見出し画像

ゆめしか家お勉強会とシラスお勉強会 / 怒涛の1月

「僕がこの仕事をしてるのは使命感からですよ」という言葉が今日はスルッと出てきて自分でも驚きました。
相手がそれを分かってくださる華道家だったからというのもありますが、こんなことが自然に言えるようになったのは、先日のゆめしか家お勉強会を経たからに違いない。
講義をすると同時に、この世の中で自分の担うべきことを改めて見つめ直す勉強会になりました。ご参加の皆様と関係各位に深く御礼申し上げます。



『みんなで学ぼう!現代の陶芸!』というテーマでのお勉強会。
昨年末から美術系の雑誌で「現代陶芸」が連続して取り上げられていたのですが、その内容はこの10年現場にいた自分からするとクエスチョンマークのつくものでした。
もちろん、歴史というものは誰かの視点によって紡がれ、何かしらの偏りは生じるものであり、起きたこと全てを記録するのは不可能です。
しかしながら、このままでは2010年代に自分が過ごしてきたシーンがなかったことになってしまうのでは、という危惧を覚えたのです。
そこに切断が起これば、2020年代の今現在進行形の物事やこれから未来に積み重ねる物事の足場が失われてしまうのでは、と恐ろしくなったのです。

それならば、自分が見聞きしたことは語るなり資料にするなりして歴史化しないといけない、と考えました。
さらに言えば、それは自分自身の履歴を振り返りつつ、自身の父や祖父の仕事をどう位置付けていくかを考える仕事でもあります。

今回の内容については僕が書くよりも、ご参加の方がとても素敵にまとめてくださっているので、そちらをご参照ください。


あまりにも情報量が多かったのでご参加の皆さん大変だったとは思います。
しかし、熱意というか切実さが伝わったのは本当に嬉しい。
伝わりすぎて城主ペネロペさんの人生を変えてしまったのでは、と驚きつつもそのアツさに感動しています。お勉強会を開いてよかったです。このテキストは宝物です。ありがとうございます。

大まかに言えば、自分が現場にいたシーンは業界的にはサブカル扱いにされているということ。しかしそれこそ重要なムーブメントだったでしょう?というのが僕の見解。そういう内容のお勉強会でした。
自分で資料を「門外不出」と書いてしまったので、内容に踏み込むのは(今日は)これくらいにしておきます。いずれ別の形で広く伝えなければいけない話です。


そして同時に、今回の自分の切り口ではこぼれ落ちてしまう「現代の陶芸」もありました。それが「食器」の世界です。むしろ戦後の焼き物業界で一番大きな影響力を持ち、人々の生活を変えたものであり、そして大きな発展を遂げたジャンルが食器です。実家の生業でもあります。
ということで次回のお勉強会では『現代の陶芸・食器編』(仮)を予定しています。詳細は決まり次第のお知らせとなりますが、内容はこれでいきます。決めました。ご参加お待ちしております。

その二日後はシラスでのお勉強会でした。記念すべき10回目。テーマは川喜田半泥子。近現代数寄者の最高峰であり、最高の趣味人であり、追随を許さぬ素人陶芸家だった半泥子。

そこには芸術への愛と深い知性と豊かなユーモア、そして深い内省があります。ストイシズムに裏付けられた遊び心です。美しい在り方です。

そんな半泥子に共鳴した大槻さんと池田さんが何か新しく面白いことをしようとする姿が見られて、半泥子お勉強会を開いた甲斐がありました。

アーカイブもぜひ。半泥子は最高ですよ。ワクワクして、自分も何かをして芸術を楽しもうという気持ちになります。励まされて、温かい気持ちになります。自身に厳しく、他者を大切にして営まれた半泥子の芸術は素晴らしいものです。

そうしたコミュニケーションの在り方と、内省によって培われた「個性」を重んじる姿勢は『日本現代うつわ論4』でテーマにした内容とも通じます。併せてぜひ。

https://ymskpublish.base.shop/items/96134487


参考資料のひとつ

焼き物を生業とする家に生まれて、芸術に携わる自分の天命は「うつわ」と「焼き物」にあります。その歴史と価値を担うべくしてここにいる、と信じることでやっていきます。

いいなと思ったら応援しよう!