなっていくのが怖かった。
僕は抗った。
「やさしくない」自分に抵抗した。
爪の間に僅かに残った絵の具の汚れはその勲章だ。
絵の具のように、擦れば簡単に消えてしまいそうな儚さを抱えながらも、
余韻は簡単には消えてくれない。
脳と心にこびりついて、離れない記憶。
心にこびりついた絵の具よ、消えるな。。
2.僕のこと
今まで中途半端に色んなことをしていたのもあって
フォロワーも決して少なくは無いし、
一緒にお酒を飲んだり、ご飯を食べに行ってくれる友人もいる。
でも、
日常の中で、”ひとりぼっちであること”を
よく確認してしまう。
ひとりになることが、
自分を守るための、逃避行動のつもりだった。
夜、電気を消して布団に入ると"あいつ"の影を感じてしまうから、
そんなことできなかった。
電気をつけっぱなしにして、携帯からエンタメを垂れ流し続けて寝落ちする日常。
「俺は、俺のことをわかってあげられているだろうか。」
絶対にわかってあげられているはず。
今でも否定したくない。
でも孤独と孤高は表裏一体。
色んなことに折り合いをつけれない僕が
孤独でいることには「仕方ない」と折り合いをつけれてしまう。
不思議で、歯がゆい。
“わかってもらう”ことを諦めた。
”愛してもらうこと”から逃げた。
どんな理由があれ、孤独が許される人がいてたまるか。
「わかってほしくない」わけじゃないはずなのに。
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そんな「ひとりでいる」ことを正当化してきた僕が、
今年のGW
3泊4日間
名前も顔も分からない150人と
住所も分からない山奥に
「行くこと」と「居ること」
を決めた。
夢のような現実で、
現実のような夢のような現実。
せめて自分がわかってくれない部分は、人にわかってほしかった。
あの日あの場所で
たくさん涙を流すことができた。
たくさん「頑張れ」って思うことができた。
たくさん、"たいせつ"って思うことができた。
まだ爪の間に微かに残った、洗い切れなかった絵の具の跡が、
そんな日々を思い出させてくれる。
洗えばすぐ消えてしまう、儚さとともに。
その儚さを抱えて、みんなで循環させていきたいな。
わかったことは
「僕はまだ腐りきっていない」こと
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みんなへの感謝の前に、まず
ここに来てくれた過去の俺を
強く、強くハグさせてください。
ありがとう。
孤独に蓋をして、それでも孤独に抗う。
俺は強くて、無様で、最高にcoolだよ。
このnoteには
孤独と闘った足跡を強く、深く残します。
これで“僕のこと”は受容できたので、
ここからは
みんなのこと、あの時間のことを想いながら
文章にしていこうと思います。
3.「今、変わる」
「今、変わろう」と思う瞬間はあっただろうか?
変わった先の自分は、「新しい自分」といえるのか?
おそらく潜在的に「存在していた自分」ではないだろうか?
閉ざしていた扉がパッ、って開いていく感覚。
アルケミストの時、得意のひねくれセンサーが発動し、
僕は少し嫌な雰囲気を感じた。
あの空気感と音楽も相まって
どこか「辛かった話をしないといけない」
やさしいハラスメント的な空気を察した。
同情を誘うのが嫌で、自分の過去を深刻に話すのに抵抗があった。
でも、ここは僕の価値観で判断するよりも、家族に委ねようと思った。
「過去、あったこと」を包み隠さず話した。
悲しいバイアスかからないように、コミカルな言葉遣い交えながら、軽快に話してしまってるな、俺。 許してくれ。
家族たちは僕の話を、さっきよりも近い距離で聞いてくれた。
あの場は洗脳や操作ではなく、自分から
何か"変えよう"とか
"変わろう"と思わせてくれる時間だった。
一方で、「変わらないあなたも素敵だよ」っていう雰囲気を感じる空間でもあった。
それと同時に
人の”難しさ”に直面した。
僕はやまちゃんと家族ということもあって、行動を共にすることが多かった。
歩いているだけで声をかけられるやまちゃん。
みんなはやまちゃんに、声をかけている。
俺も目が見えなかったら、もっと声かけられてたのかな。
僕の国創りでの家族が言っていた。
という発言が鮮明に残っている。
わかりたいけど、わからないし。
わかりにくくて、でもわかりたくて。
わかろうとするけど、でも諦めてしまう。
局所的に行われる150通りの瞬間的なコミュニケーション。
話したかったあの子は、居てほしい時にはもうい
ない。
性善説を信じないとやってられないような、言語化しづらい人間の難しさ。
愛されたいのに、愛し方が分からない
という課題はあったのかなと思う。
人って不器用だなぁって思った。
でも、「この国では、お互いの未完成さを受け止め合う"やさしさ"でまわっていったら素敵だよね」ってメッセージを体現した場でもあった。
4.建国
やはり、この3泊4日間建国された「国」は理想郷だと思う。
みんながあの日のことを思い出して、ひとつになる。
僕らは丁寧に創った国を、”大事に“壊した。
BIRTHという理想郷がもたらす、究極の「きれいごと」。
そんなきれいごとに立ち向かおうとした人が世の中に何人いるだろうか。
この間、深夜のジョイフル(ファミレス)で後輩がこの話を聞いてくれた時に
「じゃあその国に一生いたいんですか?」
と聞かれた。
「居場所にしか居られない」
虚しさを知っている。
外に「戻る」ことに意味があるとしたら、
俺らはきっとまたあの日に戻れるね。
「これまで」から「これから」を一緒にデザインしていく。
そんな仲間ができたことは、これからを生きる希望なのかなと思います。
5.表現
「表現することは、すばらしい。」
それを改めて感じさせてくれた。
日常の中で、こんなに自分のことを表現することは中々ないだろう。
そして、社会におけるこのテーマは
僕が担っていきたいなと思った。
「お金のいらない世界」で僕が開いた場は、
誰もが自由に表現できる世界を表現したつもりだ。
アチアチ屋さんを思いついた時、僕は天才だと思った。
そんな思いがよぎった。
大策さんの「支配と調和」の話。
今でも思い返す。
支配的な表現ばかりしてきた。
でも、この空間は違った。
資本主義に、笑顔で中指を立てているような
心地よい空気感だった。
「個性」の表現が“Give”しあうことで調和する世界。
この表現が調和する空間。
本当に居心地のいい時間だった。
表現が苦手だと感じている人は、
「表現が苦手」ということを表現してみたらどうかな。
この世界は、あまりに表現することの制約が多すぎる。
6.帰国
福岡に戻り、無機質なビルと車の雑踏に囲まれる中、帰路に着いた。
システムの中で生きていくことは、"感情"を漏らす隙がないから窮屈だ。
「でも、そのおかげで感情のリミッターが外れて苦しむことがなくていいのかもな。」
と、ふと思ってしまった。
日常であの時のように泣いてたら心が持たないだろう。
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後泊のあと、帰りのバスの中で当時の感情の溢れ出すままに、noteに書く文章をメモしていた。
書いている途中、
何度も歯を食いしばった。
何度も目頭が熱くなった。
でも、最後まで書ききった。
こんなに心に汗をかいた僕は、もっとハグされる権利がある。
その時の文章を2週間後に見ると、やはりイタい。
そのまま出さなくてよかったなと思う。
でもこうやって
言葉に魂をこめる作業は好きだ。
これもまた“自己表現”なのだ。
それでも「諦めない」ではなく、「諦めたくない」ものであってほしい。
逃げる隙もないくらい、夢中であること。
この文章を数年後に見返したらきっと
「恥ずいなw」「キモイなw」
って思うかもしれない。
でも、僕が心を遣った証を残したいから、この投稿は一生消さない。
僕の言葉に血は通っているか。
未来の俺よ。
今の俺が紡ぐ言葉に、体温を感じてほしい。
こんなに長くて、重くて、ちょっとクサい文章に最後まで目を通してくれたこと。
この文章を通して、あなたにハグさせてください。
ありがとう。
"心を遣う"ことは、たいへんで、最高だ。
(~誰かのBIRTH DAYを祝して~)
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(p.s.)
書き終わったら音読して
大好きな家族、やまちゃんにも送ろうかな。