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笑って生きる 選んで終わる

#未来のためにできること

あなたは今、何を大切に生きていますか?

私の周りには、自分や自分の大切な人を笑顔にするためにがんばっている人が多い。

若い人、同年代の人、私の親世代の先輩たち。
それぞれが積み上げてきた人生がある。

家族。友達。仕事。財産。幸せ。
安定。誇り。プライド。

個々に違いはあれど、どれも大切なもの。
今の自分を作ってきた『自分の歴史』だとさえ言えるのではないだろうか。



よく考えてみてほしい。
『今日、あなたが認知症と診断されたら』


・・・何が怖い?
大切な人を忘れること? 自分を忘れること?

それも怖い。
けど、一番怖いのは、
『積み上げてきた自分の歴史がなくなること』なのでは?



私の両親はまだ元気に働いている。
若い頃のようにはいかなくなったけれども、父であり、母であるのに間違いはない。

私は長年、介護という世界に身を置いてきた。
認知症と診断されて施設に入るとこんな風に言われる。
「今度入所される方は、認知症があります」
「どんな症状があるの?」
「訴えが多いみたいですね。前の施設でも帰宅願望が強かったみたいです」

これが、私の両親だったとしよう。
最近の施設では、以前の生活やその人の歴史を聞いてくれることも多い。
尊厳を守る。その人を理解するという目的のために。

でも、職員が会うのは『認知症のほしやさん』なのだ。

両親が大切にしてきた
家族。友達。仕事。財産。幸せ。
安定。誇り。プライドは?

両親が家に帰りたいというと、『帰宅願望』だと言われる。
よく分からない孫ほどの若いやつに、なだめられるように諭される。
父が”お前ら、なぜ止めるんだ。ただ帰りたいだけなんだ!”
そう振り切ると『暴力あり』と記録される。


大概、施設入所までに家族は疲れ切ってしまっている。
何でもいいとは言わないが、とにかく施設に入ってほしい。

『必要だから』施設に入る。
(もちろん全部がそうではありません)
でもこれが、今の高齢者福祉の多くの姿だ。

本当に怖いのは、自分の大切な人生に選択肢がなくなること。
周りの人から『ほしやさん』ではなく、『認知症のほしやさん』という目で見られ、扱われること。


年を重ねることは、諦めの連続。
目が見にくくなり、筋力が低下し、今までできていたことができなくなる。

だからこそ、笑って最期まで生きられるようにしたい。
最期まで働きたい人には働く環境を。
認知症と診断されても『ほしやさん』ちょっと認知症にかかったってよ。
くらいに思えたらいい。

そもそも私自身はすでに父より母より忘れることばかりだ。
認知症と診断されたとたん、周りの目が変わるのはおかしいだろう。
私のように忘れっぽい人向けに記憶だけに頼るあいまいな仕事を明文化すればいい。
誰も困らないし、助かる人も多いはずだ。

認知症は、その延長線上の自然な世界。
忘れたって大丈夫。そんな優しい空間が日本全体に広がっていきますように。

私が未来のためにできること。
諦めないこと。
大切な家族や、自分自身のために。

あなたにそれを伝えること。

考えてみてほしい。
あなたの人生の歴史が、一瞬で打ち消される瞬間を。

認知症と診断された瞬間に、
自分が分からなくなる人なんていない。



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