私に「LXV-OT10」は高級すぎる音だったのかも
音像が小さい気がしたので真空管をMullardに交換してみた
LXV-OT10の音像は、プリメインアンプA-R630Ⅱのフォノイコの音像よりも小さな気がしました。音像が小さいという事は、ボーカルが遠くのステージで歌っているように聴こえるという事です。
大きなコンサートホールでは実際遠いので、その意味ではリアルだとも言えます。定評あるスピーカー・タンノイの音像も小さめです。
しかし、小さなライブハウスのような音で、かぶりつきで楽しみたいときには、小さな音像では食い足りません。
「そう言えばMullardの音像の方が大きかったような・・・」。
(だからと言うわけではありませんが、Mullardの方が、内臓が1.5倍ぐらい大きく見えます。)
以前観た、YouTubeでの真空管比較試聴を思い出し、さっそくMullardに交換しました。
Mullardで試聴すると、やや大きくなった(歌手に近づいた)感があります。
まだ違和感が残る。私にはLXV-OT10は高級すぎる音だったのかも
しかし、それでも、まだ違和感が残ります。
言語化しにくいですが、私が求めるイメージと違うのです。
低音、中音、高音、のバランスに違和感があります。
ツルッとしすぎる声、透明度の高すぎる声にも違和感を感じます。私は、この音には人肌の(人間の)声をあまり感じさせず、AIが合成した音声のように感じられるのです。
深夜食堂でジャズのような食事をしようとしたのに、高級料亭のクラシックのような料理が出て来たような違和感とでも言いましょうか。
要するに、私にはLXV-OT10は高級すぎる音だったのかもしれません。
音の良し悪しは電気的特性だけで決まるわけではない
異性の好みが十人十色のように、澄みすぎる音に違和感がある人は昔からいました。
若い頃に読んだ、オーディオ誌の、「(この組み合わせで)音が澄みすぎるのが嫌な人は、スピーカーをBOSEに変えてみたら・・・」みたいな記事が忘れられません。
当時の私は「澄みすぎる音」など聴いた事がありませんので、よく理解できず、胸に引っかかっていた話です。
しかし、今なら私にもわかる気がします。「人は澄みすぎる音には心の渇きを覚える事がある」のです。
そんなこんなで、とりあえず、LXV-OT10は外し、プリメインアンプA-R630Ⅱのフォノ端子に繋ぎ直しました。
真空管に比べて、過度に艶っぽくないアナログトランジスタアンプの音が、今の私にはホームに感じられます。
しばし沈静期間を置こうかと思う
しばらくしてから、LXV-OT10を聴くと「案外良いじゃないか」となるかもしれませんし。
( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)
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